細い夢

 

 

 

 「お前、要らねェ。」
 断固とした声が上がったのに、狙撃手と船医と航海士が表情を固めた。
 「この船降りろ。」


 あまりに奇妙な光景に、全員が呆気にとられた。当の本人でさえ。
 サンジが、料理を取り落とした。テーブルに置こうとされていたそれを、料理だけとはいえ辛うじて反射で受け止めた船長の手の下で、金属の皿が半端に高い音を立てて跳ねる。
 「───サンジ?」
 チョッパーがかけた声に、サンジはぼんやりと自分の手を見ていた顔を上げて、「悪ィ」とつぶやいてから皿を拾い上げて、ルフィの前に差し出した。
 もちろん受け止められた料理はすでに船長の胃に収まっていたのだが。

 食事終了後、いきなりゾロがチョッパーの首根っこを捕らえ、片づけものをしているサンジの目の前に据えた。
 「………料理しろってのか?」
 「チョッパー、このアホの手を診ろ。」
 サンジの言葉を無視してのゾロの言葉に、顔をつきあわせた料理人と船医が目を見合わせて口をつぐむ。
 「だな。お前、何か今日不自然だぞ。」
 「そうよ、ちょっとおかしいと思ったらすぐ診てもらった方がいいわ。何のために腕のいい船医をスカウトしてきたのかわからないじゃない?」
 ナミさんのおおせとあらば、というサンジのセリフを聞きながらキッチンを出たロビンは、先に立っていたルフィの背中に訊いた。
 「船長さんの見立てはいかが?」
 「ん?」
 「コックさんの手の異常のことよ。」
 「違うぞ。」
 マストに取り付いてから振り返り、麦わら帽子を風で背中に落として、特に表情もなくルフィは続けた。
 「手じゃねェ、背中だ。昨日の晩から、歩き方おかしいんだサンジ。」
 「……。」
 黙って微笑んでいるロビンに、顔を戻してマストを登りながら言葉が続く。
 「チョッパーに昨日の晩診てもらったのも知ってる。」
 「だから、それ以上は知った事じゃない?」
 「そうだ。」
 上から律儀に降ってきた返答に目を閉じてうなずくと、ロビンは船首に向かって歩き去った。

 「サンジの手は、動かせなくなる。」
 軽くうつむいたチョッパーの言葉に、甲板に車座になっていたうち五人が、聞いたことを飲み込めず黙り込んだ。
 「……は?何言ってんだチョッパー。」
 ウソップの言葉に、チョッパーは顔を上げた。
 「昨日の港で、サンジは背中に怪我をして帰ってきてたんだ。そのせいで、多分損傷した背骨の一部が内側で神経を圧迫して……。」
 「───そうじゃなくて!そりゃ、いつもみたいにあっという間に治るんだろ?!」
 立ち上がったウソップの言葉に、それを見上げて、チョッパーは歯を食いしばり、首を横に振った。
 「もうな。」
 マストに寄りかかって煙草の煙を吐き、サンジはぶらぶらと両手を振って見せた。
 「ふっと力入んなくなったり、しびれて感覚無くなったり、料理してて刃物取り落としたり。」
 そのままひらりと左手を開く。
 「んで、傷がついても痛くなかったり。他人の手みてェなんだわ。」
 親指の付け根についた薄い傷を示して笑うサンジに、全員が一様に眉を寄せる。
 「次の島まで、ちゃんと料理作ってやれるかどうかすらわかんねェ。つーわけで、」
 「船を降りる気か。」
 ゾロが感情を抑えた声音で言ったのに、ウソップが手を握りしめる。
 「料理ができねェコックに何しろってんだ?」
 「サンジ君、でも、今朝も昨日の晩も料理は作れてたじゃない。」
 「そうだぜ、その症状だって絶対悪くなるって決まったもんでもねェんだろ?!」
 「………。」
 返事もなく、妙に無表情に視線だけを落としているサンジに業を煮やし、ウソップは同じく黙っている他三人に視線を移した。ゾロは苦い表情でサンジを睨み付け、ロビンはいつもと変わらぬ伺えない表情で船医を見ている。
 じっと料理人を見ていたルフィが、口を開く。
 「サンジ。」
 呼ばれていない全員の注目をも集めて、日常全く権威のない最終決定権者は、はっきりと言った。
 「お前、要らねェ。この船降りろ。」
 完全に言葉を失ったナミとウソップとチョッパーの耳に、淡々と返す言葉が届く。
 「……次の港でな。明後日だっけか?ナミさん。」
 「明後日のお昼よ。」
 ロビンの答にうなずいて、キッチンに足を向けたサンジに、ルフィが声を上げる。
 「昼、肉なー。」
 「昼のメニューは決定済みだ。」
 言い残して料理人がドアを閉めた途端、航海士と狙撃手の全力の鉄拳が船長の頭を襲った。
 「アンタ、アンタねェ!アンタ、今自分が何言ったか分かってんの?!」
 「お前、それでも船長かよ!!」
 二人がかりでルフィの襟首をつかんで揺さぶっているウソップとナミと、泰然としているゾロとロビンに交互に視線をやって、涙目でチョッパーがおろおろしだす。
 「ちょっと冷静になって考えなさいよ!サンジがいなくなって一番困るのはどこのどなた?!まさかまたコックを探すわけ?!冗談じゃないわ!」
 「サンジを何だと思ってんだよお前!コックだったら何でもよかったわけじゃないんだろ?!お前が選んで連れてきたんじゃねェのかよ!!」
 「あれ以上料理の腕前が良くて快くこっちの節約案に乗ってくれる人材がどこにいるのよ!いるなら今すぐ連れてきてみなさいよさあ早く!」
 「辛いときに支え合うのが仲間ってもんじゃなかったのかよ!!それとも何かお前にとって仲間なんて必要なくなったらすぐに切り捨てられるような存在なのかよ!!」
 二人がかりなせいで不規則かつ力強くシェイクされ続けているルフィを見て、小さくため息を吐き、ロビンが片手を上げた。
 「冷静になるのは、」
 甲板から生えた四対の腕が、ウソップとナミの腕を押さえ込んでルフィを解放する。
 「あなた達よ、航海士さんも狙撃手さんも。」
 「私は冷静よこの上なく冷静よ冷静でなきゃこの程度で済ますわけないでしょ。」
 座った目で自分を睨み付けたナミに肩をすくめて、ロビンはルフィを助け起こした。
 「───ここは、グランドラインよ。数限りない弱者の血を吸って、なお青い海。囚われるような人間は船に乗るべきじゃないわ。」
 「弱者って……!!」
 「ある程度の料理なら私にも作れなくはないわ。」
 ウソップの抗議を無視して、ルフィに向かって言ったロビンに、ルフィは無言で麦わら帽子をかぶりなおして、フィギュアヘッドに向かって歩き去り、ゾロもそれに続いた。

 夜半、マストを見上げているサンジを見かけたチョッパーは、無意識に足音を忍ばせながらその後ろ姿に近づいた。
 「……サンジ。」
 「どうしたトナカイ。」
 振り向いた料理人がいつも通りのどこか皮肉な笑顔を浮かべているのに、チョッパーはぎゅっと眉を寄せた。
 「本当に、この船降りるのか?」
 「あァ、降りるぜ。なんせ、船長に降りろって言われたんだしな。」
 「でも、サンジ、それでいいのか?」
 「は?」
 「サンジが、この船にいたいんだったら、みんなルフィを説得するぞ。」
 「いや無理だろそれ。」
 思わず真顔で言ったサンジに、チョッパーは真剣な表情でそれを見返した。
 「無理じゃない!サンジは、おれたちの仲間だ!」
 「……そう、だったかも、な。」
 肩をすくめて、ポケットから取りだした煙草を振ると、サンジはただそれをくわえて続けた。
 「安心したぜ。」
 「………え?」
 「アイツに『要らねェ』って言われて、すげェホッとした。その倍もキツかったけどな。」
 苦笑いしているサンジを驚いた表情で見上げて、チョッパーは呆然と続きを聞いていた。
 「もうおれが料理が出来ねェ邪魔なだけの両腕ぶら下げてこの船に乗ってたって、ヘコんでるしかやることァねェだろ。」
 ぶんぶんと頭を横に振るチョッパーを見下ろし、サンジは口元を笑いに歪めた。
 「で、その状態がお前に伝染するくらいなら、おれはいない方がいい。」
 「………!!」
 歯を食いしばって頭を振るチョッパーに、ゆっくりと言う。
 「料理の出来ねェコックなんて存在のせいで、名医をツブす愚を犯さねェってのは、正しい判断だ。」
 しばらく黙り込んだ後、部屋へと戻っていったチョッパーを見送ったサンジの背後から、珍しくとがめだてるような口調での言葉がかけられる。
 「チョッパー泣かすなよ。」
 「誰のせいだ。」
 「サンジ。」
 「……何か用か?」
 振り返った先で、ぺたぺたとマストに歩み寄ってそれに張り付いたルフィは、蝉よろしくの姿でサンジを見た。
 「見張り。」
 「おれが当番だぞ。」
 「サンジ、登れんのか?ここ。」
 確かに、途中で手の力が抜けることでもあれば落下するだろう。そう思って見上げていたマストをもう一度見上げる。
 「この程度の高さでどうかなるか。」
 「でも手ェ怪我したら、メシ作れなくなるぞ?」
 平然とした船長の言葉に、サンジは間を置いてがっくりと肩を落とした。
 「アイサー……明日の朝のリクエストは?船長。」
 「肉!」
 言い残してマストを登っていくルフィに背中を向けて、サンジは面倒そうな仕草で手を振った。

 「アイツ……。」
 階段付近で、生やした腕を相手に一人であやとりをして見せているロビンとそれを見物しているルフィを見下ろし、ナミは憮然としてつぶやいた。
 「本当に、サンジを船から降ろす気なのかしら。」
 みかんの木陰で横になっていたゾロが、目を開く。
 「あれが我らが船長一流のジョークだったとでも言うのか?」
 木の葉の間から漏れる登り切った太陽に目を焼かれ、すぐにまた目を閉じたゾロを睨み付けて、ナミは手にしていた本を勢いよく閉じた。
 「分かってるわよ、この上なくルフィが本気だってことくらい。ついでに、サンジも本気でこの船を降りる気だってこともね。」
 「なら、あきらめろ。」
 「ルフィが絡むと、アンタからやたらよく聞く羽目になるわねそのセリフ……。」
 「───ルフィは、仲間を捨てることはねェ。」
 ゾロの低い声に、ナミは無言で返して先を促した。
 「つまり、ルフィにとって、今のアホは仲間じゃねェんだ。」
 「は?!」
 「ルフィにとってのアイツが仲間であると認める決定的な部分がごっそり欠けちまってるんだよ。」
 「……なによそれ。結局料理が出来ないから見捨てるってことじゃない。」
 「違う。アイツは、手が動かねェ、料理ができねェ、だから自分はもうコックじゃねェし、オールブルーを目指しても意味がねェ、この船に乗っていても荷物でしかねェ、それで船を降りると結論づけた。」
 「……。」
 「おれがルフィなら船から降ろすなんて甘いことァしねェ、引きずってでも連れていく。」
 どこか忌々しそうに言ったゾロに、ナミは故意にでも、久しぶりにわずかに表情をゆるめた。
 「あら、嫉妬?」
 「アホか。───第一、おれはルフィに捨てられやしねえよ。」
 「ふうん?」
 「刀が折れようと腕が無くなろうと足が無くなろうと、おれはおれだ。」
 あやとりの糸と自分の指をごちゃごちゃに絡めて、ロビンに何か言われながら大慌てで首を横に振っているルフィを見下ろしてから、ナミは本の角でゾロを殴りつけた。
 「……アンタとルフィはそうでしょうよ。」
 椅子から立ち上がり、つかつかとルフィに近づいていくナミの後ろ姿に、なんとなく次にそうなるのであろう「航海士の腹いせに殴られる船長」の構図を思い浮かべながら、ゾロは目を閉じた。
 間もなく、その映像に丁度イメージの合う鈍い音が耳に届いた。

 迫る岸壁を、ウソップはじっと睨み付けていた。
 停泊時間は短い。一人の人間を降ろすだけなのだから。
 自分の横の手すりに一度足をかけてから、低い岸壁に飛び降りた人間が、頭だけで振り返る。
 「───じゃあな。」
 「お前………!!」
 言う言葉を失って、ウソップは自分の足に視線を落とし、手すりを強く掴んだ。
 冷えた表情で視線を逸らしているナミも、手すりにしがみついているチョッパーの顔にも、憔悴の色があった。繰り返された説得は、船長と料理人を全く動かせなかった。
 のんびりと言っていい歩調で歩いてゆく背中を見ながら、押し殺した声で狙撃手がつぶやく。
 「手ぐらい振れよとも、言えねェのかよ……!」

 ゆるりと岸壁を離れ、完全に人影が見えなくなってから、ウソップは隣にいたルフィの胸ぐらを掴んだ。
 「───連れていけば、よかったじゃねェか!手が利かなくたって、オールブルーには行けるだろ?!」
 言われ、眉をひそめると、不機嫌そうに答える。
 「連れていってどうすんだ。」
 「どうするもこうするも……!」
 「サンジが自分で辿り着かなきゃ、意味ねェだろ。」
 その言葉に、チョッパーが弾かれたように顔を上げる。
 「本当に辿り着くつもりだったら、この船に乗ってなきゃ駄目な理由なんてねェし、この船に乗ってたって、辿り着く気がなきゃ行くだけ無駄だ。」
 「そういうことだな。少し頭ァ冷やせってんだ。」
 のんびりと肯定した剣士の声に、ウソップが手を下ろす。
 「まさか、アンタら、サンジがこの船に戻ってくるとでも思ってるわけ?」
 呆れ返ったとばかりのナミの言葉に、至極平然と船長が「うん」と返し、剣士がシニカルな笑顔を浮かべて「帰ってこなくてもそれはそれだ」と言う。
 「何言ってるのよ!置き去りにした相手が、こんな小舟に追いつけると思う?!」
 手すりに体重を預けていたロビンが、ナミの横に進む。
 「───ここはグランドライン。四つの海で可能なことが不可能に変わる海。」
 「そうよ、ましてやここは……」
 「そして、不可能もまた可能に変わる海、ね。」
 ぽんと航海士の肩を叩いたロビンをむっとして見たナミに、チョッパーが不安げに声をかける。
 「なんとか、なるのか……?」
 「なんとかするさ。」
 フィギュアヘッドの上に立つと、船長は麦わら帽子を押さえて笑った。
 「サンジは、おれたちの仲間なんだからな。」

 

 

 

 

 

 

 

 

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