「ここをどこだと思っているのですか?望美さんを口説くのならば、もう少し考えないと上手くいきませんよ?」
「上手くいきそうなところを思いっきり邪魔しておいて、ぬけぬけと何言いやがる!!」
 苛立ちを隠そうともせず、ヒノエは弁慶を睨みつける。
 しかし弁慶はそんなヒノエを小馬鹿にしたような薄い笑みを口元に浮かべた。






「上手く?……まだまだ女心がわかっていないようですね?ヒノエ」
「偉そうに言うな!」
「偉そうなのはどちらですか?」
 弁慶は呆れた溜息をついて、ヒノエの背後に視線を移した。
「望美さんもです。ヒノエをからかうのならば、時と場所を選んでください」
「えっ?」
 弁慶の言葉に、ヒノエは瞠目して勢いよく望美を振り返った。
 だが先ほどまで視線を合わせていた所に望美がいない。
 視線を下へ向けると、その場所の床に小さく背を丸めて蹲る影がひとつ。
 弁慶はやわらかい微苦笑を口元に浮かべ、その塊に近づいて腰を折った。
「懲りましたか?」
「………懲りました。腰が抜けた…」
 膝に顔を埋めたまま、望美は小さな声でぼそぼそと呟いた。
 そんな望美の様子に弁慶が苦笑する。
「だからやめておきなさいと忠告したのですが……。まったく、いけない人ですね、あなたは…」
 弁慶は仕方ないと、吐息だけで笑った。






「だっていつもヒノエくんに勝てなくて悔しかったんだもん!」
 拗ねた顔で唇を尖らせ、弁慶を見上げる望美はすでに半泣き状態である。
 しかも首筋まで桜色に染めてだ。
 弁慶は望美の変化についていけないヒノエをちらりと流し見てから、望美の前に片膝をついた。
「背伸びをあまりしないほうがいいと思いますよ?ましてやヒノエが相手ならば…」
「だって悔しいもん!」
 優しく諭そうとする弁慶の言葉を、望美は途中で遮った。
「いつもいつドもキドキして、戸惑うのは私ばっかり。不公平だわ!」
「望美?」
 呆然として名を呼んだヒノエを、望美は座り込んだまま潤んだ瞳で見上げた。
「余裕がないのは、いつだって私だけだから、たまにはヒノエくんを驚かせようと思ったのに。
でもやっぱり私だけ心臓が壊れそうになって……。バカみたいじゃない!!」
 そう一気に捲し立てると、望美はくしゃりと顔を歪ませてまた顔を膝に伏せてしまった。
 日頃の冷静さを欠いて感情的になった望美に、弁慶は軽く肩をすくめて、すっと立ち上がった。






 
「ヒノエ。10分だけ時間をあげます。きちんと望美さんを落ち着かせてください」
「待てよ」
 ヒノエの肩を叩き、横を擦り抜けて行こうとした弁慶の腕をヒノエが咄嗟に掴んだ。
 そして、弁慶に顔を寄せ小声で聞いた。
「オレ、よく分からないんだけど……」
 そのとたん、弁慶から零れた大きな溜息。
「だから女心が分からないというんですよ」
「…悪かったな」
 憮然としたヒノエはいつもの大人びた彼ではなく、年相応の青年になっていた。
 弁慶はそんなヒノエの肩を軽く叩いた。
「望美さんは、いつもヒノエに翻弄されて悔しいから、たまにはあなたを誘惑しようとしたんですよ。けれど結果は返り討ち。場数の差を考えれば当たり前ですが、まったく望美さんは可愛いですね」
 ヒノエは蹲る望美を振り返り、口元を手で覆った。






「……やられた」







 呟く彼の顔が興奮の色に染まる。
 女を相手にして、ヒノエの珍しい表情を目にし、弁慶は内心驚いてしまった。
(ヒノエにこんな顔をさせるとは……。やはり望美さんは本当にヒノエの心を虜にしたようですね)
 弁慶はふわりと笑みを浮かべると、望美を見つめて立ち尽くすヒノエを置いて、楽屋へと向かったのだった。













            back | top | next