運命の赤い糸は、まるで悪戯のように二人を引き寄せる……。




 

「場所?勝手に決めてくれ。監督と弁慶の意見に口を挟むつもりはないね」
 新曲のPVの撮影場所についての打ち合わせ。
 スタッフかいくつか用意した、候補地の地図や写真をちらりと見ただけで、ヒノエは資料を隣の弁慶に押しやった。
「やれやれ…。相変わらずですね」
 弁慶はヒノエの態度に呆れて溜息をついた。
 しかしヒノエは悪怯れもせず、にっと笑う。
 悪戯っ子のようなヒノエの表情に、弁解は意外と弱かった。
 なんだかんだと言いながら、ヒノエは可愛い甥っ子なのだ。
 もちろん二人の関係は極秘だけれど。
 理由は、弁慶が『叔父さん』と言われたくない。その一点につきるが。
「映像に関してはお前に任せる」
 投げやりにも聞こえるが、弁慶へ絶対の信頼をおいているからこそのヒノエの言葉。
 弁慶は軽く溜息を零した。
「そろそろ自分の意見を言いませんか?」
 グリフォンは弁慶が作った。
 音楽に関しては弁慶と衝突するヒノエだが、グリフォンのプロモーションには滅多に口を挟まない。
 その為に、ヒノエの望まない仕事を弁慶から押し付けられることもあるのだが。
「場所はいいよ。撮影が始まったら、意見を言うかもしれないけどな」
「仕方ないですね…」
 弁慶はそれ以上ヒノエに無理強いすることなく、資料を捲り始めた。






「高校!?」
 PVのメインの撮影場所として知らされた事実に素っ頓狂な声を上げたのは、テレビ局の控え室で待ち時間にギターで遊んでいたヒノエ。
 対して弁慶は、ヒノエの驚きようも予想範囲内なのか平然と頷いた。
「ええ。今度の新曲のスピード感とパワー、突き抜けるような躍動感は若い子が相応しいと思って…」
「……何、じじくさい事言ってんだよ」
 ヒノエの憎まれ口を、弁慶は黙殺した。
「いくつか候補の高校がありましたが、承諾してくれたのは一校だけでしたので、そこに決めました」
「ふ〜ん…。で、いつ撮影?」
「ちょうど一週間後です」
「はぁ!?平日じゃないかよ。何考えてるんだ?」
「その日は、創立記念日で休みなのだそうですよ。………表向きは」
「なんだよ、それ?」
 ヒノエは弁慶を窺って、眉間に皺を刻んだ。
 弁慶はその端正な顔に食えない笑みを浮かべた。
「グリフォンを見たければ、自主登校するでしょうから」
「………学生に伝えるのか?」
 ヒノエが嫌そうに顔を顰める。
 ヒノエはファンに愛想はいいが、集中を要する仕事中は必要以上に騒がれるのを嫌っているのだ。
 もちろんそれは弁慶も同じ。
 しかし必要とあれば、どれだけ騒いでもらってもかまわない。
「馬鹿正直には言いませんよ。ただ芸能人が撮影に使うとだけ。グラウンドを占拠して部活動の邪魔をするんです。一応、それなりの理由はね…」
「学生、映すつもりか?」
「ええ。窓に鈴なりになった彼らをね。きっとグリフォンの曲に華を添えてくれるでしょう」
「ま、スタッフだけより楽しいかもな」
 ヒノエはいつもと違うPV撮影に、期待と一抹の不安をこめてふっと笑った。






 スモークを貼った移動用の車から降りると、聞き慣れた耳を劈くような嬌声が二人を襲った。
 二人の姿を一目見ようと、校舎の窓という窓から生徒が身を乗り出している。
 その様子を、ヒノエは太陽の光を手で遮りながら目を細めて眺めた。
「でけぇ声……」
「若いですねぇ…」
「だから、じじくさい事言ってんなよ」
 ヒノエと弁慶は軽口を叩きながら、スタッフに囲まれて機材が設置された場所まで、グラウンドを歩いていた。
「ヒノエ、くれぐれも教室棟には入らないように」
「分かってるよ。オレも押し潰されたくない」
 ヒノエは学生に囲まれた自分を想像し、うんざりと弁慶に答えながら、歓声を上げる生徒に向かってにこやかに手を振った。





 立ち位置のチェック、リハ、アップ撮りと、撮影は順調に進んでいた。
 ヒノエも弁慶も、生徒に愛想を振りまいたのは最初だけで、後は撮影に集中していた。
 生徒もすでに落ち着いていて、ざわめきは残っているものの、大人しく教室の窓から撮影を眺めている。
 飽きた生徒だろうか?少しずつ学校を後にするものもいた。
「二人とも、少し休憩したら通してもらうよ」
 監督の指示を受け、ヒノエは了承の印に軽く手を上げた。







「暑いな…」
 ヒノエは体にこもる熱に顔を顰めて、皮のベストのファスナーを下ろした。
 あらわになった素肌に心地よい風が当たる。
 冷えたミネラルウォーターをあおり、ほっと人心地ついたヒノエは、自分に集まる視線を無視して、用意されていた椅子に腰を下ろした。
 耳に聞こえてくるのは、ヒノエと弁慶の一挙手一投足に、きゃあきゃあとはしゃぐ女生徒の声。
 野太い男子生徒の声は、ふざけているものとグリフォンの憧れているものとの二種類。
 能天気な明るさ。こんな雰囲気を味わうのは久しぶりだった。
 ヒノエは弁慶の手を取り、グリフォンを選んだ時に高校生活と決別したのだ。
 大切なものはただひとつだから…。
 グリフォンがなければ、ヒノエは今も彼らのようにふざけて笑いあっていたかもしれない。
 そんな生活をほんの僅かに懐かしみながら、ヒノエはぐるりと校舎を見回した。





 その時、ヒノエの視界を掠めた影…。
 それは偶然だったのか。それとも運命だったのか。





 ヒノエは軽く口笛を吹き、にやりと笑って立ち上がった。





「ヒノエ?」
 何の前触れもなく突然椅子から立ち上がったヒノエに、弁慶がどうしたのかと声をかける。
「弁慶、オレ少し日陰に行くから」
「かまいませんが、学校側の迷惑にならないように」
 しつこいほど繰り返されている注意に、ヒノエは軽く舌打をした。
 まったくいつまでたっても弁慶には子供扱いだ。
「わかってるよ」
 ヒノエはセットされた髪を乱さない程度に髪をかきあげ、唯一出入りが許されている管理棟に足を向けた。












「私、飲み物買って来るね」
 グラウンドので撮影が少し落ち着いたところで、喉の渇きを覚えた望美が窓から身を離した。
「望美、ついでに私のもお願い!」
「私も〜」
 その望美に便乗しようと、そばにいた友達からも声があがる。
 どうやら彼女達も何か飲みたかったみたいだが、撮影が行われているグラウンドから目を離せないらしい。
 そこでちょうど行動を起こした望美に、これ幸いとお願いしたようだ。
 望美は苦笑して、友達からのリクエストを受け付けた。





 芸能人が学校を撮影場所に使う。
 本人もやってくる。






 その情報が学校側もたらされたのは、昨日の下校時だ。
 誰が来るかはオープンにされなかったけれど、好奇心旺盛な望美たちは、いちもにも無く休みなのに登校を決めた。
 興味のない芸能人だったら、すぐに遊びに行けばいいし、と思って。
 学校側が出した条件は、制服で来る事と撮影現場である校庭と控え室に使われる会議室がある、管理棟一階に立ち入らない事。その二つだった。






 そして今日、今か今かと待ち構える生徒の前に颯爽と姿を現したのは、カリスマ的存在のグリフォンのふたりだった。
 さすがにそこまでのトップアーティストがやってくるとは想像もしていなかった生徒達は大興奮。
 望美も心底驚いていた。






『グリフォン』
 それはボーカリストのヒノエと、ギタリストの弁慶、二人のロックユニットだ。
 彼らは新曲を出せばランキング1位を獲得し、女性雑誌の『抱かれたい男ランキング』でも上位をキープしている、今まさにトップを走るアーティストだった。
 望美も、熱烈なファンというわけではないが、彼らの作る音楽が好きだった。
 遠くに聞こえてくる曲は、まもなく発売される新曲。
 学校でPVの撮影があったおかげで、誰よりも早く聴く事が出来た。
 自然と体が踊りだしてしまうほど、テンポのいい曲。
 望美はついつい、歩きながら曲に合わせて軽く頭を振っていた。





「ヒノエくんか……」
 生徒達の関心が校庭に集まっているため、ガランとした廊下を歩きながら望美はその名をなんとなく口にのぼらせた。





 彼と出会ったのは一月前。
 彼は突然望美の視界と意識に飛び込んできた。
 鮮やかな赤を纏って。
 あの一瞬は、今考えると都合のいい夢のような気がしてくる。





『オレに惚れなよ』





 何の前置きも無く、彼は望美の手を取ってそう告げた。
 不意に現れた彼。
 それが誰だとかわからなかった。
 ただ目を奪われたのは夕陽のような赤。
 突然男性に手を取られ、びっくりした望美は、一瞬固まってしまう。
 しかも目力のあるいい男なのだ。
 彼はそんな望美を引き寄せ、甘い言葉を囁いてきた。
「望美!」
 朔の呼び声に我を取り戻した望美は、焦りと恥ずかしさでその手を振り払って逃げてしまった。
 彼は追いかけてこなかった。
 ただ振り返った望美の瞳に、まっすぐに望美を見つめる彼の姿が映った。
 口元に不敵な笑みを浮かべ、射る様な強い眼差しで……。






「あれは驚いたのよね」
 望美はあの時を思い出して、くすくすと一人で笑った。
 望美の手を取った彼が『グリフォンのヒノエ』と知ったのは、傍で見ていた朔に言われたからだった。
 それでまたまた驚いてしまったのだけれど。






 媒体を通してみるヒノエはとてもかっこいい。
 でも間近でみたヒノエは、もっともっと素敵だった。
 吸い込まれそうな夕焼け色の瞳に視線を奪われた。
 きっとあの時ヒノエは、望美と朔の他愛ない会話を聞いていたに違いない。
 そして望美をからかったのだ。






 オレに惚れなよ、と言ったけれど、彼は望美の名前も連絡先も知りはしない。
 そして逃げた望美を追いかける素振りさえみせなかった。
 ほんの一瞬の彼の戯れ。






 でも……。
 





「ヒノエくんを近くで見られたから役得だよね」
 あれほど驚いたのに、今はいい想い出だ。
 望美はヒノエが触れた左手をそっと右手で擦った。






 ヒノエにからかわれたけれど、それも運がよかったのかもしれない。
 本当ならば、あんなに近くに、ましてや触れることさえ出来ない遠い存在なのだから。





 高校という同じ空間にいながら、誰よりも遠い人。
 望美はあの一瞬の邂逅に想いを馳せながら、グリフォンのいるグラウンドを横目で見つつ渡り廊下を歩いていた。









              back | next