軽い感覚。音にすれば、「どっっ……」 そんな音。
それが俺の思ったこと。
これで一つの命が消えた。
それもまた、心の片隅で思った。

――の胸に刺さっている短剣。
その傷口より吹き出す鮮血。
それだけが、解放の手段。
消えた命の持ち主、その名は――。
 
 


冬の季節、命の灯火 〜トウトキソラ、サダメノアカリ〜



 
 

「しもうたっ!」
「失敗したっ!」
魔術師組合の長の声。
それが、この事件の発端であったことを、俺は知らない。

結論から先に言えば、「スペクター」。要は、悪霊ということだ。
その程度なら、俺としてはどうでもいいことだった。
魔術師組合と自警団がうろつき回ってくれればいいことだった。
……俺たちに、関わってこなければ。

その時、俺はジョートショップにいた。
いつも通りにアリサさんの手伝いをしていた。
そして、その時、あいつはさくら亭からジョートショップに向かう途中だったそうだ。
駆け足で、料理の入ったバスケットを持って。

「う〜、寒くなってきたわね〜。さすがにこう毎日だとあいつも閉じこもってるかもね〜。」
そんなことを言いながら、あいつは走っていたという。
「でも、あいつがどんなに寒がったとしても、、あたしのこの手料理があれば……ふふっ。」
そんなことを言いながら、パティ・ソールは走っていたという。

黒い塊。それがあいつに向かっていったという。
そんなものの接近さえ感じ取れないほどだったのだろうか?
俺に対する、あいつの思いは。
パティ・ソールが描いた、俺への想いは。

「えっ……?」
何かが後ろからぶつかったような感じで、あいつは前へ倒れたという。
それでも料理が入ったバスケットは手放さなかったという。
そして、何事もなかったかのように起き上がると、
 
 

「……というわけで、箱に剣を刺してもこういうふうに外側を通っていくわけだ。」
その時、俺はジョートショップで手品の種明かしをしていた。
ピートの奴がめずらしくも手品の練習をしてみたいということで、休憩ついでに手品を教えていた。
ついでにクリスとリオ、テディ、そしてアリサさんに見物人になってもらった。

「へーえ、本当に人に刺さっていかないわけじゃないんだ。」
ピートが感心したように言う。
「絶対に安全だからこそ、観客を呼び寄せて試すんだろうが。
危険だったら、絶対に観客にはやらないぞ。」
実際、あきれたように俺が言う。

「でも、何でそんなに手品に詳しいの、お兄ちゃん?」
リオも感心したように言う。
「俺はこう見えても、いろいろとバイトをしてきたからな。
マジジャンの弟子役をしたこともあって、その時覚えたんだ。」
実際、自慢にしか聞こえない言い方で俺が言う。

「それを差し引いても、かなりの知識量ですよね、公さんは。」
クリスも感心したように言う。
「見たことは覚える。それがどんな時に役に立つかわからないからな。
たとえば、はったりの技術とかな。」
実際、先生が生徒にものを教える口調で俺が言う。

「はったり云々はいいッスから、もっと面白い手品を教えて欲しいッス〜。」
テディが思いっきりどうでもいいように言う。
「これから教える手品も、そのはったりを利用しているんだがな〜?」
一見、よく研がれているナイフを取り出しながら、俺が言う。

それを見て、テディが慌ててアリサさんの後ろに隠れた。

「公クン、そんなものを抜き身にしていたら危ないわよ。」
アリサさんが心配してそう言う。
「大丈夫ですよ、アリサさん。なんたってこのナイフは」
このナイフのオチを俺が言――おうとした時。

「大変だっ!」
めずらしくアレフが怒鳴りながらジョートショップに入ってきた。
しかも緊迫した声で、だ。
俺は嫌な予感がした。アレフがこう言いながら俺に会いに来たとき、確実にロクなことがなかったからだ。
そして、その予感は正しかった。

それでも、俺は落ち着いていた。特に、慌てるようなことなど何もないと思っていたからだ。
どうせアレフが女のことで大変だと思ったからだ。
だが、その落ち着きは即座に霧散することになった。
なぜなら、アレフは

「パティが、パティが暴れているぞ、おい!」
「パティが? さくら亭で暴れてるんなら、いつものことだろ?」
「馬鹿、そんなことぐらいでこの俺が慌てるか!?」
「じゃあ、何だってんだ?」

「悪霊にとりつかれたらしいんだ!!」
それを聞いた俺の行動は、迅速だった。
そばに掛けてあった上着を素早く羽織ると、ジョートショップの外へと出ていた。
パティを助ける、それだけしか考えず。
 
 

クスクスクス……
そんな笑い声が聞こえてきた。
パティの声だったが、とてもじゃないが、パティとは信じられなかった。
それほどまでに、深い――嗤いだった。

パティの目の前にあるのは、自警団詰め所。
いや、もう、「元」と言った方がいいかもしれない。
何故なら――
自警団詰め所は、業火に包まれていたからだ。

燃え盛る詰め所を見つめるパティの顔は、炎に照らされて妖艶な表情を醸し出していた。
それを見つめる目は、どう贔屓目に見ても、爬虫類の目線だ。
今のパティの様子を例えるなら、おとぎ話の意地悪な継母か、
昔話の悪い魔女というところだ……。

そう、そのパティは、普段のパティとあまりにも印象がちがいすぎた。
だから、俺は危険だと心の中ではわかっていながらも、パティに向けて語りかけた。
「パティ……? 一体……?」
心のどこかで、届いてくれることを念じながら。

だが、その期待はいとも簡単に破れた。
俺の語りかけ――というよりも、つぶやきを聞き取り、
パティは緩慢な動作で振り向いた。
そして、炎を背にし、声を紡いだ。パティの口で、パティではない口調で。

「パティ……? ああ、この躰の元の持ち主かい……?
クスクスクス……
もう、そいつはいないよ。わたしがもらったからね……。」
クスクスクス……

俺は気づいた。
何故かは知らないが、直感的に、「まずい」と思った。
パティの口から流れた声の通り、パティは何かに取り憑かれている。
それも、恐るべき破壊の力を持つ、邪悪な何かに。

「てめぇ……何者だ?」
俺は押されていた。
戦ってもいないのに、押されていた。
それほどに実力差がちがいすぎた。

「わたしかい……?
長い間、この地に封じられていた魔人だよ……。
もっとも、そんなこと誰も覚えちゃいないだろうがね……。クスクスクス……。」
その言葉を聞いた瞬間、俺の行動は決まっていた。いや、決まってしまった。

「……くっ!」
俺は、背中を向けて駆け出した。
俺では絶対にパティに取り憑いた悪霊を祓うことが出来ない。
悔しいが、ここは引くしか方法がなかった。

「あははははははは……! 結局はシッポを巻いて逃げ出すのかい?
そうだねぇ、今のわたしにはなんにも出来やしないからねぇ。
それにしても、わたしに背を向けるなんて、なかなかできるもんじゃないけどねぇ。
まあ、お前程度の男には、そういう態度がお似合いだよ!」

――違う――
――あんたは、最良の選択をしたのよ――
――だから、待ってる――
――こいつを、どうにかする方法を見つけるまで、あたしは待ってるから――

二つの声が、俺の耳に聞こえた。
一つは悪霊のあざける声。
もう一つは、俺のよく知っているあいつの声。
しかし、そのことを確かめる術は、今の俺にはなかった……。

「……あん? なにか聞こえたような気がするけど……。
……………………。
……気のせいかい。」
そして、焼け崩れる自警団詰め所を背に、邪悪な存在は歩き出す。
 
 

「封印に記されていた文字によれば、奴の名は、サティ・ドール。
遥か昔、ここ、エンフィールドの元となった街をを滅ぼそうとした魔人よ。」
悪霊の元から走り去った足で、俺は魔術師ギルドに駆け込んだ。
そして、すでに悪霊を消し去る準備をしていた魔術師ギルドの長はこう語った。

俺はその時点で、この悪霊騒ぎは魔術師ギルドが原因だということを知った。
だが、いまさらそのことを責めるつもりは毛頭なかった。
ただ、パティを救う方法を。
そのことを聞き出す前に、長は語り始めた。

「エンフィールドと呼ばれるよりも遠い過去、その街に一人の魔人が訪れた。
その魔人は、わずか一夜にして街を魔界に堕とそうとした。
だが、その時街に強力な術者達が集い、
魔人は躰を失い、霊体は封印された。」

「だが、長い年月により封印は弱まった。
再び封印を強化しようとした魔術師ギルドは、魔人の精神の介入によって魔術を失敗し、
その拍子に封印は破れ、魔人の霊体は封印から飛び出した。
狂気によって歪み、怨念をまとったスペクターとして。」

「パティの躰に入り込んだのは、偶然ではあるまい。
これは想像でしかないが、おそらくはパティの先祖が奴の一族であったのかも知れぬ。
ならば、奴が強烈に引き合うのも道理。
自らと似た名を持つものじゃからな。」

「スペクターが人間に取り憑いた場合、それを無力化する方法は3つしか知らぬ。
すなわち、強制的に成仏させること。
スペクター自身の精神エネルギーを疲弊させ、消滅させること。
そして最後に、取り憑いた人間を破壊すること。」
それが、魔術師ギルドの出した結論だった。

「破壊するって、つまり……。」
取り憑いている人間の、死。
「うむ。それによって、スペクターはその場に留まることしかできないファントムに変化する。
なにしろ、取り憑いた人間が衰弱死するまで、決して躰の外に出ることはできぬのでな。」

「強制的に成仏、は不可能だろう。
わしらはもとより、教会にいる神父ですら、やつの強大な怨念に立ち向かうことはできん。
何と言おうと、過去に魔人であったものじゃ。どうしようもない。」
長は、自らを否定する。それが、魔術を行使するものにとって禁呪であろうとも。

「精神エネルギーを削る、も不確かじゃ。
あれほどの怨念じゃ。どれほどのエネルギーを削らねばならんかわからん。
へたをすれば、削りきる前に反撃されてしまうじゃろう。」
長は、自らを否定した。それが、自分が無力であるとの証明であるかのように。

「結局は、最後の方法しかないわけじゃ……。
じゃが、お主にそれができるか?
お主の一番大切なものを、お主の手で失うことができるか?」
長は、俺に最後の通達をした。選択肢を俺に委ねたのだ……。

……
…………
………………
……………………

「俺がやる。
他の人間にやらせるつもりはない。
俺が、パティを――殺す。」
懐にあるナイフの感触を確かめながら、俺は宣言した。
 
 

「本当にやるのかい? 公くん。」
奴がいるらしき方向に向いて歩いている俺の背後から、声がかけられた。
「……リカルドのおっさん。あんた、生きてたのか。」
振り向くと、おっさんとアルベルトがいた。

「とりあえず、詰め所にいた人間は全員無事だ。
今は市民の避難にあたっている。」
おっさんは顔に何の変化もなく、そう語りかけてきた。
横にいるアルベルトは、いつもよりも顔がこわばっていた。

「それはよかったな。今の状況じゃ、人手は多いにこしたことはないしな。」
俺も、おっさんに会わせてあたりさわりのない会話を返した。
なんというか、こういう会話をすると、これからやることに対して緊張がほぐれてくる。
なにしろ俺は、この後、奴を――パティを――殺すつもりなのだから。

「そんなことはどうでもいい! お前、このままじゃ犯罪者から殺人犯に格上げだぞ!!」
そんな俺たちの気分を一気に吹き飛ばした朴念仁は、もちろんアルベルトだ。
俺のことを本当に案じてくれているのだろうが、もう少し言い方というものがある。
まあ、それがアルベルトのアルベルトであるゆえんなのだが。

「そんなことは覚悟のうえだ。」
アルベルトを見て、俺は断言した。
「こういう事態だから、自警団にまかせろ、とでも言いたいんだろうがな。
だが、それじゃ絶対に俺が後悔する。」

「俺はパティを本当に愛している。パティも俺をそう考えてくれていると思っている。
だから、俺じゃなければだめだ。俺が殺してやらなきゃ、あいつは絶対に不幸せだ。
あんな奴と一緒に死ぬんだ。だったら、俺が殺す。それだけが、俺にできることだ。」
それが、俺の本音であり、また、虚実でもあった。
 
 
 
 

後ろから声がした。
「クスクスクス……また会ったねぇ?
わたしに対抗する手段でも手に入れたってかい?
そんなもの、人間のあんたにゃ無理だろうけどね……クスクスクス……。」

振り向くと、パティがいた。
俺が行こうとしていた所。
教会前。
そこで、強大な暗いオーラを身にまとっていた。

「……いや、ある。」
俺はパティに取り憑いた悪霊と向かい合った。
「お前はただ一つだけミスを犯した。それがお前の命取りだ。」
後ろで、リカルドのおっさんとアルベルトが数歩下がったようだ。

「パティ!
聞こえているんだろう……お前の声はさっき聞こえた!」
さっきは空耳かと思った。だが、今ならはっきりと断言できる。
あの声は、俺の一番愛している人間の――パティの――声だった。

「聞け! 魔術師ギルドで聞いたことを話す!
お前に取り憑いているスペクターを祓う方法は幾つか挙がった。
だが、たった1つだけしか実現不可能だった。
その方法とは……お前を殺すこと、それだけだ!」

クスクスクス……
悪霊は笑う。
「そうだねぇ。確かにわたしを無力化するには、その方が手っ取り早いよねぇ……。」
ただ、ただ可笑しそうに嗤う。

「だから、俺はお前にこう言う……。」
手を、堅く握りしめる。そして、一言。
「俺の為に、お前を殺させてくれ。」
それは、絶望への宣告であり、神聖なる宣誓でもあった。

「クスクスクス……あんたの遺言はそれで終わりかい?
それじゃ、さっさと死んどくれ!!」
そう言うと、悪霊――スペクターは破滅的な攻撃エネルギーを俺に向けようとした。
直撃すれば、消滅は免れないだろう。

だが、俺はそれを全く気にせず、
スペクターに向かって、
「パティ、やれ!」
そう言っただけだった。

「ガッ!?」
瞬間、スペクターの動きがストップした。
まるで、内側から戒めが与えられたかのように。
そして、俺は懐からナイフを取り出した。

俺の目には見える。何かが奴を縛りつけているのを。
「ナッ、ナゼ、ナゼカラダガ、ウゴカナイ!?」
自分でもどうしてかわからないらしく、スペクターは震えた金切り声を上げている。
俺には見える。パティ・ソールが己の躰を押さえている姿が。

「なぜかって? パティがお前を押さえているんだよ。
少なくとも、俺とお前にはパティの声が聞こえたはずだ。
ということは、お前はパティの躰しか乗っ取っていないってことだ。
精神までは完璧じゃなかったようだな。」

「このナイフはよく切れる。一突きで心臓までたどりつくだろうよ。
安心しな、パティ。絶対に痛みは感じないから。」
ナイフを様々な角度からスペクターに見せびらかしながら俺は語りかける。
パティにもこの声は届き、この様子は見えているだろう。
 
 

「マッ、マテッ!! キサマ、コノオンナヲコロスコトガデキルノカ!?
オマエハコノオンナヲアイシテイルノダロウ!?」
スペクターの声は、すでに悲鳴と化していた。
最後の悪あがきと言わんばかりに、俺の心を揺さぶりにかける。

「俺は、俺の愛する女を大量虐殺犯にするつもりはない。
パティの姿で一〇〇〇人殺すのを見るよりは、俺が殺人犯になる方がよっぽどいい。」
だが、その揺さぶりもすでに覚悟を決めた俺の絶対零度の精神には通用しなかった。
むしろ、悪あがきを聞いて最後の踏ん切りがついたと思った。
 
 

すでに、俺とパティとの距離はなくなっていた。
あとは、目の前の肉体に逆手に持ったナイフを突き立てれば全てが終わる。
 
 

「ヤメロォォォォ!! ヤメテクレェェェッ!!」
 
 

俺には何も聞こえない。
 
 

「それじゃ、おやすみ。パティ。」
 
 
 
 

腕を持ち上げ、
 
 
 
 

「ヤメロォォォォォォォォォォッ!!!!」
 
 
 
 

――信じてるからね――
 
 
 
 

ナイフを、
 
 

パティの胸に、
 
 

突き立てた。
 
 
 
 
 
 

軽い感覚。音にすれば、「とっっ……」 そんな音。
それが俺の思ったこと。
これで一つの生命を消す。
それを、心の片隅で思った。

パティの胸に刺さっている短剣。
その傷口より吹き出す鮮血。
それだけが、解放の手段。
消えた意識の持ち主、その名は――。
 
 
 
 
 
 

ゆっくりと崩れ落ちる、パティの躰。
 
 

「バカナァァァァァァァァッ!!!」
 
 

爆発的な邪悪なオーラがパティから飛び出した。そのかけら全てが刃となった。
 
 

至近距離にいた俺は――ずたずたに切り裂かれた――。
 
 
 
 
 
 

パティの躰から飛び出した霊体。

すでに、それには重力を拒む力すらない。

地に伏し、無力となった霊体のその先は。

魔術師ギルドの長が印を切って待ちかまえていた。
 
 

「今こそ滅せよ!! 真なる名、サティ・ドール!!」
 
 

ボシュッ。
 
 

悪霊だった者――サティ・ドール――の霊体が、霧散した。
はじめから、そこには何もなかったかのように。
エンフィールドを恐怖に陥れた悪霊の、あっけない最期だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「終わった、か……。」
俺は、そうつぶやいた。
全身は傷だらけだった。至る所から血が流れ落ちている。
だが、俺の躰は満足感に溢れ返っていた。
 
 
 
 

「公くん。こんな事が終わった直後に言うのも何だが……。
君をパティ・ソール殺人容疑で現行犯逮捕する。」
そう宣告するリカルドのおっさんの顔は、苦渋に歪んでいた。
アルベルトも、名状しがたい形相をしている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

だが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「殺人? 誰が死んだんだ。」
 
 
 
 
 
 
 
 

俺は、あっさりと言ってのけた。
 
 
 
 
 
 
 
 

「……貴様あっ! 自分が何をやったのか、覚えてもいな……」

「待て、アル。」

リカルドのおっさんがアルベルトを止める。

おっさんの視線は、パティの胸の上、性格にはナイフに向けられていた。
 
 

「隊長!? なんで止めるんですか!! こいつは……。」

そこまで言って、アルベルトの言葉が止まった。おっさんが突然高笑いをはじめたからだ。

「はっはっはっはっ……だまされた!! 私もまんまと騙されたよ、公くん……!!」

ただ、ただ愉快そうに笑っているおっさん。こんなの初めてみた。
 
 

その笑い声に気をよくして、俺は少しいい気になって言葉を続けた。

「へへっ、エンフィールドの守護神、リカルド・フォスターの目をたばかることができるとはね。

俺もいっちょ手品師も職に入れてみようかな?」

おっさんをたばかることができるなら、絶対確実だな。
 
 

だが、おっさんはあっさりと言い放った。

「そこまではいくまいよ、公くん。あれほど真剣だったからこそ騙されたんだ。

今のままでは3流手品師が関の山だぞ、クックックッ……。」

「ちぇっ、ひでー言い方!」
 
 

その時、アルベルトがふと気づいたように、こう言った。

「騙された……たばかる……まさか!?」

「おっ、アルベルトのくせに気づいたのか?

その通り、種も仕掛けもないこのナイフ、その実は……」
 
 
 
 

と言いながら、俺はパティの胸から生えているナイフの柄に手を伸ばし、
 
 
 
 

勢いよく引き抜いた。
 
 
 
 
 
 

傷口から血が勢いよく流れ出す――
 
 
 
 
 
 
 
 

というようなことは全く起こらず、
 
 
 
 
 
 
 
 

それどころが、深紅に染まった胸元は、服に穴すら開いていなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 

「手品用のナイフなんだな、これが。」
俺は目の前に立つ2人にあっさりと言い放った。
そう、ジョートショップでテディに対して使おうとしていた物。
それこそが、俺の必殺の手品――悪く言えば、ハッタリだった。

俺は、まだ笑っているおっさんと呆然と立ちつくしているアルベルトに種明かしをした。
「パティにはこのナイフを使った手品を見せていたからな。
絶対に覚えていてくれたはずだ。」
でなければ、こんな手を使うつもりはない。パティを恐怖にさらすような手段は。

さらに俺は、この世に生きる大半の男の本音を口にした。
「それに、いくら俺でも殺すつもりは絶対にないぞ。
ましてや、この世で一番愛する女性をな。」
かなりくさい台詞だが、なんだか、俺の今の気持ちにぴったりだった。

『可能性は高い。』
懐のナイフに気づき、このブラフを提案したとき、そう魔術師ギルドの長は語った。
遥かな過去には、手品などと言う物は存在しない。
ましてや、胸を突かれれば、まず助からなかった。

そんな時代に生きた悪霊だからこそ、このハッタリは成功率が高かった。
『死んだと思いこめば、パティの躰から出ることになるじゃろう。
無力なファントムになれば、わしらでも倒すことは可能じゃ。』
そして、己の立てた計画を信じ、行動を起こしたのだ。

だから、だろう。
あの時のパティの
――信じてるからね――
の台詞は。

「どうせてめえのことだ。パティを怒らせるようなことをしたから覚えていたに決まっている。」
「ぐ。」
いきなりのアルベルトの台詞。
はっきり言って否定できない。

なにせ、ナイフジャグリング――だったか? あの、親指の外側にナイフの先端を置いて構え、
親指とひとさし指の間、親指の外、ひとさし指と中指の間、と次々と素早くつっついていくアレだ。
それを思いっきり高速にやって、「うわっ、指が、指がぁーっ!」とやったのだ。
もっとも、その時に激怒してぶん殴られた主因は、「店の机に傷がついたでしょ!」だったが……。
 
 

そのツッコミのおかえしといっては何だが、この二人にちょっとした頼み事をすることにした。
「ほれ、自警団なら、要救助者2名をとっととクラウド医院に運ばないか?
ご覧の通り、パティはダウン、俺は全身傷だらけ。
この状況で助けないなんていわねーだろうな、アルベルト?」

ぐっ、と息をのむアルベルト。こんなパターンは予測してなかったらしい。
その上、
「パティくんは私が運ぼう。アル、公くんをおぶってやれ。」
というおっさんの台詞が、嫌な選択肢を強制させてしまった。

「た、隊長!! こんな時に、えと、その、ゴニョゴニョ……。」
気持ちはわからんでもない。
俺だって、目の前にパティとアルベルトが倒れていたら、迷わずパティを選んでいる。
だが、ここはおっさんには目をつぶって、アルベルトへの嫌がらせを優先した。

「ほれほれ、おっさんの命令だぞ。おぶわんかい、ホレホレ。」
「……ぐぐっ、あ、後で殴ってやる……。」
そう言いつつも、俺をおぶっていくアルベルト。
こういう堅いところさえなければ、いい奴なんだがなぁ……。
 
 

クラウド医院の病室。
ベッドの上に俺はいる。
俺の体は見事に包帯だらけだった。
とりあえず、俺のケガは全治3週間といったところだ。
 

パティが隣のベッドで眠っている。
白い毛布が、呼吸によって上下するのが見える。
あの悪霊に躰を乗っ取られたことで、体力と精神力をかなり削られたらしい。
未だに目覚めていない。

「お前も帰って休め。」
そうドクターに言われた。だが、俺は帰らなかった。
「パティが目覚めた時に、そばにいたいんだ。」
そうドクターに言ったら、返事は『最悪でもここで寝ていろ。』だった。

そういうわけで、パティと同じ病室のベッドで眠ることにした。
俺としては、冗談でもなくパティと同じベッドで寝ようとしたが、ドクターの
「俺の手で全治2ヶ月のケガを今すぐ負うか、それともディアーナに治療をまかせようか?」
というえげつない、そして最悪の脅しで泣く泣くあきらめた。
 
 
 
 

そして――
 
 

「おはよ、公。」
 
 

「おはよう、パティ。」
 
 

朝日の中、信じあっていた二人のキスで、また二人の日常が戻ってきた。
 


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