『……春日です。えっと…、お仕事中だったらごめんなさい。……また電話します』
ヒノエの携帯の留守電に、緊張と戸惑いが手に取るようにわかる声で吹き込まれていたメッセージ。
何度か直接聴いた彼女の声より、少しだけ高いトーンの電話用の声。
ヒノエは僅かに口の端を上げ、機械を通したノイズ交じりのそれに目を閉じて耳を傾けていた。
「やっぱ、かわいいな…」
メッセージの再生が終り、携帯を耳から離しながら楽しそうに一人呟く。
本当に用件のみ残されたそれ。
たった数秒なのにこれでもかと緊張して、一切無駄話がないのが望美らしかった。
そう思ったヒノエは携帯を見て、口元に微苦笑を浮かべた。
望美と会ったのはたった二回。それなのになぜ『彼女らしい』と思えるのだろうか?
ヒノエは我ながら不思議だった。
確かに望美と出会った瞬間、今までにない何かを感じた。
それが何かと問われると困る。ヒノエ自身、形の無いそれを表現する術をもたないのだから。
この感情を、この胸に宿る想いを確かめたい。
だから彼女に会いたい。
「グリフォンのお二方、スタンバイお願いします」
音楽番組のスタッフが楽屋のドアを開き、出番間近のヒノエと弁慶を呼ぶ。
新曲を出したばかりのグリフォンは、何本もの音楽番組の出演が決まっていた。
だから同じ局の音楽番組が何本かある場合、収録ですむものは時間差で撮影していたのだ。
ヒノエの携帯にメッセージと共に残されたひとつの携帯番号。
彼は慣れた手つきでボタンを操作してそれをメモリに入れ、深く座っていたソファーから立ち上がった。
仕事が終わって、ヒノエが自宅マンションに帰りついたのは深夜近く。
シャワーとちょっとした雑用を済ませた時は、すでに日付変更線を越えていた。
「さて、姫君は起きてるかな?」
ヒノエは帰宅した時、ソファーに放り投げていたジャケットのポケットを探り携帯を取り出した。
待受に表示された現在の時刻に一瞬躊躇し手が止まったが、ヒノエはすぐに着信履歴を開いた。
彼女の学生生活に自分の不規則なスケジュールが合わないから、こんな時間にしか連絡できない。
ヒノエはそんな言い訳をしながら、通話ボタンを押す自分自身を哂った。
時間が取れないなど、彼女に対しての尤もらしい言い訳だ。
本当はただ彼女の声を早く聴きたいだけ。
望美との繋がりを少しでも確実なものにしたい。
それはヒノエが感じる、初めての想い。
繰り返すコール音を聞きながら、ヒノエはらしくなく緊張する自分を感じていた。
ダウンロードしたばかりの着メロが携帯から流れ出したのは、望美が電気を消しベッドに横になってすぐだった。
時刻は深夜一時前。
一瞬、電話を無視して寝てしまおうかと思ったけれど、暗い部屋で光るイルミネーションと着メロに望美は溜息を吐きつつ、枕元に置いた携帯を取って身体を起こした。
乱れた長い髪を撫でながら携帯を開く。
そして相手を確認するためにディスプレイを見て、ピクリと身体を震わせた。
ディスプレイに表示された名前から、回線の向こうの人物を想像して瞬時に高鳴った胸を押さえる。
僅かな期待と戸惑いが、望美の心を揺らす。
望美は動揺する心を落ち着けるようと、ひとつ深い呼吸をすると、緊張で微かに震える指先で通話ボタンを押した。
「……はい?」
『望美かい?』
携帯を通して聞こえてきた声は、まさしく彼のもの。
望美の鼓動がまたひとつ跳ね上がる。
「ヒノエくん?」
『こんな時間に悪い。……寝てた?』
望美を気遣った、本当に申し訳なさそうなヒノエの声が、望美の気持ちをふっとやわらげてくれた。
「ううん、大丈夫…」
静かな暗い部屋に響く自分の声。
望美は手持ち無沙汰を紛らわすため、意味なく毛布を撫でていた。
『電話、出られなくてごめん。収録だったんだ。伝言、ありがと』
「うん、忙しいだろうなって思ってたんだけど、いつ電話していいのか分からなくて…」
夕方、やっと勇気を出してヒノエへ電話出来たのに、長いコール後に留守番電話サービスに繋がった時は、がっかりしたようなホッとしたような気分になった。
そしてどんなメッセージを残せばいいか分からなくて、思いっきり動揺しながら話した言葉は緊張しすぎていてまったく覚えていない。
それをヒノエがどう思って聞いたのか考えて、望美は不意に気恥ずかしさに襲われた。
『忙しいっていうか、不規則だからね。望美ならいつだって電話してくれていいぜ。出られなかったらオレが掛け直すからさ』
「……もしかして、今も仕事?」
『いや、今日は終り。望美も結構夜更かしみたいだね?』
「以前、先生に《今日中に寝るな!勉強しろ》って言われたの」
『へぇ…。進学校なのかい?』
「うん」
他愛ない話。
顔を見ずに話すヒノエは、望美のまわりにいる同年代の男の子と変わらない。
だからだろうか?
だんだん望美も相手がヒノエだから、という緊張感を解いて、自然とヒノエと話すことが出来た。
ヒノエが話し上手で聞き上手だと、望美はこの電話のわずかな時間で感じていた。
「う〜ん……」
望美はベッドの上に、自分が持っているだけの服をひろげて、腕を組み深刻な表情でうなっていた。
時刻はすでに深夜。
望美のいつもの就寝時間はとっくに過ぎ去っていた。
「決まらないよ〜」
ふにゃんと崩れた困り顔。
明日は(正確には今日だが)、ヒノエとの約束の日だ。
生徒手帳を返してもらうだけなのだけれど、やっぱり女の子。可愛い格好でしっかりと決めたい。
しかも相手は、あのヒノエだ。
音楽でもファッションでも、若者のカリスマと言われている。
そんなヒノエに会うのに、常よりもファッションコーディネートに力が入るのは当然だった。
「でもデニムのパンツ指定されたし……。う〜ん、どうしよう…」
何を考えているのかわからないが、ヒノエは動きやすい服がいいと、望美にデニムを着てくるように指示してきた。
その理由を聞いても、軽く笑うだけで答えてくれなかったけれど。
「これにしようかな?」
望美が悩んだ末に手にしたのは、胸元にレースのあしらわれたキャミと、胸元が深く開いたキャミ。
これを重ね着して、やわらかいボレロのカーディガンを羽織れば結構いけると思った。
「あとは、バッグと……」
再びがさがさとクローゼットを漁り、いくつかのバッグをベッドの上に並べだした。
望美が眠るためにベッドを使うのは、もう少し先のようだった。
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