「ロシア? なぜまた? それもこんな寒い時期に?」・・・
ロシアにホームステイに行ったと言うと、多くの場合こんな反応が返ってくる。僕の場合そんなに深い
理由や、思い入れがあったわけではない。ロシアについて、ソ連時代の共産圏・軍事大国といったイメージや、文学や
音楽・バレエ等の分野で、優れた芸術を生み出した民族というイメージはあっても、一般の人々がどんな
ことを考え、どんな暮らしをしているのかということに関しては、殆ど知らない。
ウラジオストックを例にとっても、僕の住む広島県とほぼ同経度にあり、人口65万の大都市で
ありながら、人々がどのような暮らしを営んでいるのか、あまり知識がない。人種的にも、文化的にも、
非常に遠い人々の暮らしが、距離的にはこんな近くにある。しかしそれについて殆ど知らない。
こんなところがロシアに興味を持ったきっかけであろうか。
まあロシアといっても、極東だから距離的に近いというのがあって、心理的にも気楽に行けた
という部分もあった。
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1993年12月も押し詰まった年の暮れ、
僕はロシア沿海州のナホトカに向け、出発した。広島から 同じヒッポファミリークラブのメンバーである、
(右上のイラストで上から順に)
モリハラさんと、私と、アリョーシャ(ニックネーム)の3人で連れ立って広島を出発した。
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広島から新大阪までは新幹線で。 バスで伊丹空港に移動して、空路新潟へ。新潟で前泊した。
ここまでのチケットの手配/予約関係は全てアリョーシャにやってもらった。
新幹線の中では、暖冬の日本からすると、あまりに大げさな冬装備に周りの目が
少し気になった。
次の日、新潟空港で他のホームステイ参加者と合流し、夕刻アエロフロートで日本海を渡った。
約2時間のフライトだった。アエロフロートは初めてだったので、どんな感じだろうかと思って
いたが、他の航空会社とそんなに違いはなかったと思う。機内食も出て、そこそこ美味しかった。
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ウラジオストックの空港に着陸した時、もう夜であたりは真っ暗。ロシアに着いて、
「これがロシアなのか!」と最初に驚かされたのが、飛行機からて空港の建物に移動するバス
だった。夜だというのにこのバス、車内に灯りが一切ないのだ。中の様子が全く見えないまま、
みんな無言でバスに乗っているのが異様だった。
空港の建物は、空港というより体育館の倉庫、または老朽化した田舎の駅舎というような風情で
、照明も薄暗い。夜が暗いのはあたりまえだが、日本と比べると、ロシアでは圧倒的に街灯などの照明が
少ない。あっても照明自体が暗い。
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これはロシアにステイ中どこに行っても、いつも感じていたことだ。
田舎育ちで夜の暗さには慣れているはずなのだが、この薄暗さはいつも僕を不安にさせた。
ウラジオストックの空港から、ナホトカまではバスで移動した。またしても灯りといえば、
時々遠くの民家の窓から漏れる灯りだけだ。ひたすら漆黒の原野を走る。
途中トイレ休憩でバスが停車したので、バスの外に降りてみると、道の両脇には大きな石が
ゴロゴロしていて、いかにも原野の中を走っているんだな、という感じがした。
寒さはそれほどでもなく、むしろ爽やかであった。
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バスの中は、これから始まるホームステイの話で盛り上がり、結構楽しいのだが、このバス、
各席の窓ガラスを開けてみようと力を入れてみても、凍り付いていて全く開く気配がない。
それから車内に排気ガスが入ってきて、気分が悪くなりそうだった。 |
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あれやこれやで「ちゃんと目的地まで無事に到着するのか」、「何かトラブルが起こるのではないか」、
という不安が、最後まで拭えなかった。
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