三人寄れば文殊の知恵と言うけれど……。
 女が三人寄れば姦しい。





 その字が示すとおり、コーヒーショップで集う三人娘は、楽しそうに笑いながら盛り上がっていた。






 その日の午後、大学の講義が終わって、いつもの通りバイトに向かおうとした麻衣に、友人二人が声を掛けてきた。
 渋谷まで買い物に行くから、一緒に行こうと。
 友人は麻衣の仕事先が渋谷と知っているのだ。
 思いもかけないお誘いに、麻衣は一も二もなく頷いて、三人でたわいない話をしながら渋谷にやってきた。
 渋谷に着いて時計を見ると、麻衣のバイトの時間までに少し余裕があったことから、三人でコーヒーショップに入ったというわけだ。






 窓際の席に座った彼女達は、めいめい頼んだ飲み物を前に、取り留めのない話をしていた。
「でね、言うに事欠いて、カズが『うざいんだよ!』って逆ギレしちゃってさ」
「え?マジで!?」
「マジよ!すっごい怒りようで、私、どうしていいかわかんなくなって、部屋を飛び出してきちゃったの」
「……酷い!大丈夫?」
「うん。うわーって泣いて、今は落ち着いてる。カズからは何回か電話があったけど、出てない」
「これから、どうすんの?」
「うーん…」
 千晶の恋愛話を聞きながら、麻衣は頬杖をついたままパクンとストローを咥えた。
 相槌は、一緒にいる美沙に任せて、ひどい男がいるもんだと顔を顰めて…。
 これからのことを千晶と美沙が話しているが、麻衣は口を挟むことが出来なかった。
 なぜなら、アドバイスできるような恋愛経験なんてないから。
 こうやって友達の恋の話を色々聞くけれど、麻衣の恋とは程遠い世界なのだ。






 麻衣の恋の相手は、天下無敵のナルシスト。
 天上天下唯我独尊の美形天才博士様だ。





 
 自分のやりたいこと、興味のあることは、徹底的に拘るくせに、他のことには頓着無し。
 よく言えばマイペース。悪く言えば協調性皆無な自己中男なのだ。
 





 
「麻衣?麻衣のところは大丈夫なの?」
「は?」
 散々、お互いの彼氏の愚痴を言い合っていた二人が、いきなり麻衣に話を振ってくる。
 二人の会話をぼんやりと耳にしていただけの麻衣は、自分に振られるとは思っていなかったため、間抜けた声を出した。
「何が?」
「あんたのところの≪ダーリン≫」
「っげほっ!!」
 とんでもない単語に、麻衣は思いっきりむせてしまった。
 盛大に咳き込んで涙目になった麻衣の背を、美沙が慌てて撫でた。
「ちょっと、大丈夫?」 
 ひとしきり咳き込んだ麻衣は、眉間に深い皺を刻んで美沙を睨み付けた。
「美沙〜。気持ち悪いこと言わないでよ」
「ん?気持ち悪いこと?彼氏なんだからダーリンでいいじゃん。美形で、ダーリンってカンジだし?」
 飄々と同じ単語を繰り返すのは、もはや嫌がらせとしか思えない。
「うはー、気色悪っ!!鳥肌たっちゃったよ」
 ぞくぞくと背筋を這い登る悪寒。麻衣は自分を抱きしめて、ぶるりと身体を震わせた。
「え〜?気持ち悪い?何で?いい男じゃない」
「あれ?美沙って麻衣の彼氏知ってるの?」
 美沙のセリフに、千晶が食いつく。
 美沙はちょっと得意げに笑って、ミサに向き直った。
「いい男だぞ〜。麻衣の彼氏は。この子がどうしてモノにしたか謎なくらい、いい男」
「……ちょっと」
 聞き捨てならない言葉に、声のトーンも落ちる。
 しかし美沙と千晶は、自分の彼氏の話よりも、麻衣の彼氏の話題を移していた。
 特に千晶は、<いい男>と聞いて、見たことの無い麻衣の恋人に興味津々だ。
「どんな人?どこで見たの!?」
「偶然。麻衣と歩いてるのをね。バイト先の上司とか言ってたっけ?そりゃあもう、びっくりするような美形よ。芸能人にもいないんじゃない?女としては度胸いるね、あの隣に立つの」
「……悪かったわね、身の程知らずでさ」
 言われなくてもわかってるよ、と麻衣が唇を尖らす。
 美沙はふてされた麻衣を笑いながら宥めた。
「誰もそんなこと言ってないじゃない。でさ、どんな人なの?」
「…………朴念仁」
「は?」
 ぼそりと落とされたのは、決して褒め言葉ではなかった。
「俺様な人。研究バカ。我侭。あと、プライドが天よりも高いね」
「…何それ?」
「ナルに初めて会った人はね、最初にその顔の良さに驚いて、次にその性格に驚くんだよ」
「どんな性格?」
「自分が一番偉くて、賢くて、しかも美形だってわかってるナルシスト。だからナルちゃん」
「………マジで?」
 滔々と澱みなく麻衣の口から出てくるのは、マイナスイメージばかり。
「うん」
 しかも麻衣は事実だけを並べたと言わんばかりに、淡々としている。
「で、でも、麻衣にだけは優しいとか?」
 美沙はこめかみをひきつらせながら、何とかフォローを入れようとするが……
「ありえないから。それ。自分以外は、畑のカボチャも同然。あたしなんて、いっつもバカバカ言われてるよ。人でなしだし」
 当の麻衣に一刀両断されてしまった。
 それを聞いて、美沙と千晶は深々と呆れた溜息を零した。
「……なんで付き合ってるのよ」
「えーーーと??…………好きだから?」
「どーして疑問形かな?」
「断言したくない真理っていうか……」
「よく我慢できるね?」
「んー、まあね。でもさ…」
 麻衣が頬杖をついて、考えつつ口を開きかけた時。





 コツンと一つ、道路に面した窓から音がした。






 反射的に顔をそちらへ向けた三人が、一瞬にして固まった。
 千晶と美沙は、間近で見た白皙の美貌に。
 麻衣は、その不機嫌なオーラ全開に気圧されて…。





「ナ、ナル……」






 窓の向こうの黒衣の麗人は、無表情に片手を上げてそれを示した。
「あっ!バイトの時間過ぎてる!!」
 キラリと光を反射した、ナルの腕時計。
 麻衣はその針が指し示す数字を見て、慌ててふためき立ち上がった。
「麻衣?!」
「ごめん、あれが噂の人非人の上司。バイト行って来るね」
 再び二人が窓に視線を転じれば、すでに彼の人はいない。
 麻衣は自分のバックと上着を腕に引っ掛け、足を縺れさせながら出口へと駆けて行った。
 千晶と美沙はそれを呆然と見送って……。
 
「噂の上司って……、麻衣のカレシ?」
「そう。間近で見たのは初めてだけど、すっごい迫力。綺麗過ぎて怖い」
 店内に残された麻衣の友人二人は、麻衣の背中を追って視線を店の出口の外へと向けた。
 麻衣が飛び出した時、ちょうどそこに美貌の男が立っている。
 時間に遅れたことを謝っているのか、麻衣が申し訳なさそうに顔の前で手を合わせている。
 そんな麻衣に、黒衣の彼は無表情に二言、三言声をかけ……。
 容赦なく、自分が持っていた荷物を麻衣に押し付けた。







「………え?」
 驚いたのは、見ていた二人。
 麻衣に渡されたそれがとても重いのは、店内にいた千晶と美沙にもわかった。
 渡された麻衣の腕が、がくんと下に落ち、取り落としそうになってよろめいたくらいなのだから。
 しかし彼は表情を変えることなく、そのまま麻衣に背を向けた。
 自分は小脇に抱えた本一冊だけを持って、すたすたと道玄坂を歩いていく。
 麻衣は一瞬、呆然としたようだけど、次の瞬間には拳を振り上げて、去っていく黒い背中に文句を投げつけているようだった。
  






 けれど、彼は振り返らない。







 麻衣は肩を落として、自分の荷物と渡された荷物を抱え、足取り重く道玄坂を上っていった。







「信じられない……。アレが普通なの?」
 あっけに取られて二人の姿を見ていた美沙が、遠くなっていく麻衣の背中を見ながらポツリと呟いた。
「逆だよね?彼氏が彼女の荷物持つのが普通だよね?」
「しかも、あれってめっちゃ重そうじゃない??」
 よたよたとよろめく麻衣の後姿。
 しかし、それを麻衣に押し付けた黒衣の麗人の姿はすでに無し…。







「鬼だ…」
 その呟きが漏れたのは、いったいどちらの口からだっただろう?
「……うちの方がマシかもしれない…」
 麻衣が愚痴っていた以上の冷徹ぶりに、二人は自分の彼氏の優しさを心底よかったと思った。











              ブラウザでお戻りください