『京』と呼ばれる世界に飛ばされて初めての年末。
あかねは先程から、寒い部屋の中にある唯一の暖房器具、火桶に手を翳しながら暗い表情で独り、考え事をしていた。
鬼との戦いが終わった後、『京』に残ると決めたあかねは左大臣家の養女となった。
それまで怨霊との戦いや四神の解放などで京を走り回っていたあかねは、打って変わって屋敷の中で、左大臣家の姫君としての教養を身につける為の勉強をしていた。
それもこれも、すべてただ一人の男性の為。
彼は鬼との戦いでは、龍神の神子を守る八葉の一人としてあかねの側にいてくれた。
華やかな容姿、艶やかな声音・・・・、そして何よりの時折見せるすべてを諦めたような淋しい瞳の色に惹かれた。
地の白虎、橘友雅。
そして秋、あかねの希望で左大臣家の姫としては、ささやかな結婚をした。
この恋はずっと片恋と思っていた。
彼は大人で経験豊富で、常に美女と名高い女性との噂が途切れることがなかったから。
初めて抱き寄せられた時は、どうしていいか分からなくて思わず逃げ出してしまった。
好きだから、怖くて・・・・。
それは今でも変わらない。
好きだから、怖くて、常に見えない終わりに怯えている・・・・・。
「まだ首を縦に振ってはくれないのだね・・・」
溜息交じりの言葉に、あかねはきゅうっと小さく身を縮めた。
「・・・・だって・・」
「『何故』と問うても、君は答えてはくれないのだろう?」
「・・・・」
それは無言の肯定。
友雅は手に持っていた蝙蝠を苛立たしげに、手のひらに打ち付けた。
その音にビクッとあかねが体を竦ませる。
怯えた小動物のようなあかねの頬に、友雅は微苦笑を浮かべ手を伸ばした。
「すまない・・・。君を責めるつもりはなかったのだよ」
手の甲でそっと優しく頬を撫でられ、あかねは静かに目を閉じた。
「・・・・・ごめんなさい・・・・」
「謝るくらいなら私の申し出を受けてほしいね。あかねの世界では夫婦は同じ屋根の下に暮らすと聞いたよ?あかねにとっては不自然な事ではないはずだが・・・」
「・・・郷に入っては郷に従え、と言います。この『京』では通い婚が普通と聞きました。だから・・・」
「確かに通い婚が普通だが、共に暮らすことが皆無というわけではないよ?・・・何を不安に思ってるのかい?」
「不安なんて・・・・」
パシンッと友雅が膝に打ちつけた蝙蝠の音が、あかねの言葉を制した。
「つまらぬ言い訳など聞きたくない!」
「きゃっ!」
友雅は乱暴にあかねの二の腕を掴み、自分の胸に引き寄せた。
「ともまさ・・・さん・・・」
あかねが見上げた友雅の瞳は苦しげに眇められていた。
「手に入れたと思ったのにね・・・・・・。君が何を考えているのか・・・・・」
「ともま・・・、あっ・・・」
あかねの声は友雅の唇に奪われた。
「不安、なんです」
あかねは火桶を見つめながら、小さく小さく呟いた。
「ずっと一緒にいて、私のすべてを見せるのが怖いんです。・・・・本当は一緒にいたい・・・。でも頷くのが怖くて・・・・」
あかねの独り言に返事をするものはいない。
ただ火桶の炭だけが、小さく弾けた。
切なさに息をつき、ふと視線をめぐらせた先に文机。
そこには友雅への書きかけの文が、筆と共に静かにあかねを待っていた。
あかねが書こうとしていたのは、あかねの世界では当たり前の年賀状だった。
きっと直前だと何を書いていいか迷うと考えたため、早めに書き始めたのだが・・・・。
ふと思いついた、もう一つの行事。
年賀状のお楽しみ。
勇気の出ない自分を後押ししてくれる、きっかけに出来るかもしれないモノ。
「・・・・アレにかけてみようかな?」
あかねは、ひとつ頷くと立ち上がって文机に向った。
「橘中将殿、文をお預かりいたしました」
「文?」
鬼との戦いが終わったあと、中将に昇進した友雅は、以前より増えた仕事に追われる立場になってしまっていた。
だから、掛けられた声にこれ幸いと部屋を抜け出した。
差し出された文箱は、華美ではないけれど手の込んだ友雅好みの物だ。
結ばれた飾り紐だけで差出人が誰かわかり、友雅の頬に柔らかな笑みが浮かぶ。
使いの者がそれを間近で目撃し、思わず見惚れたほど美しい笑みだった。
「ご苦労だったね、ありがとう・・・」
「はっ、いえ・・・。では私はこれで・・・」
友雅の労いの声で我を取り戻した使いの者は、慌てて頭を下げると逃げるように友雅の前から去っていった。
友雅は、部屋に戻らずその場で箱を開け、中の文に目を通した。
その瞳が驚きに見開かれる。
そして次の瞬間には、嬉しそうな笑い声を洩らした。
「楽しい事を考えるね、神子殿。是非とも当てて見せようじゃないか」
『お年玉付き年賀状!!
私達のお正月行事です(たぶん・・・)
これを忠実に再現することは出来ませんが、折角だから友雅さんと私の間で似たような事をしたいと思います。
友雅さんは、一から九十九の間で、一つだけ数字を選んで下さい。
それを文箱の中に入っている小さな紙に書いて、お正月に私のところに持ってきてください。
私が当たり番号を決めておきます。
新年にお互いの数字を合わせましょう。もし友雅さんの書いた数字が私の選んだ数字と同じなら、友雅さんの欲しい物を一つだけ上げます
気合を入れて挑戦してみて下さいね』
『お年玉』は以前、正月の話をした時にあかねから聞いていた。
親戚からもらうお年玉を毎年楽しみにしていたと、可愛らしく語ってくれたから。
しかしこれはいったいどういうつもりなのだろうか?
友雅が欲しい物など一つしか無い事を、あかねは知っているはず。
友雅が当てれば、それを欲しがるのを分かっていて賭けてくるあたり、素直になれないあかねらしいことだった。
「ご機嫌はいかがかな?あかね」
大晦日、いつもより早い時間に左大臣家を訪れた友雅は、片手に見覚えのある文箱を抱えていた。
年を越すため、いつもより華やかに着飾ったあかねは、うれしそうに友雅を部屋のなかへと迎え入れた。
「友雅さん、ちゃんと数字を書いてきてくれましたか?」
あかねの用意した円座に腰を下ろす友雅に、あかねは嬉々として尋ねる。
まるで何かを企む子供のようで、友雅の頬に柔らかな笑みが浮かんだ。
「ああ、ちゃんと選んできたよ。あかねのほうは選んだのかな?」
「はい!友雅さんへお文を届ける前に選んで隠してあります。年が明けたら発表です」
「それは楽しみだね。ところで、私があかねと同じ数字を選んでいれば、私の欲しい物をくれるのだったね?」
「はい。何でもです。・・・・あっ、でも私が出来る範囲ですからね。無理難題は言わないで下さい」
「あかねを困らせようなんて思ってないよ。では、私がはずれた時、あかねはどうするの?私があかねの好きなものを差し上げればいいのかな?」
「いいえ?私は別にいいんです。だって確率は友雅さんの方がずっと悪いですから・・・・」
「しかしそれでは、私の気がすまないな。・・・・あかねも『お年玉』が欲しいだろう?」
『お年玉』という言葉にピクリと反応する。
確かにお年玉を貰う立場で嫌なものはあまりいないだろう。
あかねだって去年までは、お年玉を貰うのが楽しみで仕方がなかった。
あかねは小首を傾げ、ちょっと考えた後、はにかむように笑いながら言った。
「じゃあ、お言葉に甘えて、友雅さんがはずれたら今度甘いお菓子をたくさん持ってきてください」
甘味が好きなあかねらしいおねだり。
しかし甘いお菓子などは、妹姫となった藤姫や友雅などからしょっちゅう貰っているもので、そう珍しいものではない。
無論、普通ならば珍しいものなのだが・・・・。
男に甘えることに慣れた女人のように、無理なおねだりをしてこないあたりが、控えめなあかねらしいともいえた。
「分かったよ。もし私が外れたら、珍しいお菓子を探してこよう。そして、私が当たったら・・・・」
「当たったら?」
コクンと息を飲み、身を乗り出したあかね。
そんな彼女ににっこり蕩けるように微笑むと、あかねは真っ赤になって俯いてしまった。
「私の望みは、当たったら教えてあげるよ・・・・」
(友雅さんの望みは分かっているの。当てて欲しいような、当てて欲しくないような・・・。複雑な気持ち。
当てて欲しい・・・・。そうしたら踏み出す勇気の無い私を、攫ってもらえるから。
当てて欲しくない・・・。もう少し、自分に自信が持てるまで待って欲しいから。
どちらも正直な気持ち・・・・)
静かな年越しをしたいとの、あかねの希望で夜は友雅と二人で過ごすようになっていた。
藤姫や養父である左大臣には、夜が明けてから挨拶することになっている。
友雅とあかねはたわいない話をして過ごしていたが、夜半に遠慮がちな女房の声がかかったところで、もうすぐ日が変わる事を知った。
「あかね様、お預かりしていたものはいかがいたしますか?」
「あ、こちらへ下さい・・・」
女房があかねに差し出したのは文箱。
その中に、例の数字を書いた紙が入っていることは容易に知れた。
それを抱えてうれしそうに友雅の側へ戻ってきたあかねは、友雅の前にその文箱をちょこんと置いた。
「友雅さんも出してください」
あかねの言うとおり、友雅も傍らにあった文箱をあかねの持ってきた文箱に並べて置く。
「なんだかドキドキしますね」
そう言って見せる、はにかんだ笑顔が何より愛しいと思う。
その笑顔を曇らせたくないと思い、あかねの望むよう包んでやりたいと考える反面、あかねの華奢な体ごと、この腕の中に奪い去ってしまいたいとも願ってしまう。
「友雅さん、いいですか?」
「いつでもどうぞ」
お互い文箱を結わえてあった紐を解き、蓋に手を掛ける。
あかねは友雅の瞳を見つめながら、ひとつ深呼吸をしたあと、「いきますよ!」と合図を送った。
「あっ・・・」
「おや・・・」
2つの箱の底。淡いオレンジの光に浮かんだ2つの数字・・・・。
「うそ!」
あかねは驚きに声を上げ、思わず蓋を取り落としてしまった。
反対に友雅は、一瞬微かに瞠目したのだが、平然と呟いた。
「当たったねぇ・・・・」
「何で?何で?確率は99分の1なのに〜。うそでしょう?」
あかねは友雅には分からない言葉を、頭を抱えて叫んでいる。
ジタバタと動揺する姿は、まるで童のようで面白い為友雅は扇を口にあて、独り暴れるあかねをしばらく見つめていた。
するといきなりあかねが、がばっと顔を上げ友雅の袖口を掴んだ。
「友雅さん、もしかして知ってたんですか?数字!」
「・・・まさか・・・・」
「もしかして、あの女房さんから聞きました?・・・ありえそう・・・・」
どうして偶然数字を当てて、こんな不信の目にさらされないといけないのだろうか。
なんだか理不尽な気がしてきた。
友雅は、あかねに聞こえるようわざと大きな溜息をついた。
「信用がないねぇ・・・・・。私はそんなに姑息な男にみえるかい?」
「うっ・・・、だって・・・・」
「だいたい、私はあかねが女房に文箱を預けていたことさえ知らなかったのだよ?」
確かにあかねは、こっそりと件の女房に「絶対開けないで!」とお願いして文箱を預けた。しかも中身の説明は一切しなかった。
だから女房がもし文箱を開いて見ていたとしても、訳が分からなかったに違いない。
そう思い当たり、あかねは小さくなって友雅の袖口から手を離した。
「・・・・ごめんなさい・・・・」
「ふふふ、しかし私も新年からずいぶん運がいいようだ」
「・・・私が言い出したことだけど・・・・。あっさり当てられてすっごくくやしい!!」
「どんなに悔しくても私の勝ちは勝ちだからね。さて・・・・。当てれば好きな物を頂けるとの事だったね?」
「う〜・・・・。約束ですから。・・・何が欲しいですか?」
(お願い。私を欲しがって・・・・。じゃないと、何時までも自分からは踏み出せないから・・・・。ずるいですか?こんな私・・・・)
友雅が何を言うか、あかねは固唾を呑んで友雅の言葉を待っていた。
まるで身を乗り出さんばかりに、こちらを見つめるあかねの姿に苦笑し、友雅がすっと手を伸ばした。
「えっ?」
友雅が動いた、と思った次の瞬間には、あかねの体は友雅の腕に抱き上げられていた。
「きゃぁ!!」
いきなり友雅が歩き出し、横抱きにされた不安定な体勢を支える為、あかねは無意識に友雅の首にすがり付く。
「とと、友雅さん〜?」
「どうかしたかい?」
「あの、あの・・・・。いきなりは無いと思うんですけど・・・・・」
首筋まで真っ赤に染めて、羞恥に潤んだ瞳で必死に友雅を見つめる。
その瞳に拒絶の色が無いことに、友雅は安堵している自分を心で哂った。
「欲しい物をくれると言ったから、持って帰るだけだよ?」
「でも、でも、夜が明けてからでもいいじゃないですか・・・」
「今すぐに欲しいからね。・・・・嫌だと言っても、私のところへ連れて行くよ・・・」
優しい、でも有無を言わせぬ強い口調。
あかねは、ほんの少し戸惑いに瞳を揺らしたあと、返事の代わりに力いっぱい友雅にしがみ付いた。
そして友雅にだけ聞こえる、小さな小さな囁き。
友雅の口元に、満ち足りた笑顔が浮かぶ・・・・。
「今年から、もっとよろしくお願いします・・・・」
(側にいたいの・・・。でも勇気が無いから、お願い、攫っていって・・・・)
<終>
03.01.01
HPを開設して、初のお正月ということで、期間限定フリーでした。
(現在は違います)
女の子の可愛らしさと女の狡さを書きたかったのですが・・・・。
う〜ん・・・・・・。どうでしょう・・・・・。
意外と、強引な友雅さんが人気だったお話です。
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