大晦日の夜は、家族全員で、ナホトカのマーマチカの妹の家で過ごすことになった。
コシネンコ家の家族4人と僕は、車でマーマチカの妹家族の家に出かけた。
途中、ナホトカの市街では大声をあげて騒いだり、花火をあげたりして、既に新年のお祝いモードに入っていた。
|
家に着くと、まずジェーニャについて、この家の子供部屋に遊びに行った。マーマチカの妹には2人の娘が
いる。年頃の女の子らしく壁には一面、ロシアのアイドル?の写真が貼ってあった。
部屋ではロシア人と朝鮮系の人のハーフの男の子が遊んでいた。この子も親戚の子供で、親に連れられ、
遊びに来ているらしい。
姉(=マーマチカの妹の娘)のほうは16才くらいだろうか。見ているとクローゼットから
取っ替え、ひっ替え、洋服を取り出しては、鏡に映しながら、洋服選びをしている。
洋服が決まると、髪型を整え、念入りに化粧を始めた。(注:イラストの人ではありません)
彼女の全ての支度が終わると、マーマチカは彼女と僕のツーショットの
記念写真
を撮ってくれた。
だけどこの娘、僕に対しては全く興味なしって感じで無愛想・・・と思ったら、まもなく家に、
ボーイフレンドが迎えに来て、そそくさと出かけていった。なるほど、だからあんなに洋服選びと
化粧に気合入っていたのか。納得。!!
子供部屋を出て、リビングルームで食事の準備が整うのを見ていると、白いドレスで着飾った
金髪の女性が現われ、僕の方に向かって歩いて来た。
|
|
|
金髪の女性は僕に向かって言った。「分かりますか?」 分かりますかって何が?? ...
分かった!、この人、昼間ナホトカで会った、マーマチカの親戚の奥さんじゃん!!。
着飾って、髪まで染めていたから気付かなかったぜい!。
だけど、親戚の、言ってみれば身内だけの集まりで、髪染めたり、ここまで着飾ったりするの?。
日本だともっとカジュアルな雰囲気でやると思うのだが・・・
|
|
ところで、ホームステイに来たとき、僕の使えるロシア語は、単語5つくらいだったが、このステイ
終盤頃には、それが飛躍的に増えていた。
日本でロシア語のテープ(ヒッポファミリークラブのもの)を意味も分からぬまま、ずっと聞いていて、
ロシア語の音だけは、ものすごく自分の中に貯まっていた。だけどその音と、それがどういう意味か、
どういう状況で使うべき言葉なのか、が結びついていなかったのだ。
それがホームステイの実際の生活の中で、耳にする生のロシア語の中に、テープで聞いたのと同じ音が
あって、その場の状況から、その音と、その音がもつ意味の関係が分かるという小さな発見が、
たくさんあった。この繰り返しで、使える、わかるロシア語が徐々に増えていった。
|
|
年越しのパーティーでは、ご馳走作って、食べて、飲んで、しゃべって、唄って大騒ぎ。
ふと見ると、この家の主人(マーマチカの妹の旦那さん)が猟で仕留めたのであろう鳥が、
クリスマスツリーの元に置いてあった。
「この鳥、日本にもいるよ。僕の父も昔狩猟をしていて、獲ってきたことがあるので知ってるんだ。」
と僕が言った。「日本語でこれはなんというの?」とご主人が聞いたので、「キジって言うんだ」と、
教えてあげた。
みんなから、「ロシアの歌を知っているか?」というので「はい」と答えると、「唄ってみろ!」
ということになり、僕は「一週間」を唄った。「♪日曜日は市場に出掛けー、糸とー、麻をー、買って来た。
テュリャ、テュリャ・・・」というあの歌だ。歌詞は日本語で唄ったが、そんなに音痴じゃないはず?
なのでメロディは分かってもらえる予定だった。
だが、みんなの反応は今ひとつ、・・・そんな歌もあったよな。というような反応だった。
これってロシア民謡じゃなかったの?!「百万本のバラ」でも歌ったほうがよかったかな。
それよりびっくりしたのが、マーマチカの妹が梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」
(35歳未満の皆さん知ってますか?)を日本語で歌ったこと。この歌ってロシアでもポピュラーなの??。
っとまあこんな感じで歌ったり、いろんな話をして盛り上がりながら過ごしたのでした。
|
|
|
午後10時くらいだったか、「スノービーゴーダム:新年おめでとう」と言う声とともに、乾杯が始まった。
どうやら、カムチャツカ時間で午前0時になり新年を迎えたから、ということらしい。約1時間後には
今度はサハリン時間で「新年おめでとう!」と、やっている。こんな調子で延々夜中の2時、3時まで
乾杯が続いたのであった。
残念なのはビールジョッキ一杯で真っ赤になってしまう僕の酒の弱さ。
途中でダウンしてベットのある部屋へ連れて行かれた。このときばかりはみんなと
最後まで盛り上がりたっかたのに。
|
|
|
テレビでは年末年始の特別番組をやっていた。エリツィン大統領が出てきて、国民に挨拶していた。
あとはレポータが、新年を迎えるロシア各地の様子をレポートしていた。
そのあとテレビでは、延々音楽番組が続いていた。その場の皆は、テレビから流れてくる音楽に合わせ、
歌ったり踊ったりしていた。
テレビの音楽番組が終了すると、今度はラジカセで音楽を掛けて、その音楽に合わせて皆踊った。
そば食べて、あとはコタツでみかん食べながら紅白見て年越しする日本とは随分違うよな。っていうか、
夏場に盆踊りすることはあっても、知り合い同士で、家の中で踊るっていうのが日本とは決定的に
ちがうよなーって思った。
このパーティを過ごしているとき、僕の中では楽しさの一方で、
「このステイも、もう終わってしまうのか」という空しい気持が、徐々に広がってきていた。
|
|
|