日記 もとい 月記


根無し草

2004年1月19日 (月)
はじまり。。。

いつまで続くか,わかんないけど,やってみることにした。33歳の誕生日。

2004年2月6日 (金)
既に,月記

なかなか,忙しくて,あっという間に1日が過ぎてしまいます。アエラ読んでて,今んとこ,復活負け組だけど,負けてるって思ってないし,まだ,恋してるしなぁ。ゆっくりでいいや。でも,子供うみたい。

2004年3月1日 (月)
異動

いつの頃からだろうか。異動の内示にあまり関心がなくなった。 仕事に対する意欲がなくなったわけではない。 自分が何処に行くのか、あまり気にならなくなったということだ。 異動に関して、一般的に自分の希望の仕事を与えられた時は大いに満足し、 逆に、希望がかなわなかった時、落胆する。 しかし、私は、その落胆という感情から脱却できたように感じる。

何故か。それは、私の最初の職業興味からして「自らの利益を追求せず」「専門的な仕事で」「人のため」に働けることで喜びを感じることのできる国家公務員という職業を選択していたからである。 働き始めて、もうすぐ16年目になる。最初のうちは、自分がやらせてもらえず、人がやらせてもらえた仕事があると悔しいと思い、希望の異動がないと落胆していた。他人の人事が気になった。 しかし、今は、もうあまり気にならない。いつの頃からだろうか。

プライベートでも沢山辛いこと、孤独や挫折を経験し、それでも幸せと感じられるのは何故だろう。 あるがままの自分を受け入れ、国民のために少しでもよいサービスが行えることを望んで働いている。 当然、一人でも、食べていかなければならないので賃金をもらわなければ 他に収入がなく生きていけないし、自分が福祉の世話になるようなことであっては職務遂行ができないし、食うことに精一杯であれば、 大学や様々な研究機関が追求する理想の国家の姿を思い描くこともできまい。 そうそう。異動についてである。

公務に左遷はあるのか。私は、ないと思う。 そもそも、無駄な仕事自体がないと思う。改善の余地がある仕事はたくさんあるが、それぞれの歴史があって、必要とされてきて現在があるのだから。 技術革新によって、電子政府や電子自治体がつくられて、行政の縮小が行われても、ここには、大切な仕事がある。求められている限り、大切なのである。 求められている限り、応えたいと思う。行政組織内部での調整が必要なことも多いが、決して捨て鉢にならずに、それが大都市であっても孤島であっても 役目を終えない限り、求められているのであるから、公務に左遷はない。本人の感じ方の問題である。

「国民のために」働くのである以上は。国民がいる限り大切にしたい。 勉強して知識を蓄える時期、蓄えた知識を還元する時期、問題意識を改善提案にかえる時期。 自分なりに決めているのであるが、それぞれの時期を大切にしたい。 決して、異動がかなわなかったからといってクサルことなく。 なんでもいい。必要としてくれているのだから。与えてもらった機会を有意義に使いたい。

程々の収入で国民の為に働ける。こんなに素晴らしい職業につくことができている私は、幸せ者である。

組織のために働く人が、なんのために組織があるのかとか それが、人のためになっているのかとか、多くの人に考えて欲しいなって思う。 人のために働けることに喜びが見出せる人は、幸せだと思う。 より多くの人のために働ける人間になりたい。 人生120年\(*⌒0⌒)bがんばっ♪

(〃^∇^)o_彡☆あはっ