浜田城跡
(島根県 浜田市)

石見地方の中心都市、浜田に本格的な城郭と城下町が築かれたのは江戸時代初期のことでした。
元和5年(1619)に伊勢松坂から転封されてきた古田重治が浜田藩5万5千石の本拠地として、浜田城を整備しました。

このとき、築城ならびに城下町整備のために重治が大坂から連れてきた瓦職人の伝えた技術が
後の石州瓦発展の基礎になったそうです。

その後、浜田藩は古田家以降5家18代続き、
長州(山口県)の毛利氏に対する最前線の抑えとしての役割を果たしてきました。
しかし、慶応2年(1866)、第2次長州征伐の際には山陰方面の幕府軍の拠点となったため、
村田蔵六(後の大村益次郎)率いる長州軍の猛攻を受け落城。
藩主の松平武聡は城に火を放って鳥取へ逃亡し、
250年近くに及んだ浜田藩の歴史は幕を閉じたのでした。

    

二の門跡
左の門は津和野城(島根県)から移築したものだそうです。


    

本丸跡
右は本丸から見た浜田港の眺めです。
ここから朝鮮半島や中国と秘密貿易をしていたこともあったとか。
当時は無許可の対外貿易はご法度でした。


    

予想以上に本格的な石垣が残ってて意外でした。
右は三の丸跡に建っている濱田護国神社。
茅の輪くぐり、遅れ馳せながらやらせてもらいました。


『浜田』と聞くと『お魚センター』と答えてしまうほど、自分にとって浜田は漁業の町という印象が強かったのです。
だから、この町にこんなに立派な城郭があることをほとんど知りませんでした。
場所を探すのにかなり苦労しましたが、その甲斐はあったなと思いました。