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2002年 6月
メール
会員からの便りの中で、私の記事を載せていただきありがとうございます。世界中の人に読まれていると思うとちょっと恥ずかしい気持ちですね。
まだまだのぞみの会の中ではインターネット人口は少ないかもしれませんが、気軽に自分の思い、悩みなどを語り合える場となればいいですね。できれば掲示板なども作っていただければと思いますが管理が大変なのかもしれませんね。
 私がのぞみの会の一員としてしたいことは、『今苦しんでいる人』に声をかけることです。そういう人に対しては、ついついかける言葉がなく目をそらしがちですが、そういう人こそ、『暖かさ』が必要なのです。
月並みな『がんばって!』でもいい、『どんな具合?』と聞いてあげるだけでもいい。まっすぐ目を見て、手を握ってあげるだけでも心は通じます。
 さて、私は先月末ガンマナイフ治療を終え、今は心も体もだいぶ落ちついて来たところです。先進技術の機械で手術できたことを嬉しく思わないといけないと、今ではそう思っています。
来月のMRIでガンがどのぐらい小さくなっているか見ることになっています。
免疫治療のために2週間に一度広大第二外科に、そして抗がん剤(ハーセプチン)と骨の点滴のために週に一度尾総病院に通っています。  
私の『生』は多くの人に支えられている、といつも思います。
I.Kさんより
H14年8月15日死去

2002年 6月
お便り
2002年6月16日付 荒金幸子さんからのお便り(全文)   
拝啓
あじさいが梅雨空に美しい季節となりました。皆様お変わりなくお過ごしのことと存じます。
先日は心温まる寄せ書きをお届け下さり、本当に有難うございました。
皆様が送ってくださった一言ひとことが私の心にエールを送ってくれました、何度も何度も繰り返しくりかえし読んでいました。皆様のお顔をイメージしながら読ませていただきました。
早速皆様にお手紙をと思っていましたのに、タキソール60mg(動注)に加え、ハーセプチン250mg(全身投与)のケモが私にとってとても負担になり、左上肢(乳癌のOP後リンパ浮腫があった方)に炎症をお起し肩〜指先が浮腫を生じ、体動もままならぬ状態となり、発熱もし4〜5日苦しみました。ハーセプチンを週1回で3回目を投与した時、再び左上肢に炎症をおこし、四肢の指先のシビレ、全身に感じる神経症状(針を刺すような痛み)を発症、まったく眠れず1週間程苦しみました。
左上肢の炎症が落ち着くのを待って5月14日に退院し自宅にいました。
呉共済に受診し、皮膚科で強ミノとノイロトロピンとネオラミン3Bの静注に加えてテグレトールの内服で四肢の指のシビレと全身の刺すような痛みは80%〜90%は解消しました。
アタラックスPを内服しどうにか睡眠も多少は取れる様になり、全身の掻みとの闘いに冷却したり、軟膏を塗布したり、セルテクトを内服しコントロールしていました。
5月29日は日本看護協会総会の席で、厚生労働大臣賞をくださるとのことで、発熱(37、8℃位)のある身体をひきずる思いで東京に行きました。帰りの広島空港でのロビーまでの道のりの何と長く感じたことでしょうか。体力が落ちたなーと感じつつもあまりにもしんどいので病院に行きました。すると肺炎を起こしているとの事で即入院となりました。(5月29日)酸素吸入が離せない状態でしたが、小康となっていました。ハーセプチンの副作用は私にとりましては、とても厳しいものでした。6月5日面会に来てくれていた、嫁と孫の前で急に頭がクラクラとしました、それ以降のことは覚えていません。急に倒れて(ベットに座っていたので怪我はありませんでした)心臓発作を起こしたのです(完全右脚ブロック)呼吸停止し、心臓マッサージをされながら、体外ペーシングを行ない6月12日にペースメーカーを体内に埋め込みました。又奇跡的に一命を取りとめることが出来たのです本日でやっと4日目。10日間位寝たきりでしたので少し足がたよりないのですが、皆様にやっとお礼のお手紙を書く気力が湧いてきたところです。
あまりにもの体験をし、この体験の意味、を考えているところです。
助けられた命をみつめながら、一日一日を大切に生きねばと、あらためて生かされている事に感謝する日々を過ごしています。多くの人の力をかりて生かされている自分を感じています。皆様もどうぞ一日一日を大切に生きてください。又お会いできる日を楽しみにしております。

心温まる寄せ書き本当に有難うございました。

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