「珍しいわね・・・。あなたが一人で飲んでいるなんて」
カウンターでグラスを傾けていた友雅に、しっとりとしたアルトボイスが降ってきた。
部屋を出た友雅が入ったのは、昔から馴染みのBAR。
カウンターと広くスペースをとったテーブル席。
決して狭くは無いが、店に入れる人数は多くない。
ゆったりと流れるジャズ。
絞った照明。
寡黙なマスター。
芸能人が多く出入りするこの店では、他人に対して無関心が暗黙の了解だった。
「・・・・・・お前か・・・・」
ワイングラスを片手に、友雅の横に立つ女を確認し、友雅が肩を落とす。
その態度に、女は軽く肘で友雅を一つ突くと、滑らかな所作で隣のスツールに腰掛けた。
カウンターの中から、絶妙なタイミングで差し出されたコースターに女がグラスを置く。
グラスで揺れる深い深い紅は、女が好きなフランスワイン。
美しい彼女にぴったりな色だった。
「どうしたの?」
囁くような、けれどはっきりと聞き取れる声が、艶やかなルージュを引いた唇から紡がれる。
「別になにもないが?」
女の問いにあっさりと返し、友雅は美しいカッティングがほどこされたグラスを口に運ぶ。
しかし女は、クスッと笑い友雅の顔を覗き込んだ。
「嘘おっしゃい。あなたがバーボンをストレートで飲むのは、何かあった時って決まってるのよ」
その言葉に、友雅が目を眇め女を流し見る。
並みの女ならば、その視線で一瞬にして友雅に恋焦がれてしまうだろう。
だが、その女は違った。
美しい顔に勝ち誇った笑みを浮かべたのだ。
「図星ね・・・・」
「・・・・・・・」
ふいっと視線をカウンターへ戻し、女を無視することにした友雅だったが、当の女がそれを許さない。
友雅が何も言わなくなったのをいいことに、勝手に推理を始めたのだった。
「何があったのかしらねぇ?最近は気味が悪いくらい上機嫌だったのに・・・・・。仕事・・・じゃないわね。仕事がなかったら喜ぶ男だもの」
ちらちら、ちらちら、友雅の様子を窺いながら、言葉を紡ぐ。
友雅は徹底して無視を決め込んでいる。
「ギャラはいいけど、言葉の通じないアイドルとの撮影・・・・は最初からお断りだもんね。う〜んと・・・・・、後は今までの友雅には考えられない恋人との喧嘩?」
「・・・・・・」
何も言わない友雅が、微かに息をついたのを感じ、女は大きな瞳を驚きに丸くした。
「うそ!冗談だったのに!!本当に女関係なの?」
口元に手をあて、大袈裟なリアクション。
友雅は鬱陶しげに女を追い払うように手を振った。
「騒ぐならどこかへ行ってくれないかな?お前の相手ができる気分じゃないよ」
「あら、冷たいのね。こんな面白い友雅の側を離れるなんて出来ないわよ。・・・それに、私とあなたの仲じゃない?」
綺麗に整えられた女の指先がそっと伸ばされ、友雅の肩にかかった髪を払う。
慣れた仕草で女の指が、そのまま友雅の肩から二の腕、肘・・・カウンターに置かれた手までゆっくりと撫でおろした。
そして女の指が、友雅の長い指に絡まる。
ちらりと女に目を向ければ、仄かな明かりの中で彼女が嫣然と微笑んだのだった。
「酔って忘れたい事を、私が忘れさせてあげましょうか?」
カタン。
友雅の手にあったグラスが勢いよくカウンターへ置かれた。
女の唇が笑みを刻み、ゆっくりと友雅へしな垂れかかってくる。
友雅は冷ややかな目で女を見つめながらも、動こうとはしなかった。
お互いの吐息が唇に触れ、肌が重なるその瞬間。
「八つ当たりはやめてもらおうか?」
ピタリと女の動きが止まる。
「また男とトラブルか?」
美しい女のプライドを考え、彼女にだけ聞こえる問いかけ。
ほんの少しお互いの体が揺れれば、唇が触れ合うほどの距離だった。
周りからは、長い友雅の髪の影で静かにキスを交わしているように見えているのだが・・・。
「敵わないわね、あなたには・・・・」
女はフッと息をつき、すばやく身をおこして長い髪を勢いよく振り払った。
「長い付き合いも考えものだわ。あなたにはすぐにばれちゃうもの」
「・・・・絡んでくるからだろう?」
「だって友雅ったら、絡みたくなるような顔で飲んでるんだから。いつもはロックなのにね、バーボン」
言いながら、僅かに女の視線が一瞬逸れた。
しかし女はすぐに視線を戻し、ニッコリと微笑み友雅のグラスを掴んだのだ。
「おい!」
友雅が止める間もなく、女はグラスに残っていたバーボンを一気に呷った。
これ見よがしに反らされた白い喉がこくりと動く。
友雅は予想外の女の行動に、呆れかえって肩を竦めた。
「ごちそうさま」
コトンとグラスがカウンターに戻される。
間接キスね、と笑って、女はグラスに付いたルージュを白魚の指で、キュッと拭い視線を上げた。
「何か御用かしら、お嬢さん?」
女の言葉に振り返った友雅の目に入ったのは、唇を噛み締め女を睨みつけるあかねの姿だった。
<続>
02.8.30
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