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五島・天草天主堂巡礼記 関係地図
3日目 後編(9/5)
福見集落を後にして、再び島を北上します。
中通島の南東部の沿岸は山がそのまま海にせり出しているような地形で、
道路は斜面にへばりつくように通っています。
かなり標高差の厳しいアップダウンを繰り返しながら、いくつかの小さな漁村を通り過ぎると、
次の目的地、旧鯛ノ浦天主堂に到着しました。
旧鯛ノ浦天主堂は1903年(明治36)に完成。
とんがり帽子をかぶったような尖塔が印象的な天主堂です。
1979年(昭和54)に新しい天主堂が建立された後は、
地域の図書館として利用されています。
さらに北上し、佐世保・長崎行きの船が発着する有川港を過ぎ、
ひと山越えると、奈摩湾に面した青砂ヶ浦天主堂が見えてきます。
青砂ヶ浦天主堂は1910年(明治43)に完成。
2001年に国の重要文化財に指定されました。
(因みに当天主堂以外で文化財に指定されているのは、
国宝・・・大浦天主堂(長崎市)
重文・・・黒島天主堂(佐世保市)・旧五輪天主堂(福江市)・頭ヶ島天主堂(有川町)
県指定・・・堂崎天主堂・旧野首天主堂・出津天主堂・大野天主堂)
窓からちょっと見えた内部の様子
側面・背面の様子
青砂ヶ浦から再び、北へ細長く伸びる半島をたどります。
道はそんなに悪くない(1.5〜2車線くらい)のですが、景色がやや単調で
目的地まではとても長く感じられました。
江袋天主堂は、集落戸数わずか17戸の信徒の労働奉仕と
近隣の信徒の協力を得て、1882(明治15)年に完成。
木造瓦葺平屋建てで、実際に使用されている木造の天主堂では県内で最も古いもの。
いままで回ってきた天主堂とは全然違う構造なのですが、
明治初期の天主堂というのは、こんな感じだったのでしょうね。
江袋の集落は斜面にあるため、段々畑のように開拓することで、
少ない平地を確保して家屋や畑、そして天主堂が建っています。
生業は漁業が中心なのでしょうか。
現在はトンネルなどが整備されているものの、周辺は険しい山で隔てられており、
昔は隣の集落との連絡が大変だったろうなぁって感じてしまいます。
まぁ船を使えばいいのかもしれませんが・・・
しばし天主堂の前の木陰で一休みした後、来た道を引き返し、
今日の宿、しんうおのめ温泉に投宿。
この日の宿泊者は博多からのフェリーで同船したバイクの旅人さんと自分だけ。
平日の宿ってこんなものなのでしょうか?・・・あぁ町営だから採算はどうでもいいのかな(汗)
夕食には昨日も食べた五島うどんが出ました・・・ウマ――(゜∀゜)――!!
一応温泉らしいので、夕食後に大浴場へ。
・・・電気消してあるし(汗)誰もいない浴場は怖いですよ〜
そんなこんなで、3日目は終了でした。
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