『月森 蓮 様
 



 お元気ですか?
 お久しぶりです。
 音楽漬けの毎日、いかがですか?
 体調を崩したりしていませんか?
 


 今日は、月森君が旅立った日から3年です。
 懐かしくて、ついペンを取りました。』










 そこまで絵葉書に文字を書いて………。
 私は、溜息とともにペンを置いた。






「未練がましい……」






 小さく呟いた声は、静かな自室に驚くほど大きく響いた。



 私は片手で頬杖をついて、ゆっくりと窓に目を向ける。



 窓ガラスの向こう、四角い枠に切り取られた冬の空は、澄み切った青。
 凛とした冷たさを孕んだ青は、どこか彼の人を思い出させる色だった。
 


 私の部屋の窓から見える空なんてちっぽけなものだけど、その先の…、海を越えた異国の空の下に月森君はいるんだ。
 


 遠いような、近いような……。





<この空はどこまでも繋がっているんだよ。>




  
 そんな言葉を聞いたのはいつだったか…。
 その時は、素敵な言葉だなって思った。
 でも今は、なんて陳腐な慰めの言葉だって思う。



 だって空が繋がってても、それだけじゃダメだって気づいたから。



 空だけが繋がってても、なんにもならない。
 心が繋がってなければ意味が無い。




「心、ね……」
 ちくりと痛む胸を嘲るように呟いて、私は椅子の背もたれに体重をかけた。
 ぎゅっと背もたれが後ろに沈む。




『香穂子…』
 目を閉じれば、聴こえてくるあの人の声。
 少し照れたような優しく甘い声音で、いつもあの人は私の名前を呼んでくれた。
 


 きっかけはコンクール。
 学園に住まう妖精リリを見てから始まった、忘れられない大切な日々。
 リリに押し付けられた魔法のヴァイオリン。



 出逢った音楽科のあの人の第一印象は、「あまりお近づきになりたくない」で。



 次に出逢った時は、もっとサイアク。
 あまりにムカついて、<月森蓮>という名は一瞬にして私の頭に怒りと共にインプットされた。




 でももう一度、月森君に会った時、彼の奏でるヴァイオリンの音色に心を持っていかれた。
 なんて綺麗なんだろうと……。



 きっと月森君のあのアヴェマリアを聴かなかったら…。
 今の私はいなかったと思う…。



 手を伸ばせば、いつだってヴァイオリンに触れられるくらい、私はヴァイオリンを愛してしまった。



 リリにもらった魔法のヴァイオリンはもう無いけれど、あれは私にたくさんのことを教えてくれた。
 


 音楽の素晴らしさと楽しさを。



 そして忘れられない恋を……。

 




 月森君と恋人として過ごした日々は、決して長くない。
 でもたくさんの思い出と、優しい心を貰った気がする。



「留学をする。帰国の予定はない」と、彼の口から聞いた時、「別れよう」と言ったのは私。



 彼は一瞬、驚いた表情を見せたけれど、静かに「それがいい」と同意してくれた。



 わかってる。私が別れを切り出さなければ、彼がその言葉を口にしていた。



 私が言わなくても、結末は同じだって事を。



 だから私から切り出した。



 留学するあなたが、後ろ髪を引かれないように。私に負い目を感じないように。
 人から冷たいと評される月森君が、本当は不器用でその優しさを上手く表に出せないだけだと知っているから……。



 好きだから、別れようと思った。
 それがお互いのためだと。



 彼は元々、日本だけで終わる人じゃないってわかっていた。
 ヴァイオリンを知れば知るほど、私は月森君のすごさを身を持って感じていたんだ。



 留学の話だって、私の耳に入ってくる。
 入れようと思わなくたって、勝手に教えてくれる人がたくさんいたから。
 月森君と付き合ってた私に探りを入れる人や、月森君と私が付き合うのを快く思ってない人とか、たくさんの人が。



 そして知った。
 本来、彼ほどの腕を持った人が、まだ日本にいるのがおかしいのだと。
 中学を卒業して、そのまま留学していてもおかしくなかった人だと。




 それらを知って、私はその時が来たら月森君と別れようと決めた。






 遠距離恋愛なんて、私の柄じゃない。
 きっと月森君が恋しくて、ありえない嫉妬とかして、彼に迷惑をかけてしまう。
 そして月森君も、そんな私の存在を疎ましく思うことがあるかもしれない。



 長く離れて恋を続けるには、私達はあまりに未熟で幼すぎた。
 


 だから、月森君と別れたことを後悔なんかしていない。



 でも、恋心は3年経った今でも、月森君へと向かってる。





 想うのは自由……。
 そう考えて苦笑する。





 耳に残る月森君の声も。
 瞼の裏に焼きついた月森君の笑顔も。



 絶対、忘れないと思っていたのに。



 少しずつ霞んでいっている気がするの…。
 


 時間が経つっていうのは、忘れるって事なのかもしれない。



 これがいつか綺麗な思い出になった時、私はどうするんだろう?



 新しい恋を始められるの?




 
 私は、背もたれに預けていた身体を起こし、書きかけの葉書を机の引き出しにしまいこんだ。
 そこには、同じように書きかけで行き場のない手紙がいくつも積み重なっていた。




 3年間、書きあがらない手紙たち。
 


 出せないままのこの手紙たちも、いつか懐かしい想い出に変わってしまうのかもしれない…。



 でも、今はまだ手紙が重なるたびに積もっていく恋心。
  


 私はそれに蓋をするように、そっと引き出しを閉じた。













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