「髪、伸びたな…」





 ふとヒノエは呟いて、テーブルを挟んで食事をしていた望美の前髪を指先で摘んだ。
「にゃ?」
 目の前に伸びてきたヒノエの手へ、望美が不思議そうに目をやって瞬く。
「お前の綺麗な瞳が隠れちまう。もったいないな」
「にぃ?」
 至極残念そうなヒノエを見て、望美は自分の前髪をちょいちょいと突いてみる。
 その愛らしい仕草に、ヒノエの口元に優しい笑みが浮かんだ。
「ちょうど休みだし、髪切りに行こうか?ついでにお前の買い物もしよう」
「なぁ?」
 おでかけ?と問いかけるように瞬き、小首を傾げる望美。
 表情はあまり変わらないが、長いしっぽがゆらゆらリズミカルに揺れて、実は嬉しがっているのだとヒノエに教えてくれた。






「前髪はこのくらい、サイドにシャギーを入れて、後ろはそろえる程度にしてくれるかな?」
 猫専門店に望美を連れてきたヒノエは、まずカットサロンに足を運んだ。
 ヒノエが望美の為に選んだ専門店は、猫に関するあらゆるものを取り揃えている店だった。
 それも質のいいものだけを扱う高級店。
 大型ショッピングセンターにあるようなペットショップとは格が違う。
 ヒノエはいつもこの店で望美の必需品を購入するが、すべてが一級品のため値もはる。
 しかしヒノエは、金額を気にすることなく、彼女が欲しがる物を買い与えてやっていた。
 だが、望美はあまりたくさんの物を欲しがらないため、驚くような金額になったこともないのだが……。






 カットサロンで望美の髪型について細かく指定した後、それが仕上がるまでの間、ヒノエは時間つぶしに店内を見て回っていた。
 整った容姿のヒノエは、いつでもどこでも人の目を引く。
 今も店内の客や店員、果ては猫たちの視線をごっそりと集めていた。
 売り物の猫の女の子達は、滅多にいない最上級の男の気を惹こうと、一生懸命鳴いたり、しなやかな伸びを見せて自分をアピールしている。
 いい男に対する猫の女の子達の露骨な態度に、日頃彼女達を見慣れている店員も苦笑を禁じえなかった。
 だが猫達に熱いアピールをされまくっているヒノエは、デニムの後ろポケットに指を引っ掛け、可愛らしい鳴き声を上げる彼女たちに目もくれず、棚に陳列された商品を見ていた。






「なぁ…」
 自分を呼ぶ聞き慣れた控えめな鳴き声を耳にし、ヒノエは後ろを振り返った。
 そして、ふっと目を細めて笑みを浮かべる。
「出来たか?」
「にゃ…」
「いかがですか?」
 望美についてきた店員が、にこやかに飼い主のヒノエへ問いかける。
 ヒノエは顎に指先を当てて望美を見つめた後、手を伸ばして望美の額に触れた。
「にゃっ!!」
「イテッ!!」
 容赦なく望美から手を叩き落され、ヒノエは苦笑しながらその手を振ってみせた。
「セットが乱れるから触るなって?」
「なぁ!」
 ヒノエを咎めるように睨み、望美がこくこくと頷いた。
 そんな望美の様子を見て、ヒノエは店員へと視線を移した。
「姫君が気に入ったようだからいいよ」
「ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げた店員に、代金は買い物分と一緒に払う旨を告げて、ヒノエは望美を手招いた。
「に?」
「来いよ。お前に似合いそうな物見つけたぜ?」
 望美はヒノエに手を取られ、引っ張られるようにしてその後をついて行った。







「ほら」
「にゃん?」
 ヒノエが望美に差し出したのは、白い透かしレースで縁取られた黒い日傘だった。
「お前に似合うよ。散歩の時に使ったらどうだい?日焼けが気になるだろ?」
 望美はヒノエに手渡されたパラソルを開き、肩に置いて差してみた。
 くるくると回すと、透かしレースが光を透して不思議な模様を描き出す。
「にゃん!」
「気に入ったかい?」
 ヒノエに聞かれ、望美が嬉しそうに笑いながらくるりとターンをして見せた。
 望美の真っ白な尻尾がふわりと揺れた。
 望美のご機嫌な様子が、ヒノエを楽しませてくれる。





 とびっきり可愛い猫の女の子と、彼女を甘やかす最高にカッコイイ男の様子は、またしても店内の注目を浴びていた。
 さっきまで騒いでいた売り物の猫の女の子達は、不機嫌になり寝そべっている。
 ヒノエはパラソルをさしたまま、軽やかなステップを踏んでみせる望美に笑みを深くした。
「じゃあ、それを買おうか。あと欲しいものはあるかい?持ってきなよ」
「にゃん」
 ヒノエが選んだパラソルがかなり気に入ったのか、望美はそれを差したまままっすぐに服を見に行った。
 洋服については、何件かお気に入りのブティックがあるはずなのだが、やっぱり女の子。
 どこでも服は見たいらしい。
 女の子の買い物は、人でも猫でも時間がかかる。
 それに望美は服を選ぶとき、あまりヒノエに傍にいて欲しくないらしい。
 以前、ブティックで望美の傍にいた時、彼女に店の隅まで追いやられたことがあるのだ。
 どうやら、望美はヒノエの目を気にせずにゆっくりと選びたいようだった。
 だからヒノエはレジ近くのソファに座って、望美が戻ってくるのを待っていた。
 






「にゃ」
「決まったかい?」
 望美の声で、ヒノエは触っていた携帯電話を閉じて顔を上げた。
「にゃー」
 これが欲しいの!と言わんばかりに、望美はそれをヒノエの前に広げて見せた。
「…………望美?マジか?」
 望美が持ってきた物を見た瞬間、ヒノエはらしくなく絶句してしまった。
「にゃー!にゃー!!」
 微妙に困惑するヒノエへ向かって、望美が抗議の声を上げる。
「いや、似合うよ。似合うと思うけどね……」
 ヒノエは弱りきって、がしがしと頭を掻いた。
「にゃっ!!」
 似合うなら買って!と、いつになく強く欲しがり、望美はそれをヒノエの胸に押し付けた。
「……マジで?」
「にゃん!」
 真剣な表情で、望美が深く頷く。
 そんな二人のやり取りを見ていた店員が、微笑みながら駄目押しをしてきた。
「お嬢さんにとってもお似合いですよ。女の子ですから可愛いのがいいですよね?」
「にゃあ」
 力強い言葉を得て、望美が買ってー、買ってーとヒノエの袖を引っ張って揺らす。
 ヒノエが望美の欲しがる物の購入を躊躇うのは、これが初めてだった。
 そして望美がここまで強く欲しがるのも珍しい。
 誰がみてもイケメンのヒノエに可愛らしく我侭を言う望美に、店内の視線が集中する。
「………そんなに欲しい?」
 子供のようなわがままが可愛いと思いつつ、ヒノエは溜息を吐いた。
「にゃん!」
 間髪入れずに返ってきた、笑顔つきの頷き。
 ヒノエはがっくりと肩を落とした。
「………わかったよ。お前が使うなら買いなよ」
「にゃん!」
 ヒノエの許可が出て、望美は上機嫌でパラソルとそれを店員に差し出した。














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