(たまんねぇ…)





 ヒノエは熱を上げた自分の体に苦笑する。
 たったこれだけのことなのに。
 可愛い女の悪戯が、これほど刺激的とは思わなかった。





 ライブとは違った意味で、望美の存在がヒノエを昂揚させる。
 ヒノエは心沸き立つ面白さに思わず笑ってしまいそうになるのを押さえ、望美の前に膝をついた。





「望美……」
 顔を伏せたままの望美の肩にヒノエが手を伸ばす。
 しかしその手はすかさず望美に叩き払われてしまった。
「望美?」





「ヒノエくんはずるい!!」
 望美は顔を上げないまま、いきなり怒鳴った。





「ヒノエくんはいっつも余裕で、息が出来なくなるくらいドキドキするのは私ばっかり。ヒノエくんにからかわれてるだけだって分かっているのに、馬鹿みたいにいつも戸惑って…」
「ちょっと待て、望美」
 ヒノエが僅かに眉を寄せ、望美の言葉を遮ろうとする。
 しかし顔を膝に埋めたままの望美は、くぐもった小さな声で淡々と続けた。
「ヒノエくんは女の人の扱いに慣れてるから、私をからかうのは簡単だってわかっているのに、それでも悔しくって」





「待てよ、望美」
 ヒノエの声に耳を貸さない望美に、少しだけ声を荒げて細い肩を掴む。
 そして望美の頤に手をあて、強引に顔を上げさせた。
 かっちりと合った視線。
「黙って聞いてたら、結構言ってくれるね?」
「…ヒ、ヒノエくん?」
 いつになく鋭い眼差しのヒノエに、望美は本能的にたじろいだ。
「オレが望美をからかってるだって?望美はそんな風にオレを見てたんだ?」
「だって…」
 静かな怒りを見せるヒノエに気圧されて、望美の体と声が小さくなる。
「『だって』何?言ってみなよ」
 ヒノエは笑みを消したまま、望美の背を壁に押し付けた。






「ヒノエくんには、いっぱい恋人がいるって聞いたもん」
 ヒノエの強い視線から顔を逸らせた望美が、拗ねたように唇を尖らせる。
 その小憎らしいほどの可愛らしさに、瑞々しい唇を盗みたい気になったが、ヒノエは殊更不機嫌を表に出した。
 こんなにか弱くて素直な望美は初めてだったから…。
 もっともっと彼女を深く知りたくて。
「……ふうん…。誰に?弁慶か?」
 望美はその問いには即座に首を振った。
 もちろん、ヒノエも弁慶が言ったとは欠片も思っていなかった。
 弁慶お気に入りの望美が不愉快に感じることを、彼が言うはずないと分かっている。
 おいそれとヒノエに本心を悟らせない弁慶だが、その程度のことなら生まれた時からの付き合いだから知っている。
 それならばいったい誰が望美に変な事を吹き込んだのか。
 しかも現在進行形でだ。
 ヒノエはこれみよがしに大きく息を吐いた。





「誰が望美に言ったかはどうでもいいな。でも望美はそれを信じたんだ?俺がそんなに不誠実だと思ってたんだ?」
「あ……」
 ヒノエの指摘に、望美の顔が青くなる。
「それって、オレに対してすっげー失礼だと思わないか?」
「……」
「過去に女がいた事は否定しない。隠せるとも思ってない。けどな、今は望美だけだぜ?いつも言ってたのに、それさえも信じてもらえてなかったんだ」
「ヒノエくん…」
「望美はオレをずるいと言ったけど、オレからすれば望美のほうがずっとずるいぜ」
 ヒノエは望美の手を取って、自分の首筋に導いた。





 
 触れた手のひらから感じるヒノエの肌の熱さ…。
 望美はその熱さに驚いて、手を引こうとしたが、ヒノエに手をしっかりと握られていてそれはかなわなかった。
「オレの熱、感じる?」
 ヒノエの問いかけに、望美がおずおずと頷いた。
「熱いだろこんなにオレの熱を上げられるのは望美だけだ。ドキドキするのは望美だけじゃない。オレの鼓動はいつだって、望美のせいで跳ね上がるよ」
「ヒノエくん…」
「そしてそれを鎮められるのも望美だけだ。………オレを煽った責任、取ってくれるよな?」
「えっ!?」
 望美の目に、至極楽しそうな笑みを浮かべるヒノエが映った。






「ヒ、ヒノエくん!」
 これでもかというほど、顔を赤く染めた望美が焦りの声を上げる。
 先ほどまでは、もっと密着していても気丈にヒノエを見つめ返していたのに。
 望美の見せた精一杯の強がりが、素の望美を前にしてますます愛しく感じた。
 そしてもっと自分だけで望美の思考を満たしたくなった。
「ふふ、可愛いね、姫君。こんなところじゃなかったら、望美を押し倒しているね」
「ヒノエくんっ!?」
 望美は声を裏返らせて驚き、ヒノエから逃れようと体を捩るが、鍛え上げられた男の腕を振り払うことは出来なかった。
 ヒノエは喉を鳴らして低く笑い、望美の耳元に唇か掠めるほど近く顔を寄せ、吐息に甘い囁きを乗せた。





「押し倒して、望美が嫌がっても頭がとろとろになるまでキスしてやるよ。それからお前の柔らかな体を開いて、オレが知らないところがないくらい、外も内も触れて口付けてやる。
望美の体も心もオレの事しか考えられないように、オレでいっぱいに満たしてやりたい」
「ゃあっ……」
 熱い吐息と言葉で耳朶を愛撫されているような感覚に、望美の唇から熱のこもった甘えを含んだ声が漏れた。






「望美、そろそろ素直にオレの女になりなよ。もう限界近いぜ?早くお前を抱きてぇ…」
 甘く熱い囁きと共に、望美の耳のすぐ下の首筋にヒノエの唇が押し当てられた。
 その感触に望美はギュッと目をつぶって硬くした体を震わせた。
 ヒノエの鼻腔をくすぐる甘い少女の香り…。
「やっぱ、たまんねぇな…。望美、目ぇ閉じたら、男には誘ってるように見えるぜ?」
「やっ!」
 ヒノエに顎をつかまれ強引に上向かされて、望美は小さな悲鳴を上げた。






「いい加減にしなさい!」
「いってぇ!!」
 痛そうな鈍い音と、柔らかな、けれど逆らうことを許さない静かな怒りを含んだ声が振って来たとたん、望美の体を包んでいたヒノエの体温が遠のいた。
「時と場所を考えろと言ったでしょう!」
「弁慶……。一度ならず二度までも、とはどういうつもりだ!」
 顔を顰めて弁慶に噛み付くヒノエは、片手で頭を押さえていた。
 そんなヒノエを弁慶が冷ややかな眼差しで見下ろした。
「TPOをわきまえないヒノエが悪い。ここはスタッフの行き交う場所ですよ?望美さんをいつまで晒しておくつもりですか」
「晒してねぇよ」
「あなたがそのつもりでも、馬鹿なことをしているせいで、スタッフの興味をひくんですよ」
 弁慶は呆れきった顔でヒノエを一瞥し、床に座り込んだ望美の腕の下に腕を回し、その体をグッと力で引き上げた。
「おいでなさい、望美さん」
「弁慶さん…。でも…」
 望美は急激な体勢の変化についていけず、弁慶に縋りつきながら戸惑いの顔を見せた。
 その望美に、弁慶が柔和な笑みを見せる。
 今の今まで、ヒノエに向けていた冷笑など片鱗も残していなかった。
「あなたがここにいるとヒノエが動かなくて困るのですよ。ヒノエ、さっさと用意をしなさい。望美さんを僕が送ってもいいのなら、そのままでもかまいませんが」
「…ムカつく」
 ヒノエは小さく呟いて、髪を乱暴に掻きあげながら、やれやれと立ちあがった。







「望美さん、もう少しヒノエを焦らしてあげなさい」
 望美の肩を抱いて歩きながら、弁慶は声を潜めて言った。
「弁慶さん?」
 不思議そうに弁慶を見返す望美の澄んだ瞳に、ふわりと微笑みかける。
 望美が大好きな、弁慶のどこまでも優しい微笑み。





「あなたがなぜ頷けないか、何が足りなくてあなたを迷わせているか、いつまで経ってもそれに気付かない男は、もう少しいじめてあげなさい」
「いじめるって…」
 弁慶の悪戯めいた言い方に、望美がくすくすと笑い出した。
「望美さんを不安にさせるヒノエが悪いのですよ」
「弁慶さん…」
 何事にも聡い弁慶には、望美の心などお見通しのようだった。
 望美が、複雑な表情で弁慶から視線を外した。






「弁慶!望美に気安く触るなよ!!」
 後からついて来ているヒノエが、不機嫌丸出しで望美の方を抱く弁慶に怒鳴りつける。
 弁慶は鼻先で笑って、ますます望美を自分の方へ抱き寄せた。
「弁慶!!」
「それにあなたが頷かない方が、僕も楽しいですから…」
 にっこり笑った弁慶に、望美は何とも言えない苦笑を浮かべた。












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