いつも驚かされて振り回されるのは私だから。
 たまには驚かせたいじゃない?




 ねえ……。




 あなたは驚いてくれる?









 学校から帰宅して、着替えるために自室に戻った望美は、勉強机に置かれてある葉書に気づいた。
 母が置いてくれたのだろう。
 望美はコートとブレザーを脱ぎながら、その葉書を手に取った。
「あ……。ライブ?」
 それは望美が入会しているファンクラブからの告知はがきだった。
 望美ははやる気持ちを抑えきれず、脱いだブレザーをベッドの上に放ると、着替えを中断して葉書の文字を目で追いながら椅子に座った。
 葉書の宛名面にあるのは望美の家の住所と名前、そして来月発売されるシングルとアルバムの告知。
 裏は新しいアルバムと同タイトルが打たれたライブツアーの日程。
 そしてぴったり張り合わされた葉書を二枚に剥がすと、FC優先予約の申し込み方法が記載されていた。
「春休みか……」
 ツアー開始は、今から数ヵ月後。
 ちょうど望美の春休みが始まる頃だった。
 FC優先予約のため、連絡が早いのだ。
 今回のツアーはいつもより会場数が多い。
 全国18ヶ所20公演。約二ヶ月かけて日程が組まれていた。
 いつもより多い会場数と、彼らの選んだ場所としては小さなホール。
 最後の4公演だけはアリーナクラスだけれど…。
「ヒノエくんったら……。やっぱり春は忙しいじゃないの」
 葉書に小さく印刷されたシングル用のアー写。
 一ヶ月前に逢ったとき、春休みの話になってヒノエは望美をデートに誘ったのだ。
『桜を見に行こう』と……。
 何ヶ月先の話をしているの、と望美は呆れたが、こんなタイトなツアースケジュールでは絶対無理に決まっている。
 葉書の中で僅かに憂いを秘めて俯いた横顔のヒノエを、望美は苦笑しながらつんっと指先で突付いた。







 望美がグリフォンのFCに入ったのはかなり前だ。
 友達に誘われて行ったライブがきっかけだった。
 それはヒノエと出会って少し経った頃のこと。
 ヒノエにも関係者席のライブチケットを貰ったけれど、その時は関係者席ではなく友達が取ってくれたアリーナ席でライブを見た。
 そのライブで彼らの音楽に初めて直接触れ、ヒノエと弁慶が作り出すグリフォンの曲と世界の虜になったのだ。
 そしてまたあの夢のような時間を過ごしたいと思った。
 だからFCに入ったのだ。
 ライブチケットを優先的に確保するために。
 でもヒノエにはFCに入っている事は内緒にしている。
 だって知られるのは恥ずかしいし、純粋にグリフォンの音楽とライブが大好きだから入ったのだ。
 ヒノエがいるからじゃない。
 ヒノエにアプローチされまくっている望美としては、妙な誤解をされたら困ってしまう。
 だから望美はFCに入っていることを、いまだにヒノエには黙っていた。








「ライブ……。おばあちゃん家の近くでもあるんだ……」
 今回のライブは、多くの地方都市も会場としてあがっていた。
 グリフォンの人気を考えると、会場はどこも狭いのだが……。
「ふぅん……」
 望美は指先でひとつ葉書を弾くと、窓の外に広がる空へと目を向けた。







 ヒノエはマメな人だと望美は思う。
 望美に「オレの女になりなよ」とストレートに口説いてきた時から、それをずっと感じている。
 それはメールの回数だったり、望美が何気なく話した事をしっかりと覚えていたり、とにかく彼は記憶力もよくてマメだ。
 彼はどんなに忙しくても、望美にメールを最低一日一回、たとえ一言しか書く暇がなくても送ってくる。
 いつも望美のことを考えてくれているという言葉を証明するかのように……。
 





 それがうれしくもあり、不安でもあり……。






 彼の女慣れした言葉や仕草が、信じるには怖くて……。







 ずっと自分の気持ちから目を逸らしている。
 






 ヒノエの本心が分からない……。








 いつもいつも振り回されてばかり。
 彼はいつだって余裕で、望美を思うようにからかってドキドキさせて。
 だから、たまにはお返ししてみたい。







 ヒノエは驚いてくれるのだろうか?















「桜か……」
 スモークガラスの向こうに見える満開の桜の木。
 ホテルからライブ会場への移動中、車の中から時々見える桜を気にしながら、ヒノエが一人呟いた。
 春先から始まったライブツアー。
 冬に桜を見に行こうと交わした約束は、どうやら果たせないようだ。
 この二ヶ月で全国を縦断するツアー。
 そのライブの取材や撮影、そして新曲の製作。
 どう考えても、短い桜の期間に望美と会うのは無理だった。
「嘘つきって言われるかな?」
 ヒノエは車窓を流れていく桜を目で追いながら、溜息交じりに苦く笑った。






「……そうですか、ええ」
 ヒノエが楽屋に戻ると、ちょうど弁慶が誰かと電話中だった。
 それを横目でみて、ヒノエは自分の荷物から携帯を取り出す。
 着信と新着メールの確認をして、ヒノエは軽く息を吐いた。
 何件か入っていたプライベートなメールと着信は、友達からのものだった。
 ヒノエが一番心待ちにしている人物からは一言も無い。
 いつものこととはいえ、それでも期待してしまう自分が滑稽に思えて自嘲した。
「珍しいですね、君が地方まで来るとは……」
 柔らかく微笑みながら話す弁慶を鏡越しに見つつ、ヒノエはケータリングのサンドウィッチを口に放り込んだ。
「席は?…………そうですか。そこなら僕からもしっかり見えますね」
 どうやら弁慶の知り合いがライブに足を運ぶらしい。
 あの口ぶりからすれば、十中八九女だろう。
 それもかなりのお気に入りとみた。
 相変わらずな弁慶から自分の意識を切り離すと、ヒノエは手に持っていた携帯を荷物の上へと投げやった。







「ヒノエ」
 弁慶に呼ばれて、腕を組んでうつらうつらしていたヒノエはだるそうに片目を開けた。
「何だよ?」
「もうすぐサウンドチェックです。そろそろ起きなさい」
「………うるせぇな」
 憎まれ口を叩くヒノエに、弁慶はわざとらしく溜息を吐いた。
「子供じゃあるまいし八つ当たりはやめてもらいましょうか?」
「してねぇよ」
「望美さんから連絡がないようですね?」
 ずばりと痛いところを突かれ、ヒノエは思いっきり顔をしかめた。
「ほっとけ!」
「苛つくのは勝手ですが、仕事にプライベートは持ち込まないように」
「……持ち込んでねーだろうが」
 その不機嫌さで持ち込んでないもなにもないだろうに…。
 弁慶は呆れて肩をすくめた。
「どうだか……」
 楽屋の外から弁慶を呼ぶスタッフの声がする。
 ギターの弁慶がヒノエより一足先にサウンドチェックに入るためだ。
 スタッフに応え、楽屋を出て行こうとした弁慶が、何かを思い出してドアのところで肩越しに弁慶を振り返った。
「ああ、そうだ、ヒノエ」
「うん?」
「今日のライブには僕の知り合いが来ますから……」
「……だから?」
 先の言葉を予想したヒノエが、射殺しそうな鋭さで弁慶をにらみつけた。
 しかしその敵意剥き出しの冷たい視線に、弁慶はにっこりと隙の無い笑みを浮かべた。
「少し愛想よくしてあげてくださいね」
「どっちがプライベート持ち込んでるんだよ!」
「サウンドチェック、弁慶さん入ってくださーい!」
 ヒノエの怒鳴り声に、扉をノックする音とスタッフの声が被る。
「可愛い子なんですよ。下手5列目にいますから、頼みますね」
 いけしゃあしゃあと言い残し、弁慶はサウンドチェックに入るため、ステージへと向かっていった。
 残されたヒノエは、やり場の無い苛立たしさをテーブルにぶつけた。
「お前の女なんか知るか!」
 楽屋に机とパイプ椅子の耳障りな音が響いた。
 






 意外と紫外線の強い春の夕陽を避けて、植込みの影に座っていた望美はそっと腕時計を確認する。
 時刻は17時30分。
 入り口からは開場を告げるスタッフの声が聞こえて来た。
 つい一時間前は、スタッフが出入りするたびに開く扉からリハーサルの音が聞こえてきていた。
 漏れてくるギターの音や歌声で、期待と興奮ががどんどん大きくなった。
 やがてそれも聞こえなくなり会場外でのグッズ販売が一時終了した後、ようやく開場した入り口からずっと待っていたファンが吸い込まれていく。
 望美の周りにいる人たちも、少しずつ動き始める。
 近づきつつあるライブの開演時間と共に、少しずつみんなのテンションも上がっているようだ。
 でも望美は携帯を握り締めたまま、立ち上がろうとしなかった。
 







 やがて……。
 手の中の携帯が着信を知らせて震え出した。
 マナーモードにしているから、着メロは鳴らないが……。
 望美は胸を押さえ、逸る気持ちを落ち着けてフラップを開いた。
『もうすぐ開演。望美は何してる?オレは少し喉の調子が悪い。ホテルが乾燥してたかな?』
 いつものメール。
 ヒノエはいつも開演直前にメールをくれる。
 ライブ前だからだろうか?そのメールはいつも簡単なもので、望美への口説き文句は入っていない。
 それでも望美を思い出してメールをくれることが、とても嬉しかった。
 望美は、すぐにヒノエに返信する。
『大丈夫?無理しないでね……、って言ってもライブだもん、ちょっと心配。ホテルのバスルームにお湯を張ってドアを開けて寝たらどうかな?
少しは湿度を上げられると思うんだけど……』
 返事はすぐに来た。
『サンキュ。今夜試してみるよ』
 それを読んでから携帯を閉じると、望美はよいしょと立ち上がった。
「さて、行きますか……」
 一人呟いて、望美は入り口へと歩いていった。













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