鬼や怨霊の跋扈する京を、その身を挺して阻止した龍神の神子。
 すべての戦いが終わった後、神子はこの京を去って元の世界に戻っていった。
 否。
 戻って行ったと信じられていた。


「今、帰ったよ、・・・・あかね。遅くなってすまないね」
 戦いの時に地の白虎として神子を守った橘友雅は、内裏から帰ったその足で、いつも通り北の対を訪れた。
 出迎えるはずのその少女は、几帳の影で静かに横になったまま・・・・。
 友雅はゆっくりと少女の傍らに腰を下ろし、たっぷりとした袖を払うとそっとその頬に手を伸ばした。
 青白くやつれた頬に・・・・


 アクラムとの最後の戦いで、京を、仲間を守る為、龍神をその身に降ろした神子。
 だが神に愛された斎姫といえど、所詮は人。
 人の身で神を宿した代償を、彼女は自分自身で払わなければならなかった。

 龍神は天に昇る時、神に愛された神子の精神を共に連れて去っていったのだ。
 八葉、藤姫に残されたのは、神子の抜け殻のみだった。


 あかねは死んだわけではなかった。
 ただその体に精神が無いだけ。
 目覚めることのない眠りについた神子を、左大臣は穢れとして忌み嫌い、藤姫のかばい立ても空しく野に追われそうになった。
 そのあかねを黙って引き取ったのが地の白虎、橘友雅だった。
 2人の縁を感じていた八葉は何も言わず、友雅の希望に従い、神子が京を去ったと噂を流した。
 友雅はあかねを妻として屋敷に迎え、信頼のおける女房に動けないあかねの世話を任せたのだ。
 ゆっくりとした鼓動と深く長い呼吸。
 紅色にみずみずしく輝いていた頬は血の気が失せて・・・。
 一見しただけでは、生きているとは思われないだろう。
 それでも彼女は友雅の元で、命を繋いでいた。


 友雅はいつものようにあかねの上体を抱き起こし、そっと彼女の単衣を胸元まで下ろした。
 そしてあかねの背中を確認するように撫で、また単衣を合わせる。
 次に伸ばした手はあかねの足首を掴み、ゆっくりと両方の踵を撫で上げた。
「少し赤くなっているね・・・・・。痛くはないかい?」
 耳元で囁いても、少女は深く眠りについたまま。
 けれど友雅はあかねに語りかけるのだ。
 毎朝毎夕、少女の体を確かめるのは友雅の日課だった。
 体が動かせないあかねには、びっくりするくらい短時間で床擦れが出来てしまう。
 女房も頻繁に寝返りをうたせているが、気温などで油断がならないのだった。
 少しでもあかねに傷がつくのは許せない。
 友雅は自分が出来るすべてで彼女を守っていた。



「今宵はとてもいい月がでているよ。・・・・二人で月見と洒落込もうか?・・・・・・あの日のようにね」




「わぁ・・・・!友雅さんの言った通り!綺麗なお月様!」
 満ちた月の光に誘われて、友雅はあかねをこっそり左大臣邸から連れ出していた。
 元々行動的なあかねは警備の頼久を出し抜いての脱走にいちもにもなく飛びついたのだ。
 あかねは両手を広げて月光を全身に浴び、くるりと回った。
「すごく綺麗。夢みたい!」
「そう?」
「そうですよ!銀色の月を友雅さんと楽しめて夢みたい。覚めない夢だといいな〜」
 そうはしゃいで、あかねは友雅の腕を掴んで引っ張った。
「こらこら神子殿。あまり急ぐと危ないよ」
「大丈夫で・・・きゃぁ!」
「おっと!」
 小さなくぼみに足を取られバランスを崩してひっくり返りそうになったあかねの背を、友雅が袖を翻してすばやく抱き取った。
 そのままあかねは友雅の胸にぶつけるように抱きしめられる。
 焦ったのはあかねだ。
「とっ・・・ととと友雅さーーん!」
「どうしたのかな、神子殿?声が裏返っているよ?」
「はっ離してください〜」
 真っ赤になったあかねが友雅の胸に手をつき体を離そうと突っ張るが、さほど力を入れているように見えない友雅の腕を解くことは出来なかった。
 腕の中で必死にもがくあかねを、くすくすと笑いながら友雅が愛しげに見下ろす。
 やがて友雅から逃げるの諦めたあかねは、せめてもの抗議にぷうっと赤く染まった頬を膨らまし、ドンッとひとつ友雅の肩を拳で叩いた。
 照れ隠しの怒った表情さえ可愛らしい。
 あかねは友雅の直衣をきゅっと握り、その胸に顔をうずめた。
 そして深く深く息を吸い込む。
「・・・・友雅さんの香りだぁ・・・・」
 鼻腔をくすぐる芳しい侍従の香り。
 友雅も目の前で揺れるあかねの髪に唇を寄せた。
「神子殿も甘くていい香りがするよ」
 直接肌に響く友雅の声。
 あかねがくすぐったそうに笑う気配が、抱きしめた腕から伝わってくる。
 しかしすぐにその気配も姿を消し、ゆっくりと顔を上げたあかねには静かな、けれど痛々しいほど張り詰めた決意が浮かんでいた。
 互いの額が触れそうな程の距離で、あかねは友雅の翡翠色の瞳を見つめた。
「・・・・・もうすぐ、ですね・・・」
 何が、とは言わない。
 けれど友雅もただそれに頷くだけだった。
「京に平和が取り戻せたらいいですね」
「そうだね・・・・。けれど神子殿、無理はしないでおくれ・・・」
「それは私が言うことです。いつも私を庇って怪我をするのは、友雅さんや八葉の皆ですよ!」
「神子殿を守る為の八葉だよ。当然だろう?神子殿を守って受ける傷より、神子殿が傷つく方が何倍も辛いからね」
「私だって大好きな人が傷つくのは嫌です!!私は守られるだけじゃ嫌なんです。私だって皆を守りたい!」
 誰よりも優しく強いあかね。
 友雅は微かに笑んだ。


 いきなり異世界に召喚され、京を救ってくれなどと言われて戸惑いながら自分の出来ることすべてをかけたあかね。
 身勝手なこちらの願いなど撥ね付けてもいいはずなのに・・・・。
 ただ元の世界に帰る為だけなら、自分の身を最優先させ八葉を利用すればいいものを。
 しかしあかねは、他人を傷つけるより自分が傷つく方を選ぶ少女だった。
 始めは毛色の変わった年端のいかない少女だと思っていた。
 それがいつからだろう・・・・・。鮮やかな生き方、はっきりとした考え方に惹かれだしたのは。 気が付けば目が離せなくなっていた。


 八葉は神子を守るべき存在だが、それに甘んじていない少女。
 他人の身を案じ、自分を投げ出す潔さ。
 だからこそ心配だった。
「神子殿・・・・。どんなことがあっても龍神をその身に降臨させるのだけはやめておくれ・・・」
 まっすぐにあかねを射抜く真摯な眼差し。
 初めてみる友雅の表情にあかねが息をのんだ。
「・・・・・友雅さん・・・」
 喘ぐようにその名を呼び、あかねは友雅の視線に捕らわれてしまう。
 友雅は腕の中の少女のサラサラと流れる髪を指先でゆっくりと梳いた。
「心配なのだよ。君が・・・・。龍神を降ろせばただでは済むまい。分かっていても君は京の為に、それを躊躇い無くやってしまいそうで・・・・」
「友雅さん・・・」
「約束、してくれないか?あかね。決して龍神を呼ばないと。無事に私の元へ帰ってきてくれると・・・・」
 何事も過ぎ行くままに任せ、生きてきた自分がこんな想いを抱くとは信じられなかった。
 自分に情熱かあることも・・・・  
 らしくないと笑いながらも、そのどこかでこの想いを心地よく感じている。
 だからこそ不安だった。
 彼女を失うかもしれない可能性が・・・・。
 あかねはふんわりと笑って友雅の首に腕を伸ばし、きつく抱きついた。
「・・・・・友雅さんも約束してください・・・・」
「何かな?」
 ほんのり恥らう声音で友雅にだけ聞こえる大きさで囁かれた『約束』
 友雅の顔に我知らず浮かぶ笑み。
「うれしい願いだね・・・・。では、必ず帰ってきてくれるということだね?」
「・・・・・はい・・・」
 風に消されそうなほど微かな声。
 そっと微笑むその顔は、胸が締め付けられるほど綺麗で儚かった。




「思えばあの時、君は分かっていたのだね。私と交わした約束が果たせないことを」
 だからあんなに切ない笑みで答えたのだろう。
 友雅はあかねを膝の上に横抱きにし、立てた左膝で彼女の背を支えて、簀子縁で月を見上げていた。
 顔にかかった髪をそっと払えば、静かな寝顔が月光に照らしだされた。
 頬に落ちる睫毛の影さえもはっきりみえるほど、明るい月夜。
 友雅はその大きな手で何度も何度も慈しみを込め、あかねの頭を撫でた。
「あぁ・・・・、綺麗だね・・。月も・・・・君も・・・・・」
 深い眠りについたあの日から変わらないあかねの寝顔。
 友雅はその懐に深く深くあかねを抱きしめ、そっと頬を寄せた。
「いつになったら君は龍神の元から戻ってきてくれるのだろうね・・・・。私はずっと呼んでいるのに、この声は届いていないのかい?」」
 毎朝毎夜、ほんの少しでもあかねの体に変化はないのか、そればかりを気にして・・・ 
 事情を知らない殿上人達は、すっかり以前と違う生活を送る友雅をからかったり、女房達は恨みの言葉を投げかけてくる。
 それらすべてが煩わしい。


「ねぇ・・・、あかね。君がいなくなってから、私は本当に笑うことが出来なくなってしまったよ?・・・・・せめて君との約束を守っている男の夢にぐらい訪ねてきてくれないものかな?」
 あかねが残していった『約束』
 それを守り続けることが、たったひとつ、龍神の元にいるあかねとの接点のようだと友雅は考えていた。
 耳をすませば、あの日、恥らうように囁かれた言葉が鮮やかに甦る。
 友雅はしっとりと微笑み、腕の中の細い体を強く抱きしめた。
「約束などなくても、君を離せはしないのにねぇ・・・。私はそんなに信用がなかったのかな?」
 あかねと出会い、あかねに惹かれるまで、華から華へと飛び回っていた友雅。
 その頃の事を思えば、信用しろという方が無理かもしれない。
 だが今はただ、あかねと再び出会えるのを待っている。
「あかね・・・。君という月明かりを見つけた私はもう二度と迷わないからね。・・・・・この世で会えなくともきっとまた出会える。いつかまた巡り会う日まで『約束』は守るから・・・・。寂しくても泣かないでおくれ・・・・・」
 誓うように囁いて友雅はあかねの唇にそっと自分のそれを寄せた。
 その冷たい唇に・・・・・。




『どんな事があっても私を好きでいてね、道に迷ったら友雅さんが呼んでね、そしてずっとつかまえていて・・・・・』





                                      <終>







月光
いかがでしたでしょうか?
このお話は、あるアーティストのアルバム曲を友あかに当てはめて書いてみました。
毎日通勤する時、車の中で爆音で聴いてました。
とても素敵な曲です。
曲調は明るいのに、歌詞は切ない・・・。
私はこの方の曲にはいつも泣かされています。
ライブでも泣いた事があって、一緒にいた友達が大慌て(笑)
このお話の元になった曲が分かった方。すごいです!
もし興味をお持ちになった方は、メールにてご質問を頂ければお答えいたします。
(くれぐれもマナーを守って下さい。場合によってはお返事を遠慮させていただくかもしれません)




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