世界は無数にある。
同じようでも、どこか異なった世界。
いわゆる、『平行世界』というものだ。
その数ある世界の中には、このような思い出が生まれる世界もある。
私立きらめき高校のもう一つの世界が……。


もう一人の伊集院


「主人、公。3日でこの学校を占めさせてもらう。」

彼の自己紹介はそんなものだった。
教壇の上から、どこからどう見ても平凡な学生にしか見えないその姿でそう断言されても、失笑を禁じ得ないものだった。
実際、その言葉が出た後で、クラスのほとんどの生徒が大笑いしたものだった。
彼の隣の席であった早乙女好雄などは、遠慮なく爆笑しながら彼の肩をたたいていた。
だが、私と彼の幼なじみであった藤崎詩織はそれほどではなかった。
また、私は一笑にふしただけであったが、彼女の方は何らかの困惑を帯びた顔で彼の顔を見つめていた。
 
 

そして、私の自己紹介の番になった。

「この僕の事を知らない者はいないと思うが…。
 僕が理事長の孫の伊集院レイだ。
 同じクラスの男性諸君には悪いが…。
 ま、仲良くやっていこうじゃないか。」

我ながらいやみたらしい自己紹介だったと思う。予想通りに、男からは不満の顔が、女からは羨望の顔が浮かびあがっていた。
どちらにせよ、自分の自己紹介は終わった。苦笑しながら教壇から降りて自分の席に向かう。
そこで、聞こえなければよかった言葉を聞いてしまった。
ほんのかすかなつぶやき。周りの生徒にも聞こえなかっただろう。
だが、自分のことであれば、どのような些細な台詞でも耳に入ってしまうものだ。

「……女か……?」

そう。聞こえなければよかったのだ。
 

私は、その日のHRが終わると同時に家に連絡した。
なぜ自己紹介で私の秘密がばれたのかはわからない。
だが、全てが明らかになる前に、手を打たなければならなかった。
伊集院家の家訓を守るために。
そして、4人からなる特殊部隊の手によって、彼は私の秘密に関する事項を記憶の中から失う。
そうなるはずだった。
その時、私は秘密を守ろうとするあまり、焦っていたのだろう。
よく考えてから行動に移すべきだったのだ。
 
 

翌日、2回目の自動車登校。
毎日の足になるであろうその車の振動の中で、私はあの男のことを考えていた。
はたして今日、彼はどのような顔を見せてくれるのか……。
車は交差点に差しかかり、赤信号で停止した。
その時だった。

コンコン。
窓が叩かれる音。
すぐ右を見ると、オートバイに乗った黒いツナギに黒いヘルメットの姿があった。
私が気がついたのを確認すると、手を動かし、窓を開けるように指示した。
私が乗っている車は外見こそ高級外車ではあるが、その実、突然どこかの戦場に放り出されたとしても手榴弾の直撃クラスならば耐えることができる装備を施している。
だから、私は無視しても構わなかった。
だが、私の取った行動は、窓を開ける事だった。
もしかしたら、何か予感めいたものがあったのかもしれない。
窓を全開にしたと同時に、ヘルメットのパーサーが持ち上げられた。
その下にあった顔を見たとたん、私は背筋が凍った。
オートバイの乗り手は主人だった。

驚きを隠せない私の膝元に、何かが投げられた。
それが何かを確かめる前に、主人から声がかけられた。
その台詞を聞いた私は、血の気が引く音を確かに聞いた。

「夕べの連中の忘れ物だ。確かに返したぞ。そいつらが欲しけりゃ取りに来い。」

そして、その台詞と同時に、信号が青に変わった。
主人は驚く私を尻目にバーサーを下ろし、そのまま交差点を突き進んでいった。
遅れて動き出す車の振動で我に帰った私は、膝元に投げ込まれたものを確かめようとした。
だが、体が硬直していた私はそれを取り落としてしまった。
慌てて拾おうとした私は、足元に散らばったそれを見て、もう少しで悲鳴を上げるところだった。
床に散らばった『それ』は、ビニール袋と、伊集院家の家紋が入った身分証明書4通と……血に染まった爪のかけら、だった。
 
 

高校生活2日目にして欠席をした私は、伊集院家に戻ったあと、とんでもない話を聞いた。
特殊部隊が主人の身柄を確保した連絡が入った後、行方不明になっているのだ。
私はもしやと思い、最後の連絡に対して声紋分析をしてもらった。
予想通り、その声は主人のものと一致した。

伊集院家では、このことから一つの予想を考えた。
主人は、プロの特殊部隊隊員4名を沈黙させ、何らかの肉体的苦痛を与え、何処かへと案内した、と。
だが、そうすると、分からないことが出てくる。
単体でも3人までなら同時に無傷で確保できる特殊部隊の隊員が4人。いったいどのように沈黙させたのか。
また、何故爪をはぎ、そこまでしなければならなかったのか。
そして、4人はどこへ消えたのか。
主人が学校に来ているのを確認した伊集院家は、即座に主人の家を調査することにした。
だが、4人の居場所はおろか、争った痕跡すら見つからなかったそうだ。
 
 

そして、何の手がかりもないまま、私の高校生活は3日目に入った。
私のスケジュールを担当している者は、今登校してはどうなるかわからないと欠席を勧めたが、私は登校することにした。
何となく、私が行かなくてはならない予感がしたからだ。

3回目の自動車通学。
私は、窓の外を見つめていた。
だが、周りの風景は目に入っていない。
見つけたいものはただ一つだから。

そして、昨日の信号に差しかかった。
再び赤信号で停止した車の中から、彼の姿を探す。
見つけた。

交差点からいくつか後ろの路地から黒い咆哮が姿を現す。
そして、私の車まで一気に加速し、急ブレーキで真横についた。
バーサーを上げ、こちらを見つめる。
間違いない。主人 公だった。

「昨日はなんで休んだんだ? 朝会ったってのにいきなり欠席と聞いて驚いたぞ。」
窓を開けて最初の台詞がそれだった。
こちらが呆然としているのをいいことに、主人はさらに問うてきた。
「それから、お前んとこの人間、早いとこ引き取ってもらいたいんだが。いくらこっちがいいひとでも、4人も扶養家族を増やしたくないぞ。」
その台詞に、完全にあっけに取られたのは言うまでもなかった……。
 
 

私から連絡を受けた伊集院家は、再び主人の家の捜索を行った。
そして、キッチンの床下収納庫のさらに下にあった地下倉庫の中にいた4人を無事救出したそうだ。
爪をはがれていたのは一番年若い隊員で、一番年上の隊員が主人に洗いざらい白状していた。
目の前で自分の息子と同じぐらいの年の人間が拷問を受けるのに我慢ならなかったためだ。
そして、その後の待遇は決して悪いものではなかったらしい。主人にやろうとしたことを考えれば、むしろ破格の待遇だったそうだ。
ただ、今回の任務に就いていた4人の隊員からは、
「もう2度とあの男には関わりたくはない。」
という言葉が上がっていた。
 
 

高校生活3日目の放課後。
私は屋上の上、給水塔の裏にもたれかかっていた。
私が1日休んでいる間に主人がいろいろやっていたので、心の整理が必要だったのだ。

まず、番長グループの壊滅。
彼らを束ねていた宇宙番長とやらが公に1対1で完全にノックアウトされたので解散を宣言した。
その時、番長が「次の番長はお前だ」と主人に言ったそうだが、主人は丁寧にそれを断ったそうだ。

次に、クラブ活動の完全制覇。
野球部の158km/hによるレギュラー9人三球三振から始まり、最終的には文化部のの校外脱出最速記録を塗り替えての完全勝利だったそうだ。
もはやどの部でも引っ張りだこの人気を確立しているが、本人はどの部活動にも入部をしていない。 
「興味が失せた。」とは本人の弁。

そして、2日目にしていきなりの全教科実力テスト。
これには、入学が終わってほっとしたところに喝を入れる役目を果たしている。
中学の三学期末レベルの問題で、それほどの難易度の問題ではなかったのだが、3日目の結果発表の張り出しにより、5教科500点満点のうち、400点以上が20人しか出なかった。
にもかかわらず、全教科満点の生徒が1名いた。主人 公である。
2位は藤崎詩織で485点だった。
ちなみに私は家でテストを受けた。記録は秘密。400点以上であった、とだけは言っておこう。

結局、主人は初日の自己紹介の宣言を成し遂げたことになった。
このとこについて藤崎詩織が、『10のことを言ったら、12のことを実行するくらい軽い人だから。』と苦笑しながら証言したことから見て、こんなことは、彼にとっては日常茶飯事のようだった。

「とんでもない人だわ……。」

意識せず言葉づかいが女に戻る。

「そういう言葉づかいは家の中でしな。あと、外井とやらが探してたぞ。」

突然後ろから声がかかり、私は心臓が止まりそうになった。
慌てて振り向くと、まさに今考えていた人物である主人が目の前にいた。
 
 

「全く、なんなんだあいつは。俺の腕をじろじろ見やがって、気持ち悪いったらありゃしない。」

いつもは―と言ってもわずか3日だが―無表情、というより無関心といった顔をしている主人が、明らかに怒りの色を浮かべていた。
じろじろ見られていた……ということは、外井の趣味に合ってしまったのだろう。
私は思わずそのことを言ってしまいそうになったが、外井の名誉のため、そして何より、外井の命のために黙っておくことにした。
何となくだが、ここでそのことを言うと、即座にとって返して外井を殲滅しそうな感じがしたからだ。
その代わりといっては何だが、主人の言葉に疑問をはさんだ。

「探してたって……何故?」
「何かが校門の前にたむろしていると聞いて見物しに行ったら、お前の所の運転手だった。
 そして、見覚えのある俺にお前を探してくれと頼まれてな。
 本当ならそんなことをする義理はないんだが、こっちもお前に用があったからOKしたんだよ。」

用?
一体何の用だろうか。
いや、決まっている。
私のことで、だ。

「もしかして……。」
「その前に、お前も何か言いたいことがあるんだろ?」

いきなり機先を制されてしまった。
いや、もしかしたら促されたのかもしれない。

「それじゃ、聞いてくれますか?」

私は、意識して女言葉を使った。
伊集院財閥の後継者、伊集院レイとしてではなく、
ただの女の子である、伊集院レイとして聞いて欲しかったからだ。
それがわかったのか、主人は何も言わず、ただ、うなずいてくれた。

私は、包み隠さず話した。
曰く、伊集院家に生まれた女性は、高校を卒業するまで、家の外では男性として生活すること。
曰く、自己紹介のとき、主人のつぶやいた声を聞きとがめたこと。
曰く、そのために焦って伊集院家に処理を頼んだこと。
そして、最後に。

「ごめんなさい……。あなたには迷惑をかけてしまったわ。」

そこで終われば、まだ可愛げがあると自分でも思った。しかし。

「でも、こんなことを言っておいてなんだけど……私が女性だってこと、みんなには黙っていてもらえませんか?」

また悪あがきをしてしまった。
どうせばれてしまったのだから、男装は必要ないというのに。

「……。」
「だめ……ですか?」
「条件が3つだ。それさえ守ってくれりゃ、それでいい。」

そう来るとは予測できなかった。
主人の性格からいって、そのような取り引きにはならないだろうと心の片隅でかすかに期待していたのだが。
だが、私にはそれを拒否する権利はなさそうだった。

「どんな……どんな、条件ですか?」

「ひとつ。俺に対して、これ以上伊集院家の人間を関わらせるな。お前と、あの運転手と、それからお前が信用できる奴ぐらいならいいが。」

いきなりとんでもない条件だった。
伊集院家を関わらせない、ということは、祖父を説得しなければならない。
未だ戦前の考えに浸っているあの祖父を説得することはあまりにも難しいことだ。
その考えを読んだのかどうかはわからないが、主人は懐から封筒を取り出し、私の方に差し出した。

「ふたつ。この手紙をお前の爺さんに渡しな。そうすれば、自然とひとつめの条件はかなうはずだ。」

戸惑いながらも、私はその封筒を受け取った。
その時の私は、こんなものでどうにかなるのだろうか? と思った。
だが、実際に祖父が『主人公からは手を引く』と宣言した時にはさすがに驚いた。
主人から断片的に聞いた情報では、中身はどうやら祖父の書き連ねた恋文らしい。しかも祖母以外の人にあてた。
そんなものが祖母の手に渡ってしまっては、まず間違いなく祖父は祖母に嫌われてしまうだろう。伊集院家が何者かに乗っ取られようが、どこぞの小僧に私の秘密が知られようが、祖母に嫌われることに比べれば大したことではない。そういう人なのだ。

「で、最後のみっつ。実のところ、これを言いに来たんだがな。」

私はなんとなく身構えてしまった。
主人の声に真剣さが含まれていたからだ。
どんな無理難題なのだろうか? もし、万が一、私のことを要求したら……その時は、主人を殺して私も死のう。
そんなことまで考えた。だが。

「みっつ。バイクの件を、学校に黙っておいてくれ。」

あまりにも予想外の答えが出てきた。
何を言われているのかわからなかった。

「え……? バイク、って……?」
「知らないのか? 校則では、原付はかまわんが、二輪は駄目なんだとさ。
 それで、学校近くの知り合いの所の駐車場にバイクを停めて、学校までは歩いて来ているんだ。」

そういえば、学生手帳にそんなことが書いてあったような気がする。

「実際のところ、昨日あそこであの袋を渡すつもりじゃなかったんだが。
 だけど、お前の姿が見えたもんだから、手間が省けると思ってしまってな。
 思い出した頃には、あとの祭り、ってわけだ。」

そこまで聞いて、私は思わず吹き出してしまった。
主人がどんな顔をして思い出したかを想像してしまったからだ。
笑いながら主人を見ると、憮然とした表情をしている。
それを見て、私は笑いが止まらなくなってしまった。

「あは、あははは……。その条件、全部、いいです、あはは……。」

そのセリフをなんとか言い終えると、主人は安堵のため息をついた。
それを見る限り、かなり気にしていたのだろう。

「……でも。」
「ん?」

ひとつだけ、彼に対して願いたいことがあった。

「私からも、ひとつ条件……いいですか?」
「言ってみな。あれだけ条件出したんだしな。」

即答だった。
だから、私も即座に言った。

「私のこと、『レイ』、って呼んでくれませんか……?」

それを聞くと、主人はくすり、と笑って、

「いいぞ。そのかわり、俺のことも『公』って呼んでくれ。」

と言った。
その願いに対する私の答えは……言うまでもなかった。
 
 

「そういえば……なんで私のこと、女だと解ったんですか?」

私は、最後に残った疑問を聞いてみた。

「ん? ああ、それか。えくぼだよ。」
「え?」
「だから、お前、自己紹介の後なんか苦笑いを浮かべていただろ? そん時、えくぼが見えたんだよ。」

そんなことでばれるとは思わなかった。
どうにかして隠さなければならないのだろうか?

「別に隠さなくてもいいんじゃないのか? よっぽど注意深く見ないとわからなかったようだし。」

それを聞くと、公は私にそう答えた。
私は、その答えになんだか深い満足を覚えた。


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