9月10日に一本の電話が掛かってきた、相手はMFJで22日の全日本ロードレース選手権西日本ラウンドのGP250への参加資格が得られたとの内容だった。全く訳が解らなかったがよくよく聞いてみると参加台数が足らず葉書で参加者を応募して抽選で決めたらしい、どうやら友人Sが勝手に応募していたみたいだ。勝手な事をしやがってと思うもせっかく当たったのだから出てしまおうと決めた。
しかし問題発覚!僕は50ガンマしか所有していない、そこでHR●に勤める先輩Aに電話で相談したところ「7年ほど先行型のRSなら貸せるよ」と返答があったので迷わず借りる事にした、21日にスタッフ付きで西日本サーキットへ届けてもらう約束をし電話を切った。
21日午前9時頃サーキット入り、マシンとスタッフは到着しており既に車検も終了していた。「すぐに予選が始まるから着替えろ!」と先輩Aに言われて急いで着替えてマシンに跨った、これRSはRSでも125じゃん・・・・・・・・
「排気量が半分なんですけど?」と尋ねるとグラサン掛けた怖顔のスタッフが「先行型だから問題無し、予選始まったぞ」と言われ 行け行けと手で合図された、問題無しなら走ってしまおう。
予選14位で無事通過、て言うか台数不足で予選落ちは無いみたいだ。
22日いよいよ決勝レースだ。14番グリットヘマシンを止めてスタートを待つ、いやいや凄い観客だ!少々緊張する。「たいしたこたぁねえ〜 やっつけてしまえ」と先輩Aが言った、周りを見ると雑誌で見たことある人ばかり たいしたことあるでしょ・・・・・・・・・
そしてスタート、押し掛けも難なく決まってなかなか良い感じのスタートだった。走り出すと緊張はほぐれてなかなか楽しい、ストレートでは排気量不足で辛いがインフィールド区間ではさすがに先行型だけあって楽勝な感じだ。
残り3周のところで原田選手を抜き去り気が付いたらトップへ出ていた。ストレートでは追い抜かれそうになるがインフィールド区間で後ろの3台が無謀なイン取り合戦をしてくれたお陰で その差がしだいに広がりだした、もしかして勝てちゃう?
そしてファイナルラップ、ヘアピンコーナー立ち上がりで勝利を確信してウイリーをかましてみたりした。
上の画像がそのレース時の唯一現存する証拠写真の写し、250に混ざって125が爆走する光景に皆驚きシャッターを押すのを忘れていたらしいのだが友人Sだけは違っていた。友人Sいわく、感動で涙が溢れピントが甘くなったらしい、でもなんでモノクロなんだ?
そしてチェッカー、なんと優勝してしまった!これで来年は有力チームから声が掛かる事間違いなし?ミニバイクレースは今年で終了かな、と大喜びだった。
しかし なんたることかレース終了後1時間位経過した時に再車検落ちの通達が・・・・・・・・・・・・
理由は排気量が足らないって事だった、排気量制限に上限があるのは当然だが下限もあったことを僕を含めて先輩Aやスタッフなど誰も知らなかったのである、なんてこった。
翌日から先輩Aとスタッフはハローワークへ通う羽目に・・・・・・・・・・・・
しかも125に負けた悔しさの為か某ファクトリーを中心に組織ぐるみで金をバラマキ この事実は全ての記録から抹消されてしまった。
優勝は幻となり125で爆走した事も幻となってしまった、当然語り継ぐ事も出来ず いまだに「喋るなよ」と脅迫状が届く始末である。
この事実を知っているのは当日サーキットにいた関係者及び観客の31226人と このページを見た貴方だけなのです。