少女は動けない。いや、動かなかった。

目の前にいるのは、もはや深窓の令嬢などではない。

ただ、死を導くだけの暗殺者と、全てを無に帰す力を持つ魔導師がそこにいた。


悠久幻想曲 a pretty little girl.
 いい加減に見つかってるだろーな。
No.4=死闘/the terror of death


「それ」が、少女を「殺す」ために存在している。

だが、少女が動かなかったのは正解だった。

もしも、恐怖に身を捕らわれ、本能的にその場から逃げようとすれば、即座に暗殺者が「糸」を、魔導師が「速き魔力」を足に当て、行動を封じていただろう。
不意に、少女が動いた。
いや、「不意に」とは言い難いだろう。少女は、明らかに「何か」をかわしていた。

そして、次の瞬間、少女が立っていた芝生が緑の粉となった。

ほんの一瞬のことであったが、少女にはその正体が見えた。いや、見ることができた。

それはまさに、「糸」であった。

ピアノの音源となる糸であるピアノ線。それを極限まで細く、さらに硬くした黒き糸。まさに闇の中で
命を奪うべき恐るべき「武器」であった。

もちろん、それを操るには、それ相当の経験と技術がいる。

だが、代々音楽家であると同時に、代々暗殺者でもあるシェフィールド家の後継者であるシーラ・シェフィールドにとっては、単純なことでしかなかった。

しかし、少女はそれをかわした。ということは、少女にとって、それは絶対の武器ではないということでもあった。

が、再び少女は動いた。糸をよける以前からの素早い詠唱で「プロテクション」を発動する。

紅蓮の火球が少女の周りで爆発する。しかし、プロテクションの影響で少女に傷一つつけることはなかった。

だが、少女は油断なく身構えていた。

直後、少女は上空に向かってプロテクションを集中した。

その瞬間、恐るべき威力を秘めた物質と反物質の爆発が、いつの間にか上空にいたマリアの両の手から少女の真上、ただ一点に向かって飛来した。

マリアが使った呪文は、順に「クロノス・ハート」「カーマイン・スプレッド」「ディメンション・デュオ」「ヴァニシング・ノヴァ」の四つであった。

もちろん、魔力が足りるわけがない。

だが、ショート財閥の令嬢であり、人一倍魔法を好きであったマリア・ショートに抜かりはなかった。

大枚をはたいて魔力の消費量を1/10に減少させるタリスマンと、浮遊能力と加速能力持つフェアリーブーツを所持していたのだ。

このようなマジックアイテムは世界に10個あるかないかといったところで、その値段も莫大なものになる。

もっとも、それだけの金額を出すことができるところにショート財閥の凄さがあるが。

だが、魔術に狙われる方はたまったものではない。

たとえプロテクションを使って最初のカーマイン・スプレッドを防げたとしても、全体攻撃魔法であるヴァニシング・ノヴァを死角から、それも一点集中で使われれば、残り時間を待たずしてプロテクションが破れてしまい、余波をまともに食らうであろう。

ところが、少女の対応もすさまじいものであった。

マリアの使用した魔術を予測したうえで、プロテクションを盾のように変換し、ヴァニシング・ノヴァによって崩壊するより先にその場を離れて雲隠れで隠れた。

囮として身代わり人形を置いて。

そして、30から数を数え始めた。

30、29、28……

「あっ……かわせなかったの!?」

マリアの慌てたような声。

「嘘……でしょ?」

シーラの呆然とした声。

どうやら、身代わり人形はその形を残したまま焼け焦げたらしい。

作戦の成功を感じて、少女は心の中で笑った。口の中では小さく呪文を唱えながら。

5、4、3、2、1、0。

シルフィード・フェザー発動。

「「えっ……!?」」

魔力の波動を感じて振り向いた二人。

その目には、弓よりも速くマリアに向かう少女の姿が映る。

二人は、即座に自分たちの失態を悟ったが、すでに遅かった。

少女の目に映るのは、マリアの身体の3ヶ所。こめかみ、顎、鳩尾(みぞおち)。

母親譲りの奥義、『連撃』がその三ヶ所に吸い込まれるように命中する。

しかも、気絶以上の致命的なダメージを与えないように。

そして、崩れ落ちるマリアを尻目に、打ち込んだ反動を利用して全く速さを落とさずにシーラに向かう。

その間にシーラは体勢を整え直していた。

だが、一度通常の心理に戻った後では即座に対応できない。

中途半端な気持ちのままで少女に向かって攻撃した。

しかし、その威力は先程とは比べ物にならないほど劣っている。

少女はその攻撃をあっさりかいくぐり、シーラに接近した。

シーラは、反射的に自分の最大奥義、ホーリー・ヒールを繰り出した。

内心、「しまった!」と思いながら。

自警団第1部隊隊員であるアルベルト・コーレインをも一撃で排除する必殺の攻撃である。

それをまだ5歳の少女が受ければ、確実に……死ぬ。

ただの少女ならば。

少女は、宙に飛んだ暗殺者の軌道を冷静に見抜くと同時に、肉薄したそろえられたかかと――喩えるなら、一本の槍――の先をほんのすこし脇に押しやった。

実際にはかなりの速度の手刀が炸裂したようにしか見えなかったが。

「――!?」

軸をずらされ、攻撃は完全に外れた。慌てて体勢を整えようとするが、遅かった。

少女はシーラの襟をつかむと、そのまま左右逆に引っ張りシーラの喉を絞めた。

襟締めにはそれほど力を必要としない。

たとえこの少女でもだ。

いや、この少女ならでは、か。

焦りと驚きの中で、シーラの意識は闇に落ちた。

シーラが目を覚ますと、そこは白い天井だった。
少し周りを見回して、ここはおそらくクラウド医院の病室だと判断する。
隣のベッドでは、マリアがぐーぐー言いながら寝ていた。
そっと床に降りて病室の外に出ると、この病院の看護婦の一人に見つかった。

「あ、気がついたんですね、シーラさん!」
「あ、うん、ディアーナ。ねえ、今日は一体どうなったの?」

実のところ、少女とシーラ、またはマリアとの対戦は週に1回のペースで行われていたりする。ゆえに、それなりの関係者であれば、内容は大体見当がつく。

「えーっとですね、サラちゃんによると、マリアさんは連撃を受けて、シーラさんは襟締めを食らって落ちたようですね。これでサラちゃんの51戦49勝2分けですか。最初の2分けから49連勝ですね。」
「しかも今日は二人がかりだったし。はあ……なんか自信なくしちゃうわ。」

少女の最初の戦闘はシーラとの超高速で打ち合いの末、両者体力切れによる引き分け。
次の戦闘はマリアとの雷鳴山での魔法戦闘、魔力切れで引き分け。
少女はこの時点で二人の強さを見ぬいたらしく、以降の戦闘はほぼぎりぎりから余裕へと少女が勝ちを収めていっていた。
そして今日は二人がかり、しかも本気で闘って敗北。自信もなくそうというものだ。

「でも、しょうがないですよ。なんといったってあのお二人の子供ですもん。」
「……まあ、そうね。あの二人の子供だもんね。」

ディアーナのフォローにならない慰めに、仕方ないというように肩を落とすシーラ。

「それにしても、51戦ですか。もうすぐ52戦ですね。」
「え? ……そうか、もうすぐ1年経つんだ。」

5歳の誕生日に少女からねだられたのが、「次の誕生日まで、週に一度の腕試し」だった。
少女の誕生パーティーの出席者ほぼ全員から止められたが、少女は頑なに我を通し切った。
ただ一人反対しなかった少女の父親がルールを決めることにして、腕試しは開始された。反対しなかったので罰として妻からの全力攻撃とパーティーの出席者から一撃ずつ食らって。
ルールは単純であった。
「なんでもありで、戦闘不能、つまり戦えなくなったら負け。敗者は勝者の背負った損害を全て受け持つこと。」
どう考えても少女のみならず少女の家族にとっても圧倒的に不利な内容だった。
にもかかわらず、少女はその条件を笑いながら承諾した。その結果が今の状態だ。
なんでもありだったら少女の方が一枚上手だったのだ。そして、潜在的な戦闘能力の高さでも。

ところで、少女の父親の場合、なんでもありならばエンフィールドの人間で勝てるのはアリサ・アスティアしかいない。というより、誰も彼女に勝ちたい、とは思わないだろうが。

閑話休題。

ちなみに、その場にアルベルト・コーレインもいたのだが、「よわいのでや。」の一言で却下された。
それをまともに聞いた本人はしばらくの間ショックで白くなり、アリサ・アスティアが慰めても使い物にならなかった。

「この一年間振りまわされっぱなしだったなぁ……。次の誕生日は何をねだられるんだろう……。」

シーラがそんな感慨にふけっていると、思い出したようにディアーナが声をかけた。

「あ、そうだ。これが今回の治療費です。それからこちらが自警団第5部隊からの請求書です。
今回は強力な呪文を使ったせいで以外と被害が大きかったようですよ。」

ディアーナから渡されたそれに記された、自分たちの今月の収入ギリギリの金額を見て、シーラは思わず涙した……。

その頃少女は、埃がついた服を払いながら、とてとてと歩いていた。