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五島・天草天主堂巡礼記 関係地図

2日目 後編(9/4)

高浜海水浴場で一休みした後、一周道路を南へ下ります。
次の目的地は玉之浦町の大瀬崎断崖です。
地図を見ていただけると分かると思いますが、ここは福江島の西端にあたり、
まさに『西の果て』にふさわしい場所なのです。

展望台から大瀬崎灯台を望む・・・もう下を覗いてなんていられません(汗)

澄み切った海はきれいなのですが、
高所恐怖症な自分にとっては((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
高さ160mの大断崖が20kmも続くという、なかなか見られない風景でした。

ちょうどお昼過ぎになったので、ここの駐車場で昼食をとることにしました。
メニューはもちろん、マルタイの棒ラーメン・・・(汗)
湯を沸かしながら、携帯ラジオをつけてみると中国語(台湾?)や韓国語のFMが受信できました。
FMは受信範囲がAMより大幅に狭く、なかなか外国のFM放送は受信できないんですが。
あと、駐車場には自販機が置いてあったのですが、値段は150円と割高・・・(汗)
さすがは西の果て・・・(笑)


昼食後、一周道路を東に向かい、今日のキャンプ地の富江に到着しました。
富江は江戸時代に一時期、五島藩の支藩が置かれたところで、
当時の陣屋の跡は富江小学校として利用されていました。

キャンプ地は『さんさん富江』というところでして、
管理等を覗いてみると、管理人さんがいたのでキャンプ料を払って
ちょっと早いかなと思いつつも、サイトにテントを張りました。

テントの中に荷物を入れて、福江に行ってきました。
福江は五島藩の城下町。幕末に外国からの侵略を防ぐために
急遽築かれた石田城跡の敷地は、現在五島高校になっています。

武家屋敷の町並みが残っている地域があったので、早速行って見ました。
  



福江の武家屋敷の特徴は、石垣の上に無数の小石を積み上げて
かまぼこ状にしているところだそうです。
これは、侵入者が石垣の上に登ったときに音を出させるためだとか、
普段から乗せておいて、いざというときに投げて攻撃するためだとか、
いろいろな説があるようです。

この石垣は武家屋敷に限らず、福江島のいたるところで見ることができました。


その後、午前中に見つけることができなかった楠原天主堂を探すために、
再び一周道路で島の北部へ向かいます。

一周道路を走っているときは、福江島は畑がほとんどで、
とうもろこしや、サツマイモみたいなのばかりが目に付きました。
で、島の中央部は盆地状になっているのですが、
そこでは見渡す限りの田んぼが広がっていました。
一瞬、本州に帰ってきたのかと、既視感に襲われました(汗)


楠原天主堂は、そんな盆地のはずれにありました。
一周道路からかなり入ったところにあるし・・・これじゃあ見つからなかったわけだ(汗)

  



楠原天主堂は1910年(明治43)に完成。
堂崎天主堂と同じくレンガ造りな和洋折衷様式で、完成時期もほぼ同じなのですが、
こちらのほうがなんというか・・・歴史の古さを感じてしまいます。


とりあえず、福江島でチェックしようと思っていた天主堂は回り終えたので、
野営場に戻って、富江の街で夕食の調達をしました。
とはいえ、とても小さい街なので、スーパーといっても小さなAコープくらいしかありません。
でも、こんな店にこそ、面白い地元ならではのものがあると思うのです。
早速、店を物色してみると、五島名産のうどんとか、あご(とびうお)のダシスープ(粉末)、
そのほか、練り製品が特産らしかったので、丸天を何枚か買って帰りました。

ご飯を吸水させている間、近くにあった温泉センターに行きました。
ちょっと茶色っぽいお湯で、体も温まり満足。

ご飯を炊いて、買ってきたうどんを茹でる。
五島のうどんは他のと比べてちょっと細めで、冷麦くらいの太さです。
でも、冷麦と違って油を使っているので、のど越しがよくとてもウマ――(゜∀゜)――!!でした。
あごダシのスープも香ばしいというか、イリコダシに近い感じで美味しかったです。

夕食後、朝のご飯の準備を済ませて、あとは寝るだけです。

ということで、2日目は終了しました。
明日は中通島へ渡ります。



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