(おかしくない……よね?)
望美は自分の姿を見下ろして、不安そうにキャミソールの端を抓んだ。
家を出る前に何度も鏡に自分を映してチェックしたのに、どうにも不安になってしまう。
望美がメディアを通して見るヒノエは、いつだってセンスのいいファッションをしている。
それに釣り合うように、なんて高望みはしないけれど、せめて並んでもおかしくないようにしたい。
深夜までかかって、ああでもないこうでもないと悩んだコーディネート。
こんなにも自分が着る服を悩んだことなんてないくらい、今日の天気や気温を気にして何日も悩んで。
唇には淡いピンクのグロス。
男の子と二人で会うなんて、幼馴染みの二人以外とは初めてでドキドキしている。
昨夜からこんな調子で、寝不足なのが気になるところだけれど……。
待ち合わせは駅前のロータリー。
望美は約束の時間より、かなり早くそこにやってきていた。
ヒノエがどうやってここに来るのか知らないが、待たせるのは悪いと思ったからだ、
電車だろうか?バスだろうか?
いやいや、ただでさえ彼は目立つ。
そんな手段で街中にいたら、『ヒノエ』だと気づかれて騒動になりそうだ。
彼はその美しい容姿だけでなく、放っているオーラの強さが違う。
人の視線を引き付け、釘付けにする強いオーラを彼は持っていた。
どこにいても彼は誰よりも輝いているから…。
だから望美もヒノエから目が離せなくなる。
悔しいけれど……。
望美はキョロキョロと辺りを見回して、少しでも早くヒノエを見つけようとしていた。
時刻は約束の5分前。
望美は手首にはめた華奢な時計で時間を確認して、再び顔をあげた。
その望美の目の前に、突然爆音と共に滑り込んできた真っ赤なバイク。
その音と大きさに驚いて、望美は思わず一歩後にあとずさった。
迫力のある大きさのバイクが望美の前で急停車する。
「待たせて悪かったね、望美」
真っ黒なフルフェイスのメットのシールドを親指で押し上げたライダーは、その奥で鮮やかな赤い瞳に不敵な笑みを浮かべていた。
「ヒ、ヒノエくん!?」
バイクで現れるなんて、望美の予測範囲外だ。
ヒノエはびっくり眼の望美に、メットの中でしてやったりと笑った。
「可愛いね、望美。そのアクセ手作りかい?」
黒いレザーのグローブに包まれた指先が、望美の胸元で揺れるターコイズをごく自然にすくいあげた。
「あ、うん……」
流行のターコイズのアクセが欲しくて、パーツを買って作ったばかりのネックレス。
身に着けたのは今日が初めて。
「望美に似合ってる」
メットの奥の瞳がふわりと柔らかくなってヒノエが手を引くと、離されたターコイズが望美の胸で軽く跳ねた。
同時に望美の鼓動も跳ね上がる。
反則だ。
こんなにかっこいい人にあっさり自然に褒められたら、どうしていいか分からなくなってしまう。
望美はわずかに頬を染め、自分の足先に視線を落とした。
ミュールからのぞく爪先には、ラメ入りのピンクベージュのペディキュア。
こんなに気合いを入れなければよかった。
慣れていなくて恥ずかしい…。
ヒノエの目に、自分はどう映っているのだろうか?
「ほら」
恥ずかしさと戸惑いに俯いてしまった望美に、ヒノエは無造作にそれを押し付けた。
「え!?」
ヒノエから渡されたものを受け取った望美が、驚いて顔を上げる。
「かぶれよ。遊びに行くぜ」
「か、かぶれって、まさか…?」
「そう、望美とタンデム」
ヒノエは笑って、自分の後ろを視線で示した。
「うそっ!?私、乗ったことないよ!?」
渡されたヘルメットを、望美は焦ってヒノエに返そうとした。
だが、ヒノエは楽しそうに笑いながらそれを望美に押しつける。
「大丈夫だよ。オレに身体を委ねてくれれば、ね?」
軽く片目をつぶって首を傾げるキザな仕草は、ヒノエにかかればとても自然だ。
「ヒノエくん!」
望美の頬が僅かに染まったのは、恥ずかしさか焦りか…?
「ほら、さっさとしろよ。いつまでもつまらない問答をしているつもりはないぜ?」
「……強引だよ」
「そんなところもいいだろ?」
文句も軽く返されて、望美はヒノエに敵わないことを悟った。
ヒノエは最初から望美をバイクに乗せるつもりで、デニムを指定してきていたのだ。
望美は溜息をつき、しぶしぶ渡されたヘルメットをかぶる。
そして顎にあるベルトを止めようとしたのだが、初めてなのでなかなかうまくいかない。
(ヒノエくんが見てるのに〜)
でも焦れば焦るだけ、指先が動かない。
(ど、どうしよう…)
ヘルメットに四苦八苦する望美を見ていたヒノエが、ふっと笑う気配がした。
「結構不器用だな」
「だって…」
シールドの向こうの望美が、ふにゃんと顔を歪ませる。
苦笑ながらヒノエはグローブを外すと、望美へと手を伸ばした。
「ほら、顔上げろよ」
ヒノエが望美の顎を指先で軽くくいっとあげた。
そして手早くベルトを締める。
「ありがとう…」
「どういたしまして。ほら、早く乗れよ」
ヒノエが自分の後ろを、顎をしゃくって示す。
望美は少し躊躇いながら、おっかなびっくりヒノエの後ろのシートに跨った。
(…手はどこにおけばいいの?ここかな?)
シートについているベルトを掴んでみる。
すると上体がふらふらして心もとないことこの上ない。
(これで走るわけ?無理!絶対無理!!)
自分の後ろで静かに戸惑っている望美を、ヒノエは背中越しに感じながらこっそりと笑った。
彼女は本当に飽きない。
それどころか可愛くてたまらない。
(やばいかもしれねーな)
今まで、望美ほどヒノエの興味を惹いた女はいなかった。
好ましいと思う女性は何人かいたのだが、自ら行動を起こすほどではなかった。
甘いセリフと人より整ったマスクで軽く誘い、それでひっかかればよし、そうでなければそれまで。
今までの女とは、そんな付き合い方だった。
けれど望美は…。
かけひき抜きで手に入れたいと思う。
その屈託の無い花のような笑顔が、ヒノエは見たかった。
一目惚れなんて、信じてなかった。
けれどあの時、望美の声と姿がヒノエの琴線に触れた。
望美のことをもっと知りたい。
ヒノエはあの瞬間、純粋にそう想った。
でもそんな自分の心を、気の迷いで片付けた出会いの時。
それなのに望美のことを忘れられなかった。
そして偶然にも再会した、あの日。
もう一度だけと言わんばかりに、訪れた出会い。
陳腐だけれど、運命なのだと、ヒノエは感じた。
「望美」
「はい?って、きゃあ!!」
シートのベルトを掴んでいた望美の手首が、左右それぞれヒノエに掴まれ、ぐっと前に引っ張られた。
その勢いで望美の身体がヒノエの背にぶつかる。
ヒノエの広い背から伝わる体温に、望美の鼓動が跳ね上がった。
「お前の手はここ」
ヒノエはそう言って、当たり前のように望美の腕を自分の腰に回させたのだった。
背中からヒノエに抱きつくような体勢をとらされ、焦った望美が身体を離そうとする。
しかし望美の手首をがっちりと掴んだヒノエの手がそれを阻んだ。
「ヒノエくん!」
ヘルメットの中で、望美の抗議の声がくぐもる。
ぴったりとくっついたヒノエの背が笑いに揺れるのを、望美は身体で直接感じた。
「初めてなんだろ?オレにしっかり抱きついてないと振り落とされるぜ?」
「う、嘘っ!?」
「マジ」
「やだやだ!落とさないでよ!!」
「だからオレに抱きついてろって。……行くぜ?」
「きゃー!!」
それ以上の反論を許さず、合図代わりの空噴かしの後、望美の身体にぐっと重力がかかった。
一番重みのある頭が置いていかれる感じ……。
望美は反射的に目をつぶって、ヒノエの腰に回された手に力を入れた。
よほど怖いのが、しがみついている望美の身体が硬くなっているのが分かる。
ヒノエの背に触れる体が強張っているのだ。
しがみつく手も白くなるくらい力が入っている。
(びびらせ過ぎたか?)
ヒノエは予想以上に緊張している望美に苦笑して、ヒノエの腰を抱いてぎゅっと握り合わされた手を安心させるように軽く叩いた。
(あ……)
まるで子供をあやすような、優しいヒノエの手。
子供扱いされるのは大嫌いなのに……。
でも二回だけトントンと触れたヒノエの手は、本当に優しくて……。
望美の身体に入っていた余分な力が、ふぅ…っと抜ける。
(……ヒノエくんの背中、おっきい…)
望美はメットの中で赤くなりながら、ヒノエの逞しい背中に改めてしがみついた。
背中に感じる女の身体の柔らかさ。
望美の長い髪が風に煽られてミラーに映っている。
バイクの風を切る速さに慣れたのか、望美の身体の緊張も解けいい感じにヒノエに預けられている。
どこに連れて行かれるのだろうかと、期待と不安を入り混じらせて行く先をこっそり気にする仕草も、触れた身体から直接感じた。
バイクで疾走しているから、会話も出来ない。
望美の可愛い顔も見られない。
それなのにどうしてこんなに楽しいのだろう?
心が弾む。
ヒノエはかつてない自分の心の動きを面白く思っていた。
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