『逢えない時間、知らないあなた』









 それはある日の昼下がり。
 いつも撮影やショーで忙しいトップモデル友雅の久々の完全オフと、あかねの振替休日が重なった日だった。
 恋人とはいえ、片や超有名人、片や現役女子高生。
 逢うことさえままならない二人の、のんびりと過ごせる短い時間。
 あかねは昨夜から、友雅の部屋で甘い時間を過ごしていた。






 
「その話は前回、丁重にお断りしたはずだよ、鷹通」
 ソファーにくつろいで、あかねが作るランチを待っていた友雅に掛かった、突然の電話の主はエージェントの鷹通のようだ。
 キッチンで鶏の胸肉を開いていたあかねは、友雅の不機嫌そうな声に、こっそり顔を覗かせた。
 あかねの視線の先で友雅が、溜息とともにゆったりと長い足を組み変える。
「……事務所の都合など関係ないよ」
 長い髪を片手でかきあげ、友雅はうんざりと首を振った。
「煩わしいのはごめんだ」
 電話の向こうでは、きっと鷹通が真剣に友雅を説得しているのだろう。
 それこそ、理路整然と。
 しかし、相手は友雅だ。
 どんなに大きな仕事でも、自分が気に入らなければ平気で蹴ってしまうことを、あかねは友雅の後輩である自分の兄からよく聞いていた。
 あかねはキッチンへ顔を引っ込め、開いた鶏肉に白ワインや塩コショウで味をつけ、そのうえにハム、チーズ、すでに火を通したさやいんげんをのせてクルリと巻いて、ラップで包んだ。
 それをレンジに入れ、時間を設定する。
 あとは待つだけになり、あかねはキッチンを離れてリビングへと足を向けた。








「どう言っても無駄だよ。取材はお断りだ」
 きっぱりはっきり、宣言し、電話口で怒鳴る鷹道の声を、友雅は回線ごとシャットアウトした。
「嫌なお仕事?」
 キッチンから出てきたあかねは、エプロン姿で面白そうに首を傾げる。
 その可愛らしい出で立ちに、友雅は眩しげに目を細めた。
「もう出来たのかい?」
「あと少しです」
 伸ばされた腕の中に、あかねは逆らわず、そっと倒れ込むように腰をおろした。
 髪に軽いキスが落とされると、あかねは照れくさそうに頬を染めた。
 一晩中、友雅の腕に包まれていたのに、やっぱりここは居心地がよくて、ずっとこうして柔らかく抱きしめていて欲しくなる。
 あかねはうっとりとして、でも心の中に沸いた興味はそのままで友雅を見上げた。
「また仕事、断ったんですね?」
「・・・人聞きの悪いことを言わないでくれないかい」
 友雅が、さも嫌そうに顔をしかめるので、あかねは思わず声をあげて笑ってしまった。
「だって、本当のことでしょ?あの写真集も断られ続けて困ったって、お兄ちゃんが言ってたもん」
「今は受けてよかったと思っているよ?」
 悪戯っぽく言って、友雅は軽くあかねの鼻を摘んで揺らした。
 友雅のちょっかいに、あかねがプウッと頬を膨らます。
「もう!当たり前です。あの撮影がなかったら、友雅さんと出会ってないですから」
「そうだね・・・・」
「そうです!・・・ところで、昔話で話題を変えようとしてもダメですよ。さっきの仕事、どんな仕事なのか聞いてもいいですか?」
「・・・つまらないものだよ」
「それでもどんなお仕事がくるのか、ちょっと知りたいです。だって、友雅さんの世界は想像がつかないですから」
「そんなものかねぇ・・・・」
「友雅さんが、嫌がる仕事ってなんですか?」
 キラキラとした期待に満ちた目で見つめられ、友雅は苦笑を禁じえなかった。
 友雅は愛し気に、指通りのよいあかねの髪を梳きながら言った。
「密着取材」
「はっ?」
「テレビ番組の密着取材だよ。ミラノかパリコレを取材したいらしい。まったく変な事を企画するものだ・・・・」
「見たい!!」
 突然、あかねが友雅の胸から体を起こし叫んだ。
「あかね?」
 驚いたのは友雅。
 大人しく甘えていたあかねが、いきなり掴みかからんばかりの勢いで、友雅をずいっと覗き込んだのだから。
「見たい、見たい、見たいです〜!!コレクションの裏の友雅さん!」
「裏といってもねぇ・・・。面白い事は無いと思うが・・・」
「友雅さんにとっては面白くなくても、私には面白いです!見たいです!!」
「何を見たいのかい?コレクションは華やかだけれど、舞台裏はそうでもないのだよ?オーディションやフィッティング、リハーサル風景を見ても仕方ないだろう?」
「違います!それこそ、私が見たい友雅さんです」
 拳を握って力説するあかねに、友雅は気圧され気味だ。
 あかねは友雅の膝に乗り上がらんばかりの勢いで自分の想いを語った。
「きっとね、私が友雅さんの世界に触れることは無いと思うんです。東コレだって、私には遠い世界の出来事で・・・・。『友雅』として世界で活躍する友雅さんが誇らしくて、でもどこか寂しくて・・・。だから私の知らない友雅さんを知りたいんです。遠い国でどんな仕事をしていても、スポットライトの真ん中に立っていても、私の知っている友雅さんだって確認したい。・・・・これって我儘ですか?」
 最後の言葉は申し訳なさそうな小さな声だった。
 友雅を知りたいと思う心。それを正直に語ってくれる素直さ。
 恋の機微もわからない少女なのに、無意識の行動すべてが友雅を惹きつけてやまない。
 この年下の恋人に友雅が勝てる日は、きっとないだろう。
 友雅は、深く息を吐いて、白旗を掲げた。
「わかったよ。そんなにあかねが言うのなら、この仕事を引き受けよう」
「えっ!本当ですか!?」
「本当だよ。明日、鷹通に連絡しよう」
「やったぁ!ありがとう!!」
 満面の笑みで手を胸の前で合わせ、祈るような姿で喜ぶ無邪気なあかねがあまりに可愛らしくて、つい友雅に悪戯心が沸き起こる。
「ところで、あかね」
「はい?」
 友雅はやけに神妙な顔つきで、あかねを見つめた。
 それにつられて、あかねの背筋のピンと伸びる。
「見返りはないのかな?」
「は?見返り??」
「そう、気の進まない仕事を引き受ける見返り」
「・・・・とっっっっっても嫌〜な予感がするんですが?」
「簡単なことだよ」
「きゃぁ!!」
 言うが早いか、あかねは背中を友雅に攫われるように抱かれ、体勢を崩した反動でソファーの上に押し倒された。
「ちょっ、ちょっと、友雅さん」
「あかねの我儘をきいてあげるのだから、このくらいなんでもないだろう?」
「あるに決まってます〜!!」
 こんな明るい昼の光の中、いくらなんでも恥ずかしいに決まっている。
 友雅の戯れを笑って許せるほど、あかねの経験値は高くなかった。
「あかね・・・」
「い〜や〜で〜す〜」
 迫り来る友雅の顔を、あかねは必死に押し返して拒む。
 しかし力で友雅にかなうはずが無く、あかねのエプロンの下に忍び込んだ手が、やわやわと妖しい動きで苛んでくる。
 うっすら涙が浮かんだ瞳を、ギュッとつぶって、友雅の唇を覚悟した瞬間。




 チ〜ン♪





 間の抜けた甲高い音が、一瞬友雅を脱力させた。
 その隙を逃すあかねではない。
 友雅の体の下から、すばやくすり抜けると慌ててキッチンへと小走りに逃げていった。
「お昼、すぐできますから!!」
 そんな言葉を残して・・・・





 ソファーの上に残された友雅は、温もりを失った腕をじっと見下ろし、不敵に微笑んだのだった。
「ふふ・・。デザートは食後と決まっているからね・・・」
 その前に、腹ごしらえだ。
 友雅は食事のセッティングを手伝う為、キッチンへと足を向けた。






 友雅の密着番組がゴールデンタイムに放送されるのは、もう少し先のことである。






                                   <終>
                                   02.10.31




久しぶりの更新です。(汗)
しかも、短いし・・・・。いや、いつも短いか。
これは、モデル友雅さんのお話です。
何となく出来て、勢いで書き上げました。
楽しんでいただけたら、とてもうれしいです。




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