のぞみの会-講演会・勉強会
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講演会 2006.01.14 広島 & 2006.01.21 尾道
「がんと共に生きる」
-数度の再発を乗りえてがんと共に20年-

呉共済病院在宅医療療養指導管理室
                     看護師長 荒金 幸子 氏

呉共済病院で看護師として働いていたが、昭和62年に胸のしこりを発見し、手術を受け放射線治療も受けた。2か月後に職場復帰したが、救急が勤められないほど体が動かないので、辞表を出したところ上司に「そういう患者の思いこそ看護の心ではないか」と諭され思いとどまった。

平成1年在宅医療が始まり、がん患者のケアは自分こそできるのではないかと、在宅での看取りにとりくんでいた。ところが平成2年6月の検診で肝臓転移が発見された。

肝機能を示すGOT、GPTが4桁でCEも629と高値で、CTで肝動脈周囲に7cm大の腫瘍と肝臓全体にがん細胞が播種性に散在しているのがわかった。非常に厳しい状態だったが、簡単に自分の命をあきらめ切れなかった。

内科へ転医し、「あなたの命にかかわることだから、どこで治療したいか自分で選んでください」と、セカンドオピニオンにあたるように言われた。家族のことをいろいろ心配していたが、姑に相談したとき、姑は「あなたは自分の病気のことだけを考えなさい」と言ってくれた。この言葉により「必ず病気を治してこの家に帰ってくる」と決意した。

平成2年7月岡大病院へ入院し、免疫療法を受けることになった。第一外科のなおもと先生は「この治療で皆元気になっていますよ」と言ってくれ、これで治るのだと強い希望が持てた。しかしこの時主治医から夫と姑が聞いた言葉は別のものだった。主治医は「この夏をこすのは無理だ。余命を告知した方がいい」と告げていた。しかし姑は「待ってください。本人は治そうとして来ているので、言わないでほしい。」と頼んだのだった。

この事実を知ったのは4年後のことだった。あの時告知されていたら今の自分はなかったと思う。当時まだ39歳で、自分のためにまだ生きていない、こんなことでは死ぬことはできないと思っていた。

抗がん剤、免疫治療を続け、10日で髪の毛も全て抜けた。毎日40度の熱が出て悪寒戦慄のためこたつ布団にくるまっていた。そのとき見回りにきた看護師さんに声をかけてほしかったのに、見ただけで行ってしまわれた。患者の立場になり自分の今までの看護を振り返ったとき、自分は今まで患者の心に応えていただろうかと反省した。そして「もう一度1年でいいから生かしてください。本当の看護をやり直させてください」と祈った。

2ヶ月後CEAは著明に改善し、主治医に「長く医者をしているがこんなに良くなった患者はみたことがない」と言われた。

しかし入院して4か月後のある日横になるとしんどく、胸部X線を撮ると肺が真っ白だった。白血球が減少して肺炎になっていたのだった。呼吸不全で気管挿管されICUへ収容された。とても希望がもてない状態だったが、それでも一日5mmよくなればいいと目標を持って頑張った。

主治医の森本医師はいつも笑顔だった。先生の顔を思い浮かべると自分も笑顔になった。

このとき自分が笑顔になると相手も笑顔になるのだとわかった。ある日岡大の教授が訪問してくれ、「あなたはいろんな体験をしますね。これを看護に生かしてくださいよ。」言われた。これで私はもしかしたら元気になれるのかなと思えた。

平成2年12月18日やっとICUを出た。その時「一般病棟に出られるとは思ってはいなかった」と言われた。平成3年1月7日ついに岡大を退院した。なおもと先生が「あなたの中に神のようなものがいて二度も奇跡を起こしたのでしょう。」と言った。自分ではその神とは自分を支えてくれた全ての人だったと思う。振り返ると、「心まで病まず、人との関わりの中で笑顔を忘れない自分がいた。」と思う。今現在自分がここに居られるのは、「希望を捨てなかったこと。もう一度白衣を着たいと思っていたこと。笑顔を忘れなかったこと。」が大きな要因だったと思う。

しかし乳がんとの闘いはその後も続いている。ある朝、左眼が見えなくなった。検査で脳に転移していることがわかり、ガンマナイフによる治療を受け視力も軽快した。

平成14年には肝臓に転移が発見され、岡山大学でラジオ波による治療を受けた。タキソールとハーセプチンによる治療をうけていたところ、急に意識消失し倒れ、心停止した。抗がん剤の副作用による心臓発作だった。心臓マッサージを受ける緊急状態だったが、ペースメーカー埋め込み術を受け、三度目の危機を脱した。

昨年10月にはPET検査を受けたところ肝臓に再発がみつかり、再び岡山大学でラジオ波を受けた。


これからも乳がんとは一生付き合っていこう。どんなことがあっても、生きるのぞみを捨てないで生きていこうと思っている。


・中島みち著 「奇跡のごとく」 文芸春秋
   荒金さんの闘病の記録が詳しく載っています。文庫本もあります。

・2006年2月16日、TV番組「たけしのアンビリーバボー」にて荒金さんのことが放送され、感動をよびました。

荒金さんの治療内容(化学療法)は以下のものでした。
    5FU(フルオロウラシル)
    CPM(シクロフォスファミド):エンドキサン
    INF-α(インターフェロン):
    EPI(塩酸エピルビシン):ファルモルビシン
    TNF-α

2006年2月(浜中がまとめさせていただきました)
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