※ ご注意!!
目次でも予告していた通り、最終話は、年齢制限はつけていませんが艶シーンがあります。
苦手な方はご注意願います。
二人の間を夜風が流れていく。
言葉にしてしまえばなんて簡単な一言。
ずっと一緒にいたいとか、大好きだとか、言いたい事はいっぱいあるのに、それしか口に出来なかった。
続く沈黙に顔が上げられない。
身体が、足が震える……。
ヒノエの前から逃げた自分が、また姿を現して勝手なことを言うなと、彼は呆れているかもしれない。
そう思ったら、全身から力が抜けていきそうなほど怖かった。
「望美……」
ヒノエが吐息だけで笑ったのがわかった。
「……」
「泣かないで…」
ヒノエは頭を下げたままの望美の頬に触れた。
濡れた頬、小さな唇の震えが手に伝わってくる。
この手に触れる温もりは夢じゃない。求めて焦がれ続けたもの……。
ヒノエは万感の想いをこめて愛しい女の身体を、そっと抱き寄せる。
「ヒノエくんっ」
守りたいと思った愛しい細い体。
ヒノエの腕から幻のようにすり抜けてしまったその存在が、今また腕の中にある。
ヒノエは抱きしめた望美の頬に手を添えて、顔を上げさせた。
涙で濡れるその瞼に、ヒノエが優しい口付けを落とす。
「おいで……」
ヒノエがそっと望美を誘う……。
「別当殿!お帰りなさいませ。書状が届いています」
熊野別当の帰りを待ち構えていた者が、ヒノエの帰還に気付いて声をかけてくる。
「後だ」
だが、ヒノエは望美の手首を握って邸をどんどん奥へ歩いていく。
いつもならすぐに仕事にかかる別当の珍しい態度に、邸の者が訝しげに首を捻った。
しかも日頃女性に甘い声をかけても、熊野別当としての自分には近づけさせないヒノエが、女を連れている。
そのことも周りの者達を驚かせていた。
「別当殿?」
間抜けな顔を晒す皆に、ヒノエは悪戯っぽく口の端を上げた。
「ぼーっとしてねぇで、祝言の用意でもしやがれ」
「は!?頭領??」
頭領の爆弾発言に、一瞬周りの者の動きが止まる。
ヒノエはにやりと笑って、ずっと手を引いてきた望美の肩を皆に見せ付けるように抱き寄せた。
「喜べ。俺はこいつを嫁に迎える。これでお前らの肩の荷も下りたろう?」
常日頃、熊野別当として身を固めろと言われ続けていたヒノエが、まるで他人事のようによかったなと無邪気に笑う。
しかしヒノエの結婚宣言に、一番驚いたのは邸の者ではなく望美本人だった。
「ヒノエくん!?」
たしかにお嫁さんにしてくださいとは言ったけれど。
まだ、ヒノエ自身からは、はっきりと返事を貰ってなかった。
それなのに……。
望美がヒノエを仰ぎ見ると、彼は愛しげに目元を和らげて望美を見つめかえしてくれた。
「別当殿!しかし、いきなり祝言とは…」
確かに身を固めろと言っていた。
だがそれは、それなりの身分の女とだ。
熊野を守る別当の相手が、誰でも良い訳ではない。
別当の結婚は、熊野全体に関わることなのだ。
しかしヒノエは周りの慌てぶりにかまわず、楽しそうによろしくと手を振る。
「今すぐここで、とは言わねーよ。ま、今すぐだと、俺も困るしな…」
「しかし書状は…」
「後回しだ」
「別当殿!」
どんなに抗議しても、ヒノエはその書状を受け取らなかった。
後で目を通すと言って…。
ヒノエは慌てふためく者たちに、機嫌よく笑いながら背を向けた。
「ヒノエくっ…」
ヒノエに連れられて部屋に入ったとたん荒々しく抱きしめられ、望美の声はヒノエの唇に奪われた。
ヒノエの肩から、羽織っていた上着が滑り落ちる。
「んっ…」
「望美……」
突然の激しい口付けに戸惑う望美の唇を、ヒノエが貪るように味わう。
望美に息をつく暇さえあたえず、舌を絡め思う存分…。
そして不埒な手は、望美を抱きしめながらゆっくりとその身を包む着物の帯を解いていく。
「待っ、て…」
口付けの合間に、苦しげに望美が呟いた制止もヒノエの激情を止めることはできない。
「待ったさ。…一年もね…」
ヒノエは切なげに眉を寄せ呟くと、再び望美の唇を塞いだ。
手加減無しの激しい口付けに、望美の身体から力が抜けていく。
ヒノエは崩れていく望美の身体を支えながら、ゆっくりとその身体を横たえた。
激しい口づけに息を乱す望美の前髪を、ヒノエがそっと掻きあげて額に唇を落とす。
そして僅かに苦く笑った。
「余裕が無いって笑っていいぜ……。でも止まらねぇ……」
しゃらりと金属製の音がして、ヒノエは常に身につけている首飾りを外し、ことりと床に転がした。
「ふ……、う、んっ」
望美はヒノエの大きな手に頤を掴まれて、絶え間なく口付けられる。
「望美…」
「んんっ」
唇が痛くなるほど何度も何度も深く貪られて、望美はかぶりを振って逃れようとした。
でもヒノエの腕の力がそれを許さない。
まるで離れていた時間をすべて取り戻すような、激しく長い口付け。
混ざり合って溢れた唾液が、望美の頬を濡らしていく。
「お前もオレに飢えてた?」
望美の反応を感じ、ヒノエがにやりと笑う。
ぎりぎり唇が触れる程度に離れて、ヒノエは意地悪く望美に言った。
「……バカっ」
涙に濡れた瞳が、ヒノエを甘く睨みつける。
その表情がヒノエをより煽ることを、望美は知らない。
「そんな憎まれ口も可愛いって思うから、重症だよ、オレは」
くすくすと笑いながら、誘うように赤く色づいた唇に己のそれを重ねた。
この唇から一年前に、決別の言葉を聞いた。
それは今でもヒノエの耳に残っている。
もし今また、この果実のような唇から紡がれてしまったら……。
望美の告白を聞いても、心のどこかでそれを恐れて口付けを止められない。
別離を告げたこの唇を塞いでしまえば、それを望美が口にすることはできないから。
息も絶え絶えに、それでも応えてくる望美が愛しくてたまらない。
けれど一年前、還ることを選んだ彼女が、どうしてこの世界に再び突然現れたのか。
望美の真意が分からなくて怖い。
お嫁さんにして、と言われたけれど、それを素直に信じるには、あの別れがヒノエを深く傷つけすぎていた。
再びこの手の中に落ちてきた愛しい女を逃がしたくなくて、みっともなく焦っている。
余裕を見せて望美をからかう振りをして、こうやって全身で望美を縫いとめている。
早く自分のものにしなければ、また天に帰っていくんじゃないかと……。
望美の温もりを身体で感じながら、ヒノエは身の内を苛む喪失感に震えていた。
「んっ、あ……」
身体の奥を深く探られ、望美の唇から濡れた喘ぎが零れる。
「熱いね……。気持ちいい?」
「ん…」
湧き上がる熱と羞恥に顔を赤くしながらも、望美は眉を寄せながら素直に小さく頷いた。
ヒノエが与えてくれる刺激は、望美を高揚させる。そしてずっと求めていたヒノエに心も身体も満たされていく。
「ヒノエくん……」
足りないと言外に含ませて口付けを強請る仕草が可愛い。
ずっと求めていた。
物分りのいい振りをして手放してしまった唯一の女を、未練がましく想い続けていた。
二度と手に入らないと、諦めなければならないとわかっていながら、諦め切れなかった。
その女が今、自分の腕の中にいる。
求め続けた最愛の女が……。
「望美……」
巧みな愛撫も、前戯もない。
ただ早く繋がりたい。
失ったと思っていた愛しい存在に、自分を再び刻み付けたい。
そしてもう二度と離れられないよう、がんじがらめに縛り付けてしまいたい。
その想いが、ヒノエから余裕を奪っている。
ヒノエは身体の下に敷かれた着物をギュッと握りしめる望美の手を取り、その指先に口付けた。
「お前もオレを感じて……」
「ヒノエくん……、あぁっ」
身の内を焼くような熱さを感じ、望美は声をあげて仰け反った。
「わかるかい?オレが……」
「う、ん…。ヒノエ、くんだね…」
息を乱しながら、望美がふわりと笑う。
その笑顔が夢のように儚くて、ヒノエは拭いきれない喪失感を払拭しようと乱暴に望美の唇を奪った。
隙間が無いくらいどこもかしこも繋がって。
それでも足りなくて望美のすべてを求めて……。
「望美…」
「もう……、許して……」
息も絶え絶えに、懇願する望美の声。
力の入らない手でヒノエの胸を押し返すが、ヒノエは軽く笑ってその手を押さえつけた。
「や……」
「ダメだよ…。許さない…」
言葉とはうらはらな、蕩けるような優しい声は、毒のように望美の身体に染みこんでいく。
ヒノエの甘い拘束は、望美が気を失うまで解かれる事は無かった。
激情のまま翻弄されて意識を失った望美を見ながら、ヒノエは情事の後の気だるい身体を起こした。
部屋にあった夜着を軽く纏い、脱ぎ散らかした望美の着物を掻き集める。
そして、それらを一枚ずつ丹念に調べていった。
少しずつ、生地を握って何かが縫いこまれていないかまで、丁寧に。
笑みを消した厳しい表情で、ヒノエは目的の物を見つけようと指の先に意識を集中させていた。
「これか?」
袂の中にあった、小さな貝殻のような欠片。
それと似たものを、ヒノエはかつて見た事があった。
黒龍の逆鱗を。
だがこれは淡く白い燐光を放ち、ヒノエの知っている黒龍のものとは違っていた。
「これが天女の羽衣、ね……」
ヒノエは見つけ出した逆鱗を見つめ、昏く笑った。
望美を手加減なしに抱いたのは、自分に余裕がなかったのもあるが、気を失わせるつもりでもあった。
望美がどうしてもう一度、ヒノエの前に現れることが出来たのか。
それは白龍の逆鱗を、望美が隠し持っているからだ。
ヒノエは望美が向こうへ還る前、白龍と逆鱗について話しているのを偶然耳にしていた。
そしてそれを白龍に返そうとしていた望美の手を、白龍がそっと押し戻したことも。
あの時、逆鱗を白龍が受け取らなかったから、望美は逆鱗を使って今ここに現れた。
そして望美を本当に手に入れる為には、それを望美から奪ってしまわなければならない。
ヒノエはそう考えたのだ。
だからそれを探す時間が欲しかった。
幾度も抱いて、彼女の隅々まであますところなく、手と舌で触れて、肌には身につけていないと確認した。
残るは身に纏っていたものだ。
そして見つけた。
白龍の逆鱗を。
天女を欲した男は、羽衣を隠した。
しかしヒノエは隠すなど、中途半端はしない。
本当に欲しいなら、絶対に還れなくすればいいのだ……。
望美がもう二度と還れないよう、この逆鱗を破壊してしまえばいい……。
「…ヒノエくん?」
自分本位の昏い思考に捕らわれていたヒノエは、不意に小さく呼びかけられ僅かに身体を揺らした。
「望美…」
ヒノエは持っていた逆鱗をさりげなく手の中に握りこみ、いつもの笑みを浮かべ望美の側に寄った。
「どうした?」
「ヒノエくん……」
薄く差し込む月明かりの中で、望美はただヒノエの名を呼んで、彼に向かって手を伸ばす。
ヒノエは首に回された望美の腕をそのままに、彼女の求めに応じて背中を支えて起こしてやった。
「寒くないかい?」
ヒノエは裸の望美の肩に、引き寄せた着物をかけた。
「大丈夫…」
望美は笑って、ヒノエの首に抱きついた。
「望美?」
「戻ってきたよ、私……。ヒノエくんが、好きだから…」
「望美…」
「ヒノエくんは?まだ私を好きでいてくれる?」
あれだけ激しく抱いた自分に聞くかな?
ヒノエは自分の余裕のなさを思い出して苦く笑った。
「好きだよ」
この逆鱗をお前から奪ってしまうほどに……。
ヒノエは、握り締めた逆鱗の感触を確かめる。
望美はヒノエの言葉に、心底嬉しそうに笑った。
その微笑にひかれて、ヒノエがまた唇を寄せた。
くすくすと笑いながら、優しく触れるだけの口付けを繰り返す。
時折、舌先だけを触れ合わせ、お互いを焦らしあって……。
望美はそれを受けながら、ヒノエの引き締まった肩から腕、そして握った拳へとゆっくり肌の感触を確かめるように撫で下ろしていった。
白龍の逆鱗を握り締めた手に触れられ、ヒノエの拳に思わず少しだけ力が入る。
望美は唇を少しだけ離して、ヒノエの瞳を見つめ笑った。
「……逆鱗、見つけたんだね」
「っ、望美……」
気付かれた、とヒノエが微かに目を瞠る。
だが、望美は微笑を湛えたまま、ヒノエが逆鱗を握りこんだ拳を軽く撫でた。
「出して?」
有無を言わせないとはこのことか。
望美の笑顔はヒノエに拒絶を許さなかった。
ヒノエはひとつ息を吐くと、そっと握り締めていた手を開く。
ぱらりと床に舞い落ちた白龍の逆鱗。
望美は、それを拾おうとはせず、そばにあった短剣を拾い上げた。
それはヒノエが護身用として、常に隠し持っているものだった。
「望美っ!?」
止める間もなかった。
望美は短剣を鞘から抜き去ると、ヒノエの前で躊躇いもせずにその切っ先を逆鱗に振り下ろしたのだった。
しゃりーん……
涼やかな音をたてて、逆鱗は砕け散り、小さな欠片となって輝きながら空中に融けていった。
光が舞い上がるように。
天に昇る光の粒を見つめ、望美が晴れ晴れと笑う。
「もう、時空は超えられないね……」
「望美、お前……」
一瞬の出来事に言葉を失ったヒノエを、望美は強い意志を秘めた眼差しでまっすぐに見つめた。
「私、ハンパな気持ちで戻ってきたんじゃないよ?」
「………」
「たとえ、ヒノエくんが私を受け入れてくれなくても、私はこっちで生きていくつもりだったから」
「望美?」
「向こうでね、逆鱗を白龍に返せなかったの。でも、こっちなら躊躇いなく返すことができた。譲くんが私に教えてくれたの。『逆鱗を返せる日がすべての区切り』だって」
ヒノエは望美だけを見つめていた、彼女の幼馴染みを思い出した。
いつも望美に甘い言葉を囁くヒノエは、彼によく睨まれていた。
望美が還ると決めた時の、ほっとした表情が忘れられない。
その彼が望美の背中を押した…。
「譲が…?」
「うん。譲くんがいてくれたから、私はここに戻る勇気が出来たの。……譲くんには、ずいぶん甘えちゃったけど」
切なげに微笑む望美に、ヒノエはそっと手を伸ばした。
「そしてお前はこちらを選んだのかい?」
「うん。向こうで生きていくんだって思っていたけど、私はやっぱりこっちじゃないとダメみたい。……ヒノエくんのそばじゃないと……」
「望美」
ヒノエの逞しい胸に抱き寄せられ、望美はその背にぎゅっとしがみ付いた。
望美より少しだけ高いヒノエの体温。
その温もりに包まれて、ヒノエの元へ戻ってきたのだと実感する。
ずっとずっと目をそらして、気付かないようにしてきた、自分の本当の心。
運命を変えた罪悪感が無くなったわけではないけれど、それでも止められなかった。
ヒノエへ強い想いが……。
何をしても、生きていて欲しいと願った人。
きっとヒノエは望美にとって、変えられないただ一人の運命の人。
「もう二度と消えないでくれ…」
何かを恐れるように小さく呟かれたヒノエの願いに、望美はしっかりと頷いた。
「もう離れない。好きよ、ヒノエくん……」
心の底から溢れ出した望美の想いは、ヒノエの唇に直接伝えられた。
<終>
長い間のお付き合いありがとうございました!
サイトにUPするにあたって、年齢制限を取っ払おうと思ったので最終話はてこずりました(笑)
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。