オレは猫を一人飼っている。






 小さな柔らかい動物ではなくて、猫の性質を持つ、人によく似た気高い獣を…。
 







 オレの猫は、望美という名の凛とした美しい女の子。
 真っ白な耳と長くしなやかな尻尾。背の半ばまで伸ばした髪は藤色がかっている。
 望美はオレと同じ年頃の、背筋の通った綺麗な白猫だった。
 






 どうしてオレが望美を飼うようになったかは、色々と事情があるが、オレ達は同じ屋根の下にいながら、それぞれのスタンスで勝手気ままに暮らしていた。
 可愛らしい外見とは裏腹に、望美はあまりかまわれるのを好まないらしく、オレに甘えてもこない。
 嫌われていないのは、彼女に触れられても拒まれないから分かるのだが…。
 彼女はクールで、心優しい猫でもあった。
 気高く意地っ張りな甘え下手だけれど、人の事など気にしていない振りをしつつも、こっそりとオレを気遣ってくれていたりして望美はとても可愛い。
 人間の女の子より、ずっと綺麗で意地っ張りで純真な望美が、オレはかなり気に入っていた。







「ただいま」
 数日ぶりに帰宅した自宅マンション。
 仕事がつまっていて、自宅に帰る時間もなく、仕事場に篭っていた所為だ。
「にゃあ…」
 オレが帰ったことに気づいた彼女の小さな鳴き声。
 駆け出してくるとか、そんなことはしないけれど、愛らしい鳴き声はオレにお帰りと言っているようだ。
 彼女の声がしたリビングに行くと、望美はいつもの定位置のソファの上で寝そべって、少し心配そうな眼差しをオレに向けた。
「ただいま。望美」
 軽く指先で望美の喉をくすぐると、彼女は気持ちよさそうに目を細めて喉を鳴らした。
「留守番、ありがとな」
 猫とはいえ、女の子を一人にしてしまうのは気が引けたが、彼女が家にいてくれるから安心できたのも事実。
「にゃ」
 望美はどういたしまして、と短く鳴いた。
 







 久々に彼女の食事を用意してやろうと冷蔵庫を開け、オレはらしくなく固まってしまった。
 ………まったく、この猫は……。
「望美、お前……」
 オレが何を言いたいのか分かった望美が、つーんと顔をそらす。
 その気取った高慢な表情さえ可愛らしいと思うのだから、オレも大概バカなんだろう。
 だが、いくら望美でもこれは許せない。
「お前…。何食べて生きていたんだ?まさかダイエットとか言わないよな?」
 オレがしばらく帰れないからと、望美に用意していた食料がほとんど減っていない。
 ほぼ手付かずだ。
 望美は猫だが、知能は人に近いものがある。
 一般の電化製品は扱えるから、レンジで冷凍物を温めるなんてお手のモノだ。
 しかし気質は獣。火を怖がるため、料理は出来ない。
 だから、ちゃんとすぐに食べられるものを用意していたのに……。
「望美!」
 オレが怒ってみせても、彼女は面白くなさそうに尻尾を揺らし、左右の足を交互に曲げ伸ばしするだけ。
 食べなかった理由を答える気も、反省する気もないらしい。
 そんな我侭な彼女に、オレは溜息を吐いた。
 まったく、いったいなんなんだよ…。
 とりあえずオレは、数日間絶食に近い生活を送っていたはずの白猫に、食事を作ることにした。








「ほら、リゾット。お前がちゃんとメシ食ってたら、チキン焼こうと思ってたのにな。熱いから冷めるまで待てよ」
 かたんとわざと音をさせ、リゾットをテーブルに置くと望美の白い耳がピクンと震えた。
「にゃあ?」
 テーブルに目を向けた望美が、不思議そうに小首を傾げて鳴いた。
 そして何かを問うように、つぶらな瞳でオレを見上げる。
 望美が何を言いたいか分かったオレは、彼女を安心させるために軽く笑ってみせた。
「オレはシャワーを浴びて寝るよ。ごめんな」
 望美がこの部屋に来てから、食事は一緒にとっていた。
 それが、望美の分しか用意しなかったから驚いたのだろう。
 でも今、オレが求めているのは睡眠だ。
 オレは望美の頭を軽く撫でつけてから、リビングを後にした。








 シャワーを浴びて、オレは寝室に直行した。
 そして倒れこむように、ベッドに身を投げ出す。
 仕事場では、ソファで仮眠を取る程度だったから思いきりリラックスなんて出来なかった。
 やっとこうして、身体を思う存分休められる……。
 そう思ったのだが……。
 暗闇で目を閉じていても、オレが求めている深い眠りはなかなか訪れなかった。
 うとうとするのだが、すぐに意識が覚醒する。
 どうやら身体が疲れすぎているらしい。
 でもいつかは訪れるはずの眠りを期待して、オレは寝室の闇の中でじっと目を閉じていた。









「にゃ……」
「?」
 かすかに聞こえた寂しそうな鳴き声。
 望美だろうか?まさか…?
 媚びる事を知らず、可愛げがないと言われて、次々と飼い主が変わったという彼女が?
 それでも決して人に甘えなかった彼女なのに?
 人に触られるのを嫌がり、一人を好む彼女が寂しい?








 まさか……。








 目を閉じたまま望美の鳴き声を聞きつつ、彼女のことを考えていたら、寝室のドアが静かに開いた。










「にゃあ」
 小さな鳴き声だが、他に音のない寝室に意外と大きく響いた。
「にゃ…」
 望美自身、その声の大きさに驚いたのだろう。申し訳なさそうな小さい鳴き声をもう一度あげた。
 オレはまだ寝ていなかったから起き上がってもよかったけど、望美が何をするのか興味があって目を閉じたまま、寝たふりを決めこんだ。
 まあ、目を開けるのが面倒でもあったんだが。
 望美はしばらく入り口で戸惑っていたようだけど、やがてそっとオレの寝室に踏み込んでくる気配がした。
 珍しいというより、初めてだ。
 望美がオレの寝室に入ったのは。
 彼女が暮らすのはリビングで、寝るのもリビングにあるソファベッドだからオレの寝室には用がない。
 それなのになぜ…?










 望美はベッドの傍まで来ると、床に座り込んだようだった。
「にぃ…」
 様子見のつもりか、望美の手が、つんつんとオレの手を突付く。
 オレがそれでも動かないのを見て、望美はオレの手の平を爪を引っ込めた指先でそっと撫でていった。
 その触れ方が、男をその気にさせる絶妙なもので、正直オレは驚いてしまった。
 指先だけでオレを驚かすなんて女、今までいなかった。
 まったく、なんて猫だろうか?
「に…」
 望美は小さく鳴いて、さっき指先で撫でたオレの手のひらに、ことんとその頭を乗せた。
 そして彼女は、ほぅ…と深く息を吐いたんだ。
 まるで、いや、確実にオレに甘えている仕草。
 薄く目を開けて望美を窺うと、彼女は目を閉じ微笑を浮かべて、オレの手に頬を擦り付けている。
 普段のクールな望美からは考えられない、甘い女の子らしい可愛い仕草。
 オレがいなくて寂しかったのだろうか?
 平気なふりをしていながら、食事をする気も起きないくらいに?
 意地っ張りな可愛い猫に、オレの胸が熱くなる。
「望美…」
 オレが名を呼ぶと、望美の耳がぴんっと立ち、慌てふためいて身を起こした。
 駆け出して逃げそうになる彼女の身体をすばやく手で掴んで、オレは彼女の身体を力で引っ張り寄せた。
 ぽすんっとオレの胸に、彼女の頭がぶつかる。
「にゃー!にゃあ!!」
 嫌がってか恥ずかしがってか、ばたばたと暴れる彼女の身体をオレは全身で抱きこんだ。
 あたたかく柔らかい女の子の身体に、ほっとする。
 彼女独特の甘い匂いにも…。
 数多くの女を抱いてきたけれど、女の身体を抱きしめただけで安心するなんて初めてだ。
 でも、悪い気分じゃない。
 オレは少しだけ腕に力を入れて、望美の抵抗を封じた。
「暴れるなよ。ちょっと望美に協力して欲しいんだけど…」
「に?」
 望美が暴れるのをやめてオレの腕の中で、不思議そうに見上げてくる。
 オレはそんな望美の頭へ、軽いキスを落とした。
「疲れすぎて眠れないんだよね。でも望美がこうしてくれてたら、眠れそうな気がするんだ」
 おとなしくなった彼女の身体を、オレは心地いいように抱きなおす。
「しばらくオレに付き合ってくれない?」
「……なぁ」
 望美は少し戸惑いながら頷いてくれた。
 こうやってお願いすれば、情の深いお前が嫌がらないと分かっているんだけどね。
「サンキュ、望美」
 オレは望美の身体を抱きこんで、再び目を閉じた。
 








「にゅ…ぅ」
 甘ったるい小さな鳴き声に誘われて、オレの意識が覚醒する。
 腕にかかる重みがごそごそと動いた。
「望美?」
「…ふにゅ…」
 返事のような声はあがったが、まだ目は覚めていないようだった。
 望美は身じろぎしながら、無意識に寝心地のいい体勢を探しているらしい。
 どうやら望美はオレのお願いをきいてくれて、そのまま眠ってしまったようだ。
 無防備な可愛らしい寝顔を、オレは初めて見たことに気づいた。






 望美はこの家の中でも、最低限の警戒を解かず、寝ていても物音ですぐに目を覚ます。
 だから、オレがリビングに入る時が、たとえ何時であろうと、望美は起きてオレを見ていた。
 そんな望美がオレの腕の中で、気持ちよさそうに眠っている。
 気高い獣に懐かれるのは気分がいい。
 それに望美はとびっきりの女の子だ。
 彼女の髪に顔を埋めると、甘いいい香りがした。






「にゃあ…」
 望美が小さく鳴いて、きゅっとオレに抱きついてくる。
 そしてオレの胸に擦りついて、ほんわりと安心しきった笑顔を浮かべたんだ。
「……望美、お前ヤバイよ」
 情事の後のような甘えた仕草が可愛くて、オレは溜息をこぼした。
 腕の中にいるのは猫なのに……。
 女よりオレの胸を熱くする。
「オレもヤキが回ったか?」
 オレは自嘲しながら望美の髪を撫で、彼女は目覚めるまでもう一度望美を抱きしめて眠ることにした。






 彼女の香りに包まれて、甘い夢が見られるだろうか?













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