いつもいつも友雅が、蕩けるほど甘い言葉を囁いてくれるから、勘違いしてしまう。
友雅は自分だけの恋人だと・・・・・。
でも実際は、こんなにも友雅に恋焦がれている人がいて、その視線を浴びながら颯爽と歩いていく友雅は、ずっと遠い人で。
あかねと出会う前の友雅は、派手な艶聞が絶えない人だった。
その時は、あかねも友達と呆れながら納得したものだ。『あれだけ素敵だったら、当然女が放っておかないよね』と。
いくら格好よくて大好きでも、モデルの友雅は遠い夢のような存在で、自分には縁のない人だったから笑っていられた。
友雅には恋人の一人や二人、当然だと思っていた。
いつも友雅の周囲を賑わせていたのは、クールな才媛ばかり。
もちろん相手の女性は日本人とは限らなかった。
ハリウッドの女優だったり、スーパーモデルと呼ばれる女性だったり・・・・。
同じ女であるあかねから見ても、溜息がでるほど美しい女ばかりだった。
だから・・・・、時々不安になる。
こんな子供をいつまで相手にしてくれるのだろうかと・・・・。
こぼれ落ちる涙を指先で拭った時だった。俯いて歩いていたあかねは、前方から歩いてくる人に気付かず、力いっぱいその頭をぶつけた。
「あっ、ごめんなさっ・・」
謝罪の言葉は最後まで言えなかった。
ぶつけた頭を押さえて振り仰いだ瞬間、あかねの視界が遮られたからだ。
「私を置いてどこへ行くの?あかね?」
驚くあかねの頭上で囁かれる甘い声。抱き締めてくる力強い腕。そしてあかねを包み込む暖かな広い胸。
鼻腔を擽るのは、嗅ぎ慣れたトワレの香り、そして微かな・・・・・・・。
あかねは驚愕に目を見開き、掠れる声でその名を呼んだ。
「とも・・・まささん・・・」
「ただいま、あかね・・・。私を迎えに来てくれたのではないの?」
友雅はあかねにだけ聞こえるような小さな声でにっこりと笑って言った。
彼は自分の着ているコートであかねの体をすっぽりと覆っている。
まるで周りからあかねを隠すようにして・・・・。
辺りからは、悲鳴に似た女性の声が聞こえていた。
あかねは慌てて友雅のコートの中で、彼を振り仰いだ。
「どうして・・・・」
「ん?私があかねに気がつかないとでも思ったのかい?」
心外だと言わんばかりな友雅に、あかねは喘ぐように唇を開いた。
「だって、私・・・・」
言葉が胸で詰まって出てこない。
友雅を見上げた目尻から零れる涙を、彼はそっと指先で拭った。
「やれやれ、みくびられたものだね、私も。どんなに遠くてもあかねがいればわかるよ。それにしてもつれないね。私を置き去りにするつもりだったの?」
「そんなつもりじゃ!」
「言い訳は帰ってからゆっくりと聞くよ。おいで・・・」
友雅が立ち止まっているからだろう。ますます周りが騒がしくなってきている。
原因がどこにあるか自覚している友雅は、あかねの言葉を遮り彼女の肩を抱き寄せる。
そしてまるでその懐に雛鳥を隠すようにして、コートの中にあかねを入れたまま歩き始めた。
特にあかねの頭をすっぽりと覆って。
あまりにも密着して視界も遮られている上に、友雅の歩くペースが速くて、あかねは転ばないように友雅にしがみついた。
しかし、いくらコートであかねを隠しても、すべてを隠せるわけではない。
友雅がその腕に女を抱いている事に気がついたファンの声が聞こえ、あかねはキュッと身を縮ませた。
「タクシーに乗るまで我慢しなさい」
あかねは返事をする代わりに、もっと強く友雅の腰に腕をまわした。
タクシーに乗り込んで運転手に行き先を告げた友雅はやっとサングラスを外し、ぐいっとあかねの肩を自分の方へ抱き寄せた。
慌てたのはあかねだ。
ここはタクシーの中で二人っきりではない。
しかもご丁寧に後ろからは、ファンの女性の一部がタクシーで友雅を追いかけてきている。
「友雅さん!」
あまり大きな声で文句を言えないのは運転手を憚ってだ。
しかし友雅は平気な顔をして、あかねの体ごと側に引き寄せる。
「ねぇ、あかね。どうして黙って帰ろうとしたの?・・・」
「・・・・」
そんなこと言える訳がない。
あかねは黙って俯き、唇を噛み締めた。
沈黙したあかねに、友雅は溜息を落とす。
「あかね?答えてくれないと・・・・」
そこで言葉を区切り、友雅はあかねの髪に唇をくぐらし、その耳元に甘い声を注ぎ込んだ。
「キスするよ?」
いきなりの攻撃に、あかねが真っ赤に顔を染めて友雅の胸を押し返し、その腕から逃れようとしたが、力で友雅にかなうはず無い。
「ととととと、友雅さん〜?」
「教えてくれるね?」
にっこり、笑った友雅の目はまったく笑っていなかった。
いや、むしろ苛立っていると言っていいだろう。
あかねはその視線に耐え切れず、ふっくらとした唇をキュッと噛み締め俯いた。
「・・・唇が切れるよ・・」
黙り込んでしまったあかねの唇を、そっと解くように友雅が指先でなぞる。
そして、その大きな手のひらであかねの両頬を包み込むと、親指であかねの目元にゆっくり触れた。
「泣いていたね・・・?」
「・・・・泣いてなんか・・・」
強がって反論しようとしたあかねは、友雅の真摯な瞳に言葉を失ってしまった。
友雅は一瞬苦しげに眉を寄せ、いきなりあかねの頭を抱き寄せたのだった。
「とっ、友雅さん!」
「・・・・すまない・・・・」
「え?」
突然の謝罪に、あかねが言葉を失う。
友雅はあかねを抱きしめたまま、苦しげな声を絞り出すように告げた。
「本当はあの時あかねに気がついても、声を掛けないほうがいいと分かっていたんだ。あかねを人目にさらしたくなかった・・・・」
あかねの体がビクリと強張る。
その言葉は、頭を殴られたかのような強い衝撃をあかねに与えた。
人目にさらしたくない・・・。当然の事だと分かっていても、友雅から直接言われるのは辛かった。
どんなに頑張っても、どんなに背伸びをしても、あかねはどこにでもいる平凡な女子高生にすぎない。
世界が認めるモデル『友雅』の横に並ぶのなどおこがましいと十分分かっている。
恋人面して空港まで来るなんて、身の程知らずにも程がある・・・・。
あかねは、零れそうになる涙をこらえ、一生懸命に笑顔を作って言った。
「ごめんなさい、友雅さん・・・・・。私なんか来なかった方がよかったね・・・」
「それは違う!」
聞いたことのない鋭い声に、あかねは怯えたように体を震わせた。
その震えを、抱きしめた体で感じ取った友雅が、あかねを安心させるように優しくその背を撫でる。
「違うよ、あかね。君が迎えに来てくれてとても嬉しかった。すぐにでも抱きしめたかった・・・・。でも、あかねが私の側にいることはあかねにとってマイナスなことばかりだ。特に今日はファンの子達がいたからね。あかねの存在を知られては、君が危険にさらされるかもしれない。その危険性を分かっていたのだが・・・」
「危険って・・・」
「あかねには想像がつかないと思う。でもね、華やかな光のあたる世界だからこそ、足元に落ちる影は濃い・・・・。あかねをトラブルに巻き込みたくないのだよ・・・」
「友雅さん・・・・?」
「あかねを守りたいのに、私の存在が一番あかねを危険にさらす・・・。なんて皮肉だろうか・・・」
「危険だなんて、大袈裟だよ」
あかねはそう言って軽く笑おうとしたが、きつく抱き込まれ笑えなかった。
「あかねに気付かない振りをして消えるのが一番いいと分かっていた・・・・。でもあかねの涙を見てしまったらそのまま立ち去るなどできなかった・・・・」
「・・・・・」
「あかねに泣かれるのが一番辛いよ・・・・。私が悲しませているならなおさら・・・・ね・・・」
友雅の囁きが身に沁みていく。
あかねはそっと友雅の背に手を回し目を閉じた。
それに答えるようにもっと強く掻き抱かれて、あかねの心にあった曇りが晴れていく。
大切にされている。
愛されている。
どうしてそれを疑うことができようか・・・・。
しかし不安がなくなったわけではない。
友雅があの世界にいる限り、きっとあかねは同じように悩むことがあるだろう。
けれど、いつか友雅の横に堂々と並び立てるよう、自分を磨いていけば、おのずとその悩みは払拭される気がする。
だから今は黙って、友雅の腕に甘えていようと思った。
勘のいい友雅だから、あかねが何を不安に思って泣いていたか気付いているみたいだけれど・・・・。
今は黙って、深く追求してこない友雅の優しさに甘えていたかった。
「やれやれ、やっと帰れた・・・・」
コートを脱ぎ捨てた友雅は、シャツのボタンを二つはずしドサリとソファーに身を投げた。
ファンをまく為、事務所に寄ったりした友雅は、マンションに着くまでにいつもの倍以上の時間がかかっていた。
長時間のフライトの為か、さすがに疲労の色が濃い。
少し後からリビングに入ってきたあかねは、友雅が無造作に脱いだコートを手に取り、抱きしめるようにして顔を埋める。
ふわっと鼻腔をくすぐるのは、暖かな木の香りのトワレとほんの少しの刺激臭・・・・。
(やっぱり・・・・)
「あかね?」
いつまでも側に来ないあかねを、友雅が呼ぶ。
あかねはソファーの背を挟んで友雅の後ろに立ち、その肩に手を置いて身を屈め、そっと友雅の首筋に顔を埋めた。
サラリとあかねの髪が、友雅の頬を撫で落ちる。
首筋を擽るあかねの甘い吐息に、友雅が喉の奥で笑った。
「どうしたの?あかね。やけに積極的だね?」
友雅は己の首筋にあるあかねの頭を抱え込むようにして、滑らかな髪の手触りを楽しみながらゆっくりと梳く。
あかねはクスリと友雅の耳元で微笑んだ。
「煙草の臭いがする・・・」
吐息交じりの囁きだった。
あかねは顔を上げ、上から逆向きに友雅を覗き込む。
「やっぱり煙草吸うんだね」
「・・・そんなに臭うかな?」
友雅は苦笑して、自分の腕を鼻に寄せる。
あかねは首を横に振った。
「微かだよ。でもTVで吸ってるの映ってたし、お兄ちゃんも友雅さんはかなり吸うって言ってたから、本当かなって思って」
「ああ・・・・。海外では吸うね」
「禁煙してるわけじゃないの?」
友雅が軽く頷く。
「そうだね・・・・」
「でも、私知らなかったよ?日本では吸わないんでしょ?」
「必要がないから」
「どうして?」
「さて、どうしてかな?」
にっこり笑って質問で返してくるのは、いつもの友雅の手。
あかねはぐるりとソファーを回り、友雅の隣に腰を下ろした。
「私が訊いてるんです。・・・うぬぼれかもしれないけど、もし気を使ってるのなら・・・」
「必要ないから吸わないだけだよ」
「でも!」
友雅はその大きな手であかねの前髪をくしゃりとかきあげる。
あかねはくすぐったさと心地良さに肩をすくめた。
「いやに煙草にこだわるね。私は別に無理していないし、気を使っているつもりも無いよ?」
「でもお兄ちゃんが・・・・」
「慎が?何?」
あかねはほんのり頬を染めて恥ずかしそうに友雅を上目遣いで見上げた。
その仕草がどれだけ友雅を煽るのか知らずに・・・・。
「私の気管支が弱いから、私の前では吸わないんだろうって。もしそうだったらうれしいけど、友雅さんに気を使わせてたら申し訳なくて・・・」
「やれやれ・・・。あかねは気を回し過ぎるね。日本では煙草を吸う必要がないだけだよ。ただそれだけ」
「どうして?」
「・・・・知りたい?」
友雅の一瞬の間と、その読めない機嫌の良さそうな微笑みが気になったけれど、どうしても煙草のことが知りたかったあかねはこっくりと頷いた。
「そう・・・・」
「って、友雅さん〜?ちょっ・・・んっ」
あかねは抱き寄せられたと思った瞬間、友雅のそれで唇を塞がれていた。
抗議しようと開いた唇から、するりと友雅の舌が侵入し我が物顔であかねの口腔を蹂躙する。
「ふぅ・・・・ん・・」
歯列をなぞり、上顎の敏感な部分を舌先で優しく愛撫されるだけであかねの体から力が抜けていく。
友雅は自分の胸元に縋ってきたあかねを感じ、唇に笑みを刻む。
キス一つで素直に体を預けてきたあかねを、友雅はゆっくりとソファーへ倒し、覆いかぶさるようにして、その甘い唇を味わった。
奥で縮こまっていた可愛らしい舌に舌を絡め、互いの蜜を混ぜ合わせ味わう。
溢れる蜜をあかねがコクリと飲み下す。
甘えるようにあかねの腕が友雅の首に巻きついたところで、友雅はほんの少しだけあかねから唇を離す。
ふたりの唇と繋ぐ銀糸が途切れぬ至近距離で、友雅がうっとりと瞳を潤ますあかねを見下ろして言った。
「あかねが側にいれば煙草など必要ないのだよ。口淋しくなったら、あかねにこうして慰めてもらえばいいのだからね・・・・」
「友雅さ・・ん・・」
「他のものなどいらない、私にはあかねだけだから」
その言葉一つで、心が癒される。
幾度も繰り返されるキスと言葉に、あかねはそっと瞳を閉じた。
『ここ煙草の煙がすごいね』
コンコンと咳を繰り返しながら、あかねは帰る為に廊下に出ていた。
慎は申し訳なさそうに、頭を掻いた。
『ごめんな、結構皆吸うからさ。引き止めて悪かったよ。大丈夫か?』
『外に出れば大丈夫と思うけど・・・』
言いながら、ゴホゴホと酷く咳き込むあかねの背を、慎はゆっくりとさすった。
『やっぱり煙草は、お前に悪いな』
『そうだね。・・・咳で苦しいし、蘭ちゃんとの約束の時間もあるからもう行くね。今日は楽しかったよ』
『ああ、写真が出来たら見せてやるからな』
『楽しみにしてる。じゃあね!』
咳を繰り返しながら去っていくあかねと、それを見送る慎。
あれはあかねと出会った日の事。
帰るあかねと見送る慎の会話を、友雅は近くの自販機の陰でコーヒーを飲みながら聞いていた。
疲れ果て、傍らで眠るあかねの頬をそっと指先で撫でる。
生まれて初めて、愛しくて守りたい存在と出会ったあの日。
奇跡のようにこの心に生まれた想い。
「あかね・・・・。私はいつも君が笑っていられるようにするだけだよ」
友雅は誓うようにあかねの額にキスを落とした。
<終>
03,01,17
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