あかねの願いをきいて慎が連れて行ったのは、街の賑やかな所から少し離れた場所にあるBARだった。




「・・・・どうやって入るの?」
 その店を示されたあかねの第一声。
 慎はハンドルに腕を預け、うつぶせるようにして笑った。
「お兄ちゃん!」
「悪い悪い」
 言葉では謝りながらも、表情はそれを裏切っている。
 あかねは拗ねてプウッと頬を膨らませた。
「こーら、なんて顔してるんだ?あの前に立ったら入れるよ。ほら!行って来い!!」
 慎はからかうように軽くあかねの額を指先で小突く。
 まるで、しり込みするあかねの心を押すように・・・・・。
 そんな兄の気持ちを受け取り、あかねはひとつしっかりと頷き車から降り立った。



 BARにはドアがなかった。
 その代わりに行く手をさえぎるのは、滝だった。
 人を拒むように流れ落ちる滝。
 水は足元に溜まることなく、白い玉砂利に吸い込まれていく。
 あかねは玉砂利の間に置かれた黒く平たい石の上におそるおそる立った。
「すごい・・・」
 思わず口をついて出た感嘆の声。
 あかねがそこに立つと、音を立てて流れ落ちていた滝が一気に水量を減らし、その先の通路をあかねの前に開いのだ。
 ポツリポツリと滴る水滴のタイミングを見計らい中へ歩を進める。
 数歩店内へ入ると、あかねの後ろで再び滝が出現した。



 暗い店内。
 通路の両側に置かれたアンティークなランプが照らす、仄かな明かりを頼りに一歩一歩、歩んでいく。
 自分の知らない友雅の空間。
 あかねは静かなジャズの流れる店内へ静かに視線を走らせる。





 そこで見てしまった。
 友雅の長い髪の影で、口付けを交わす二人を・・・・





「何か御用かしら、お嬢さん?」
 女はその美しい顔に、しっとりとした微笑を浮かべあかねに向き直った。
 濃い睫毛に縁取られた切れ長の瞳に浮かぶ挑戦的な光。
 あかねがどんなに背伸びをしても、手に入らない大人の雰囲気を持った女だった。
 そして芸能界に疎いあかねにさえ、見覚えのある女性。
 世界の名だたるメゾンのコレクションでランウェイを歩く、トップモデルのケイ。
 友雅と同じ世界で生きる女性。
 あかねはキリッと唇を噛み締めて女を見据えた。




 あかねが現れた瞬間、席を立とうとした友雅だったが、さりげなく膝に置かれていたケイの手が無言で友雅を押さえつけた。
 チラリと送られてきた含みのあるケイの視線で、友雅は事のなりゆきを静観することにしたのである。
 友雅はあくまで興味無さ気にあかねに背を向けた。






 友雅の冷たい態度に、あかねの気持ちがくじけそうになる。
 しかも追い討ちをかけるかのようなケイのセリフ。




「可愛らしいお嬢さん。ここはあなたが来るには、まだ早すぎるんじゃなくて?」




 暗に子供だと言われ、あかねの頬に朱が走る。
 いつもならきっと、ケイのその圧倒的な存在感に顔を伏せただろう。
 だか、今のあかねは自分の気持ちを奮い立たせ、しっかりとケイの瞳を見つめ返した。
「心配されなくてもすぐに帰ります、友雅さんと」
「あら?残念ね。友雅は私が予約済みよ。・・・ねぇ?」
 友雅からは肯定も否定もない。
 ケイは友雅の肩に手を置き、甘えるように頬を寄せた。
 くすくす、楽しそうに笑い、親密さをあかねに見せ付ける。
 友雅はケイのなすがまま。まったく避ける様子もなかった。
 自分の目の前で女性を侍らせる友雅は初めてで、あかねは切なさに胸を締め付けられ涙を浮かべた。




 いつもいつもあかねに対しては甘すぎるくらいだった友雅。
 それなのに・・・




 友雅の態度に、あかねは男の傷の深さを知る。
 自分がついたたったひとつの嘘。
 それがこんなにも重い・・・・




 あかねは潤んだ瞳でケイを睨んだ。
 その視線の強さに、女が微かに驚きを浮かべる。
 必死なあかねにはわからなかったが・・・・。
 あかねはケイに対してきっぱりと言ったのだった。
「私はあなたと話しにきたんじゃありません。友雅さんと話す為にきたんです。邪魔しないでください」
「あらあら、何とも強気なお嬢さんだこと。いいわ、その気の強さに免じて友雅を譲ってあげる。でも先約は私って事を忘れないでね、わかった?」
 最後の一言は友雅に向けたものだった。
 あかねに分からないよう、ケイは軽くウインクを友雅に落として席を立ったのである。
(あとは上手くやるのよ)
 女の合図に、友雅の口の端が僅かに上がった。

 




 いつもながらの女の去り際の良さに友雅が苦笑する。
 友雅と過ごす気などさらさらないくせに、あかねを煽るだけ煽ったのだ。
 では、その後に友雅に出来ること。
 それは、ケイのお膳立てにのることだけだ。
 友雅はスツールを回し、あかねに向き直った。




 やっと振り向いてくれた友雅に、あかねは明らかにほっとしたようだった。
 うっすらと涙が浮かんだ瞳は、ずいぶん泣いた後なのだろう、微かに赤く脹れていた。




「何の用かな?」
 しかし友雅の突き放した科白に、一瞬あかねが息を詰める。
 あかねを見つめる友雅の瞳の色は、いつも見るものと違った。
 常に優しい眼差しを向けてくれていた友雅の、今の眼差しはあかねには判じがたいものだった。
 冷たく暗い・・・・
 あかねはコクリと唾を飲み込んでから、友雅に一歩近づいた。




「友雅さんに謝りたくて来ました」
「私に?何を?」
「友雅さんを信じなかった事です」
 あかねは、そっと友雅の手をとった。
 長い指の大きな男の手だ。
 その暖かさに落ち着くのは何故だろう。
 知り合ってから、ずっとこの手の中にいた。
 そしてこれからもこの手の中にいたい・・・・。
 あかねはまっすぐに友雅と視線を会わせた。
「コンパの事、黙っててごめんなさい。でもずっと後悔してたの・・・。友雅さんに嘘をついてたこと」
「・・・どうして黙っていたの?」
「言えなかった、どうしても。人数合わせのコンパだったのに・・・。友雅さんは多分許してくれると思ったけど言えなかった」
「そう・・・」
「でもね、コンパで友達や男の子達と話しててもずっと後悔してた。嘘なんてつくんじゃなかったって。けどそれ以上に友雅さんと逢えばよかったって思ってた」
「・・・・」
「友雅さんに責められた時、今までの後ろめたさと一緒に、ずっと不安だったことが溢れてきて止まらなかった。自分の事を棚に上げて友雅さんを責めてた」
 あかねの柔らかく小さな手が、ぎゅっと友雅の手を握り締めた。
「だからね、ごめんなさいって言いたかった。嘘をついてごめんなさい。友雅さんの気持ちを疑ってごめんなさい。だから私を嫌いにならないで。嫌われたら私・・・」
 あとは声にならなかった。
 つぶらな瞳にみるみる涙が溢れ、頬をすべり落ちる。
 後から後から零れる涙。
 友雅はたまらないとばかりに、あかねの頭を自分の肩に抱き寄せた。
 友雅の背に回された手が、力いっぱい縋りついてくる。
 その感触が愛しく、うれしい。
 友雅はあかねのさらさらとした髪を慈しみを込めて、ゆっくりと撫でおろした。



「嫌いになんてなれないよ、あかね」
「・・・ふっ・・っく」
「私こそ酷い事を言ったね。女には不自由しないなんて嘘だよ。何人、女がいてもあかねには敵わない」
 友雅の蕩けるような美声で囁かれ、あかねの体が喜びに震える。
 涙を拭い、あかねは間近で友雅を振り仰いで見つめかえした。
「・・・・本当?」
「ああ・・・、もちろん」
「だったら・・・、何であの人とキスしてたの?」
 不意打ちの問いに、友雅の言葉も思わず詰まってしまった。
 あかねの可愛い悋気に、友雅の頬に我知らず笑みが浮かぶ。
「友雅さん!」
「あれはね・・・・」
「ちょっと、友雅さん!・・・えっ?」
 いきなり近づいてきた唇に抗議の声を上げつつも、キスを覚悟していたのに触れるか触れないかの距離で友雅が止まった。
 互いの吐息だけが交わる。
「ここまでだよ」
「え?」
「ケイとはここまで。彼女にもいい人はいるからね」
「そう・・・なの?」
「ああ」
 友雅はその腕からあかねを解放すると、スツールから立ち上がって彼女に手を差し伸べた。
「帰ろうか、あかね」
「うん!」
 あかねの顔に、その日初めて友雅が目にした晴れやかな笑顔が広がった。









 彼女の嘘。
 彼のうそ。








 けれど二つの嘘の先に、たったひとつの真実。






「愛しているよ・・・・・」




                                    <終>
                                   02/09/24



お待たせしました。marieさん!
って、まだ訪問して下さっているのかしら(滝汗)
何だか訳のわからない展開のような気がしてきました。
うう、どうしよう(汗)
もしかすると、オマケがつくかもしれません。
期待せず、気長に待ってやって下さい。






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嘘、うそ、真実 〜6〜