『舞台裏』
「・・・・おまえ何してるんだ?」
風呂から出て、ビールを片手にリビングへと向かった慎が見たのは、正座した膝にリモコンを置き、背筋を伸ばしてTVを見ているあかねだった。
時刻はあと3分ほどで、19時になるところだ。
TVの下のビデオデッキは、ちゃんと録画予約のランプが点灯している。
「お兄ちゃんには関係ないよ〜だ」
舌をちょっと出して憎まれ口を叩く妹に、慎は深く溜息を吐いた。
「・・・・・・先輩の番組、今日だったのか・・・・」
あかねの態度で何を心待ちにしているのか、すぐに分かってしまった。
慎の大学時代からの先輩であり、不本意ながら妹の恋人でもある、橘友雅の密着取材番組の放映だ。
派手な世界にいるくせに、雑誌やTVなど記録に残る物の出演は片っ端から断りまくる友雅が、何故密着取材などもっとも煩わしいものを受けたのか、慎には今でも不思議でならなかった。
「お前、見るのならビデオ必要ないんじゃないのか?」
どうせ無駄と思いつつ言ってみたりする。
案の定、あかねは不機嫌そうに眉根を寄せた。
「せっかく友雅さんが見せてくれるコレクションの舞台裏だよ?保存しなくてどうするの。もう二度とTVの仕事はしたくないって言ってるのに」
あかねの言いように、慎が引っかかりを覚える。
(見せてくれるって、まさか・・・・)
「なあ、あかね?」
「何?」
「この番組について、何か先輩に言ったのか?」
「うん、言ったよ?海外で仕事してる友雅さんの姿が見たいな〜って。それがどうかしたの?」
不思議そうに首を傾げるあかねを、驚愕の思いで見つめながらも、平静を装って慎は首を振った。
「いや・・・、何でもない。それより始まるぞ」
「あ、本当だ!!」
再びきちんと座りなおしたあかねは、ピアノのオープニングメロディーが流れ出したTVを食い入るように見つめた。
その姿を見ながら、慎はソファに腰を下ろした。
(やれやれ、先輩もあかねには甘いなぁ・・・。写真集でさえ、残るものだからとあれ程嫌がっていたのに、よりによってTVとは)
TVではランウェイで見事なウォーキングを見せる友雅に重なって、オープニングタイトルとナレーションが入る。
『ミステリアスなメンズモデル、友雅。その素顔に迫る』
流れてきた陳腐な煽り文句に、慎は飲みかけていたビールを危うく噴出すところだった。
(な〜にが『ミステリアス』だよ。何も考えてないだけじゃないか)
一人、心の中で突っ込みを入れてみたりする。
「あ、これN.Yコレクションなんだ。ミラノかパリって言ってたのに・・・・」
番組のナレーションを聴きながら、あかねが呟く。
その内容から、あかねが企画段階ですでにこの話を知っていたことがわかる。
仕事であれなんであれ、他人を介入させることなど無かった友雅。
彼は優しい微笑みで人を魅了するが、誰よりも冷たい男だとも言われていた。
そんな友雅を昔から知っている慎には、あかねがそこまで友雅の近くにいるのは未だに信じられないことだった。
画面のなかでは、友雅の日本での様子も紹介されている。
「すっごーい!これって表参道のお店だぁ。オープニングパーティーってこんなにゴージャスなんだ・・・」
表参道に新たに出店した、フランスの有名ブランド店のオープニングパーティーへ出席する友雅をカメラが追いかけていく。
ライトアップされた宮殿のような建物に向かって、階段を上がっていく友雅。
パーティーでは、あかねでさえひと目でわかるようなセレブ達がグラス片手に語り合っている。
その中でも、友雅は一際目を引く存在だった。
美しく着飾った女優や歌手、モデル達が、ここぞとばかりに友雅へと声を掛けている。
友雅は、微かな笑みを浮かべ、彼女達の話に耳を傾けているようだった。
「む〜・・・、友雅さん、楽しそう・・・」
すでに慎がいることを忘れているのか、あかねは唇を尖らせて不機嫌に唸っている。
その姿を眺めつつ、慎はこっそりと笑う。
『あのつまらなさそうな目に気がつかないとは、あかねもまだまだ先輩に振り回されるだろうな』
カメラマンという職業柄、慎は瞳に浮かぶ表情や感情に敏感だ。
友雅はその持ち前のポ−カーフェイスで、綺麗に周りの人を騙すが、慎は意外とその瞳に隠された表情を読み取れることができる。
でなければ、誰が可愛い妹を(今までの女性関係が)悪魔のような男に渡すものか。
その美貌に母親がコロッと騙されようと、その口の上手さに父親が信頼しても、慎だけは反対しただろう。
友雅の瞳に、確固たるあかねへの愛情を読み取ったから、しぶしぶ許したし、あかねが泣けばこじれた糸を解す役だってやる。
しかし、友雅の愛情を一身に受けているあかねには、まだまだその自覚はないようだ。
友雅の視線の先の美女に、根拠のない嫉妬までしている。
面白いから黙っているけれど・・・・。
「あれ?」
しばらく黙って番組を見ていたあかねが、首をかしげて慎を振り返った。
慎はソファーで雑誌を読んでいた。
「お兄ちゃん」
「ん〜、どうした?」
「友雅さん・・・」
「はぁ?」
あかねはそれだけ言ってTVを指差していた。
慎は顔を上げ、あかねの指し示すモノに眼をやった。
そこに映し出されているのは、オーディション会場からフィッティングに向かう車の中でインタビューを受けている友雅だった。
スケジュールの書かれた書類を捲りながら、煙草を燻らせている。
慎はあかねが何を言いたいのか、まったく見当がつかなかった。
「何かあったか?」
「何かって、お兄ちゃん!!友雅さん煙草吸うの?」
「あれ?お前知らないのか?結構吸うはずだけどなぁ・・・」
あかねは驚きに眼をパチクリさせたまま、ブンブンと首を振った。
「知らない、全然見たこと無い!」
「おかしいな、二箱は軽いはずだけど・・・。あ、そうか!」
慎が合点がいったと膝を打つ。
「お前、気管支弱いからな」
「?」
「あかねがすぐ咳き込むから、お前の前では吸わないんだよ、きっと」
「でもでも、部屋でも灰皿とか見たことないよ!煙草の臭いもないもん!」
「・・・・うそだろ?」
「本当だよ!突然遊びにいっても全っ然臭わないよ」
「禁煙してるわけでもないしなぁ・・・。今度聞いてみたらどうだ?」
「そうしてみる」
あかねは、こっくり頷いて再び番組に目を向けた。
しかし、頭の中は煙草の事を考えている。
ほんの些細な事なのに、あかねの知らない友雅の嗜好が気になって仕方がなかった。
あかねは友雅に気管支が弱いことを話したことは無いはずだった。
でもまだ恋人になる前、『兄の先輩』の頃だって煙草を友雅の側で見たことはなかった。
(そういえば・・・・)
一番最初に出会った時、確かに煙草の臭いがした気がする。
ほとんどキス寸前の距離で友雅を見たから、その時はパニックでそんな事には気がつかなかったけれど・・・・。
(でもどうして隠してるのかな?)
番組内で、友雅は仕事の合間にはほとんど煙草を口にしていた。
慎が言っていた通り、かなり吸うようだった。
もしかしたら、今現在も吸っているのだろうか?
友雅は仕事で日本にいない。
「体に悪いのに・・・・」
あかねは溜息を吐いて立てた膝に頬杖をついた。
またひとつ、友雅の事を知った。
あといくつあかねの知らない事があるのだろう。
あかねの見つめる先で、友雅があかねには決して向けない冷めた笑顔でインタビューに答えてる。
『あなたがランウェイを歩く時、何を考えていますか?』
ありきたりな質問。友雅は微かに嘲笑の笑みを浮かべ答えた。
『何も・・。私はデザイナーが表現する服の一部に過ぎない。デザイナーが求めるまま歩くだけだよ』
『モデルとして、これから目指すものは?』
『目指すもの?そんなもの考えたことないな。あえて言うなら・・・・』
そこで言葉を区切って、友雅はそっと目を閉じた。
『ただ一人の人に、見つめていて欲しいだけ、かな?』
ふわりと掠めた柔らかな微笑。
友雅の不意打ちに、あかねはしっかりと固まってしまった。
「もう・・・。友雅さんは・・・」
TVの中の友雅に、顔を真っ赤に染めたあかねが小さく文句を言う。
「いつだって、私は友雅さんに夢中なのに・・・・」
何だかとても友雅に会いたくなってしまった。
あと数日で友雅が帰国する。
「迎えに行こうかな?」
そして友雅をびっくりさせてやろう。
きっと友雅は、少し驚いたあと蕩けるように甘い瞳であかねを見つめてくれるだろう。
あかねは、迎えに行く事を決めてパチリとTVを止めた。
「あれ?まだ終わってないだろう?見ないのか?」
「うん、今はいいよ。また今度ビデオ見る」
見ていたらとても逢いたくなったから・・・・。
「まず煙草の事聞かなくちゃね!」
<終>
02.11.24
さりげなく続いてるし(笑)
シリーズのようになってしまっている・・・。
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