中国地方の紹介をするって云っておきながら
いきなり近畿地方のスポットを紹介するのもどうかなとは思うんですが、
この竹田城跡・・・はっきりいってオススメなのです。
ちょっと不便なところにありますし、ちょっと登山をしなければなりませんが、
・・・それでもオススメなのです。
能書き その1・・・竹田城跡の歴史
かなりマイナーかもしれませんが、数年前の大河ドラマで『花の乱』という作品があったのをご存知でしょうか?
応仁の乱を取り上げたドラマで、日野富子役に三田佳子。
東軍の総大将・細川勝元役に野村萬斎、西軍の総大将・山名宗全(持豊)役に北大路欣也という
配役だったんですが、他の人に聞いても『覚えてない』とか『知らない』とかで
あまり印象に残ってないんですよ。
個人的には歴代の大河ドラマ(といっても見始めたのは『信長』あたりからですが)では
かなり上位にランクするくらい、良い作品だったと思うんですが。
それはともかく、この応仁の乱で西軍の総帥だった山名氏の家臣・太田垣氏が嘉吉年間(1441〜1443)に築いたのが、
今回ご紹介する竹田城なのです。
時代は流れて天正5年(1577)、豊臣秀吉によって山名氏が滅ぼされると、
太田垣氏も没落し、代わりに秀長(秀吉の弟)家臣・桑山氏が入城します。
その後、桑山氏に代わって、播磨(兵庫県南部)の大名・赤松広秀が領主としてやってきます。
この広秀のときに、竹田城は現在の姿に整えられたといわれています。
やがて、天下分け目の関が原では広秀は西軍に味方して敗戦し、
その後の鳥取城攻めでは徳川方として活躍するも、城下へ放火したとの罪を着せられ、切腹に追い込まれました。
・・・かなり可哀想な人ですね・・・
広秀の自刃によって赤松家は断絶、竹田城も廃城になったのでした。
能書き その2・・・竹田城跡の魅力って?
実はこの竹田城跡、城好きの人たちの間ではかなり有名だったりします。
その人たちの間では『竹田城跡は日本一の山城だ』といわれるくらい、評判も高いのです。
個人的にも(数えるほどしか城めぐりはしていませんが)いちばんお気に入りの山城ですね。
また、城好きでは無い人の中にも『竹田城跡ファン』がかなりいらっしゃるようです。
試しに『竹田城跡』でネット検索をかけると、竹田城跡を写した風景写真が多数見受けられるなど、
写真の題材としても魅力的なのです。
(噂によれば、映画『天と地と』(90年、東映)のロケ地になったらしいのですが・・・?)
これほどまでに人を惹きつける理由を挙げて見ると、
標高353.7mの古城山山頂に当時の最高技術を駆使して築かれた壮大な石垣。
南北400m、東西100mに広がる縄張り(城域)。
攻める兵士の恐怖心が実感できる虎口(城の入り口)。
頂上から眺める景色の雄大さ。
四季を通じて変化が楽しめる風景。
(特に、朝霧が出たときにはまさに『天空の城』といった感じです)
・・・どうですか?
行って見たくなりませんか?
それでは下手な能書きはこの辺にして、さっそく竹田城跡へ参りましょう。