うららかな春の陽気。
 包み込むような太陽の光に誘われて、あかねと友雅は散歩に出ていた。
 手には甘いお菓子に水筒に入った水。気の向くまま、足の向くままに、春に彩られた世界を眺めながらふたりで歩く。ちょっとした遠足気分だった。
「いい天気ですねー。気持ちいい」
 うんと腕を天に向かって伸ばしながら、あかねが言った。上にあげた腕から袖が滑って、素肌の腕が日の下に晒される。けれど、わずかに感じる熱も、寒い冬に凍えたあとの季節では、その感覚の変化に喜びすら感じられるものだった。
「まったくだね。たまにはこういうのも悪くない」
 友雅があかねの横をのんびりと歩きながら同意する。長い髪を一筋なでて通り過ぎる風も、その肌に春の匂いを移していった。
 ゆっくりと歩く速度で変わる景色は、それでも確実に季節の装いを変えていって新鮮だった。
 空の抜けるような青。
 そこに浮かぶ雲の白。
 光や風で細かく色を変える木々の緑。
 道ばたに咲く花の赤、黄、橙などのとりどりの色。
 自然の持つ全ての色が、鮮やかに目に飛び込んでくる。
 あまりに明るい世界に、友雅は少しだけくらくらと眩暈を感じそうになりながら、すっかりとその自然に溶け込んでのびのびと動き回っているあかねを見つめる。
 同じように隣をあるいていたはずなのに、すぐに興味のひかれるものへと足を向けては道を外れていくので、自然よりもあかね自身から目が離せなかった。
「うわぁ」
 そうして、少し先を小走りに進んでいたあかねが、歓声をあげた。
「どうしたんだい、あかね」
「友雅さん、これ見てくださいよ。すごーい、一面緑!」
 あかねの指さした先には、開けた空間に敷き詰められた緑と白。青々と茂ったシロツメクサが、自然の絨毯を織りなしていた。
「これは……壮観だねえ」
 友雅も、感心したようにそれを眺める。
 ひとつひとつを取ってみれば、ほんの小さな草花だ。殊更珍しいものでもないのかも知れない。けれど、これだけの量をもって迫られると、圧倒されるような大きさを示している。
 解放されたような感覚に、どこか居心地の良さを感じた。
「ねえ、友雅さん。ここでちょっと休憩していきませんか?」
 そんなあかねの提案を断ろうはずがない。
 少しだけその天然の絨毯を踏みながら中へと入り込み、遠慮がちにあかねが腰を下ろした。友雅もそれに並んで腰を下ろす。服が汚れるかもしれないという思いよりも、ふわりと身体を受け止める草の感触の心地よさのほうが上回った。
 シロツメクサの絨毯の中、つぶされた草から青い匂いが立ち上った。
「もってきたお菓子でも食べようか」
 持参した菓子を、伸ばした膝の上にひろげて二人でつまむ。ほのかな甘みが舌の上にのって、緩く心をほぐしてくれるようだった。
「おいしー。普通に食べるより、外でこうやって食べた方が美味しい感じがしますよね」
「そうだね、気分が違って面白いものだね」
「特別なことして食べると、やっぱり美味しいものなんですよ」
 あかねがほわと口元をほころばせる。
「本当に美味しそうに食べるね」
 くすりと友雅が笑って、その口元につまんだ菓子を運んだ。少し驚いて戸惑った表情を見せたが、あかねは結局それを友雅の手から食べる。
「美味しい?」
「……オイシイデス」
 どこか複雑そうな表情であかねが菓子を咀嚼しながら答えた。その頬がほんのり赤く染まっている気がする。
「特別なことをしたら美味しいんだろう?」
「でもなんか照れる……恥ずかしいかも」
 食べさせてもらう、などという普段は滅多にやらないことをすると、実際はそちらにばかり意識が行って味どころではない。けれど、照れと同時にうれしさのようなものも確かにある。
 せっかくの外出、なにがあるわけでもないけれど特別な時間。
 肩の力を抜いて、あかねはこの状況を楽しむことにした。
「……美味しいですよ?」
 上目遣いに反応を伺うように、あかねも友雅へと菓子を差し出した。








 背中にぽかぽかとした陽気が溜まっていく。
 お腹もいっぱい。
「なんか、このままお昼寝でもしたら気持ちよさそう〜」
 あかねがほわーっと睡魔が襲ってきそうな予感に、ゆったりと瞳を閉じる。瞼の向こうが太陽を映してほんのり明るい。
 と、膝のあたりに突然の重み。
「きゃ?!」
 閉じていた目を開くと、友雅の頭がその上にあった。
「なんなんですか、いきなり!」
「確かに昼寝にはちょうどよさそうだなと思ってね」
 膝の上からあかねを見上げるようにして、軽く片目を閉じる。
「もう、転がっちゃったら、着物汚れますよ」
「ああ、大丈夫大丈夫」
 あかねの忠告も気にした様子もなく、そのまま友雅はあかねの膝の感触を楽しんでいる。
「友雅さんってば」
「うん、少しだけ……ね」
 友雅は、そう言ってゆっくりと目を閉じる。
「あかねの膝は柔らかくて高さもちょうどいいね」
「……友雅さん専用枕ですから」
 くすりとあかねが笑った。そして、冗談めかして続ける。
「安眠できそう?」
「それはもう」
 瞳を閉じたままで友雅が微笑む。
 黙ったままでも居心地の悪くならない時間。
 一緒にいるのにひとりの時間を持てる。そして、確かに隣にその人がいることも感じる。そんな空間を共有できる相手は、そう多くはない。
 そうして、心地よい沈黙のもたらす安堵感を享受する。難しいけれど、見つけてしまえば簡単に得られる贅沢なのかもしれない。
 ただ、そこに相手がいるだけでいいのだから。
 そしていつしか、友雅はそのまますぅっと吸い込まれるように眠りに落ちてしまったらしい。
「あれ? 友雅さん?」
 話しかけても返事のなくなった友雅に、あかねがとんとん、とその肩の当たりを軽くたたいた。それでも返答はない。
「……お仕事で疲れてるのは知ってるけどさ……」
 放っておかれたあかねは、仕方ないなと小さく呟いた。ほんの少しだけ不満げな色が声ににじんでしまうのは仕方がないかもしれない。
 せっかくの春の休日、ふたりでゆっくりと会話をしながら過ごしたいと思っていたのに。
 言葉に出しても答えてくれる人もいない静寂があたりを包んだ。チチチ、と時折頭上を飛ぶ鳥の声だけがその静寂に入り込む。
 その辺を探索に行こうにも、膝の上に友雅がいては、動くことすら出来ない。
 ぽかぽかとした日差しに、膝には愛しい人の重み。
 ゆったりと流れる穏やかな時間。
 あかねは、あきらめにも似た苦笑をもらした。
「まあ、これもひとつのしあわせってやつかな」
 するりと、自分よりも長い友雅の髪を撫でる。癖のあるその髪は、それでもさらりとあかねの指を滑った。
「でも、ひとりじゃ退屈だよー。起きないー?」
 じゃれるように、少しその髪の一束をひっぱってみても、案の定起きたりはしない。
 これだけ自分の傍で熟睡しているというのは、友雅が気を許してくつろいでいてくれる証拠だと気づいたのは、いつのことだったか。初めのうちは、あかねよりも遅く寝て、早く起きて、寝顔すら見たこともないくらいだったけれど。
 まじまじと、日の光の下にさらされているその秀麗な寝顔を眺めてみる。
 男の人の割に、長いまつげに、かすめるように口づけてみた。
 むずがるように、二度三度、そのまつげが震える。
(あ、やば……)
 起こしてしまうかと、あかねはそっと息をつめたが、友雅は目を覚ますことはなかった。
 ほっと胸をなで下ろして、あかねはこれ以上ちょっかいを出して起こしてしまうようなことはやめようと思う。気持ちよさそうに寝ているのを無理に起こそうは思わない。つかの間の休息を壊さないように。自分のそばでくつろいでくれるのは、確かに嬉しいことだ。
 けれど、それをやめたところで、あかねには特にすることもない。
 自分も寝ようにも、この体勢では寝転がることもできないのだ。
 どうしようかと周りを見渡すと、目にはいるのはやはり一面の緑ばかりだ。
「あ、そうだ」
 あかねは、ぽんと手を打った。








 何度か瞬きをして、友雅が目を覚ました。心地よい眠りの中から意識を引き上げた真っ先に飛び込んできたのは、あかねの真剣な横顔。
 じっと地面を見つめて、何かを探している様子だ。
 その友雅の視線を頬に感じたのか、あかねが友雅の頭の上から声を掛けた。
「あ、起きました?」
「……随分眠ってしまったようだね」
 友雅は、ゆっくりと上半身を起こしながら、眠気を吹き飛ばすように軽く頭を振った。
 どうやら、あかねの膝枕で、心地よく眠りに落ちてしまったらしい。軽く休むくらいのつもりが、深く眠ってしまったらしいことを、すっきりとした頭が告げている。
「気持ちよさそうだったから」
 あかねが、小さく笑った。否定しないところを見ると、やはりそれなりの時間眠ってしまっていたのだろう。
 申し訳なく思いながら、友雅は固まってしまった身体をほぐすように軽く動かした。
「ひとりで退屈だったろう?」
「あ、それなんだけどね」
 言いながら、あかねが友雅の鼻先に何かを突きだした。あまりに近くに差し出されたので、友雅は少し顔を引いてそれに焦点を合わせる。
「何?」
「友雅さんが眠ってる間に見つけたの。あげる」
 突き出されたそれは、シロツメクサの葉っぱ。
「友雅さん、四つ葉のクローバーって知ってます? 普通は三つ葉の葉っぱなんだけど、たまに四つ葉のがあるの。それを見つけると幸せになれるんだって」
「それが、これ?」
 柔らかく曲線を描く葉が、たしかに茎から放射状に四つ、繋がっている。自らの周りにあるものは確かにその葉は三つずつしかついていない。これだけの葉の中から、ざっとみても見つからないところを見ると、やはり珍しいものなのだろう。
「そう。だから、友雅さんにあげるね」
 にっこりと微笑むあかねと四つ葉のシロツメクサを見比べるようにする。
「あかねが一生懸命探したものなのではないかい?」
 先ほど目を覚ました直後に見たあかねの真剣な表情を思い出す。彼女自身が見つけた「しあわせ」を、自分がもらってもいいものだろうか?
「ううん、でも、私は友雅さんにいっぱい幸せもらってるから。だから、友雅さんにもちょっとおすそわけなの」
 けれど、あかねはどこか内緒話をするように、悪戯っぽく笑って言った。当たり前のことのように。
「私の方こそ、あかねには随分幸せをもらっているのだけれどね……。でも、せっかくだからもらっておこうか」
 友雅が、あかねが目の前に掲げたその四つ葉に手を伸ばす。指先で茎をつまんで、痛めないように慎重に持った。
「ありがとう、あかね」
「どういたしまして」
 お互いに笑顔を交わし合って、友雅が四つ葉を受け取る。
 二人の手の中で、一瞬だけその「しあわせ」が共有され、あかねから友雅へと移動した。
 けれど、この幸せというのは、移動したところで動く前にあった場所から消えてしまうものではない。幸せな気分を残したまま、相手へと移動していくのだ。
 だから、しあわせのおすそわけ。
 それがどんなに小さな幸せだって、どんどん分けて増やしていけば、世の中はもっと素敵になるに違いない。
 あなたにも、どうぞ幸せが訪れますように。












   End








autotoxemia」の香月リツカさんから、10000hit記念フリーを頂きました!
本当に幸せのおすそわけ、ですね♪
転寝する友雅さんに、ついつい笑みがこぼれました
子供の頃に、必死になって四葉のクローバーを探していたことを思い出しました。
リツカさん、今回も素敵なお話をありがとうございました。






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