「きゃああ!!」
 突然何かを取り落とす派手な音と共に、あかねの悲鳴が部屋中に響いた。
「あかねっ!?」
 リビングで本を読んでいた友雅は、尋常ではないあかねの悲鳴に反応して慌てて腰を浮かした。







「あかね!」
「お兄ちゃん…」
 キッチンの床に座り込んだあかねが瞳に涙を溜めて、呆然と友雅を見上げてくる。
 友雅は状況を掴もうと、ざっとあたりに視線をめぐらせた。
 流しに転がった鍋。あたりの床を濡らす湯気が立ち上る熱湯。
 そして濡れて色を濃くしたあかねのエプロン。
 瞬時に事態を理解した友雅は、何も言わず床に座り込んだあかねを抱き上げた。






「お兄ちゃん!」
 驚きの声を上げるあかねに答えもせず、友雅はまっすぐバスルームに向いドアを開けた。
「お兄ちゃん!?」
 暴れて嫌がるあかねをバスルームに押し込んで、友雅はシャワーのコックを捻った。
「やっ!!冷たっ!」
 頭上から容赦なく降り注ぐ冷水に首を竦め逃れようとするが、友雅がそれを許さない。
 無言のままの友雅は、自分にも冷水がかかるのを無視してシャワーを手に取ると、戸惑うあかねの腰を抱き寄せた。
「えっ?」
 グラリと視界が揺れ、膝が砕ける。
 あかねは一瞬で、バスタブに腰掛けた友雅の膝の上に座らされていた。
「お兄ちゃんっ!やっ、何するの!!」
 いきなり断りもなく、上に纏ったエプロンごとスカートをたくしあげられ、あかねはあまりの恥ずかしさに暴れ出した。
「大人しくしなさい!」
 怒りも露な常にはない友雅の厳しい口調に、あかねは反射的に動きを止めた。






 バスルームのオレンジの明かりに晒された白い腿。
 しかし白い肌は左足の一部が赤くなりかけている。
 友雅はそこを目掛けて、シャワーの冷水を掛け始めた。
 友雅の膝に足を割られ、左腿に集中的に水をかけられあかねが眉根を寄せて俯く。
「……冷たい」
 恥ずかしさを堪えながら、あかねは足の根元までたくし上げられたスカートを、それ以上乱れないようにギュッと握って押さえつけ呟いた。
「我慢しなさい。不注意にも程がある」
「ごめんなさい…」
 苛立たしげな舌打ちと共に友雅に怒られて、あかねがしゅんとしょげかえる。
 友雅はシャワーで濡れた自分の髪をうっとうしげにかき上げると、水の冷たさに震えるあかねをしっかりと抱きしめなおした。
「沸騰していたお湯だったのかい?」
「ううん。火を止めてからちょっと経ってたから、少しは温度下がってたはず…」
 絶え間なく流水で冷やされている患部は、それ以上赤みを増す気配はない。
 友雅はあかねの背後から手を伸ばして、その患部に触れた。
「やっ…!」
 こんな明るい場所で冷静な時に普段は人目に晒さない所を触られる恥ずかしさと、触られたときに走ったぴりりとした痛さに、あかねが身体を捩って声を上げる。
 それを軽々と押さえつけ、友雅は静かに尋ねた。
「痛い?」
 あかねの様子を伺う冷静な声に、あかねは羞恥に身体を固くしながらコクリと頷いた。
「…ちょっとヒリヒリする」
「水泡が出来る気配はないね……」
 あかねの柔らかい内腿をさらりと撫でていく手は、いつもの触れ方とは違う医者の手で……。
 それでもあかねは、恋人にそうやって触られるのが、たまらなく恥ずかしかった。






 
 あかねの熱傷が大したことないのを直接確認して、やっと友雅は安堵の息を吐いた。
 大切なあかねに傷が残るなど、考えただけでもゾッとする。
 たとえ醜い傷があろうと手放すつもりはさらさらないが、それであかねが悲しむのは見たくなかった。
 友雅にとって、何よりも大切な唯一の存在。
 それが少しでも損なわれるのは許せなかった……。







「ねえ、まだ?」
「ん?」
「寒いよ……」
 ずっと冷水に打たれて、あかねの唇は寒さで色を失ってきている。
 秋の深まりと共に、シャワーノズルから出る水も温度を下げ冷たくなっている。
 患部を冷やす為とはいえ、それに直接打たれ続けたあかねは、体温を奪われてしまったのだろう。
 友雅は再度確認するように患部に触れてから、やっとシャワーをそこから遠ざけた。
「もういい?」
「ああ」
 友雅から許可をもらったあかねは、急いで彼の膝から立ち上がったのだが……。
「お兄ちゃん?」
 あかねとほぼ同時に立ち上がった友雅の腕が、再びするりと腰に回され、しっかりとあかねを背後から抱き留める。
 あかねの訝しげな眼差しを受けながら、友雅はシャワーをフックに戻し冷水を温水に切り替えた。
「?」
 すぐに温かいお湯がバスルームの床を叩き、蒸気が立ちのぼる。
 友雅の意図が分からないあかねは、怪訝な顔で自分を拘束する友雅を振り仰いで睨みつけた。
 しかし、その表情がすぐに驚きと戸惑いに変わる。
「ちょっ!!何するのっ!!」
 背後からあかねを抱きしめる友雅が、あかねのエプロンの紐を解き取り、開けっ放しのドアから脱衣所へと投げ捨てた。
 そして荒っぽく着ているカットソーをいきなり捲り上げられたあかねが、慌てて裾を押さえながら抗議の声を上げる。
 しかし友雅は、ふっと目を細めあかねへ唇を寄せた。
「寒いのだろう?温めてあげるよ」
 耳元で囁かれる、情欲を含んだ少し掠れた声。
 それだけで、あかねの身体に戦慄が走った。
「ふざけないでっ!」
 あかねは友雅の腕から逃れようと懸命に身体を捩るが、男の力に敵うものではない。
 あかねの抵抗をいとも簡単に封じ、友雅は喉の奥で低く笑った。
「私は至極真面目だよ……」
 友雅は背後からしっかりと抱きしめたあかねの耳朶を食みながら、再びスカートをたくし上げ、赤みを帯びた白い左腿をぎゅっと掴んだ。
「痛いっ!」
 熱傷部位を手形が残るのではないかというほど容赦なく掴まれ、あかねが悲鳴を上げる。
「痛い?…でも、私の胸はもっと痛かったよ」
「何、言って……」
「こんなに大切にしているのに、傷をつけるなんて許さない。たとえあかね自身でもね」
 搾り出すような苦しげな友雅の声に、あかねが動きを止めた。
「お兄ちゃん?」
「あかね……」
 あかねの首筋に友雅が顔を埋める。
 カットソーの裾から素肌を辿る友雅の長い指が、ブラのフロントホックを躊躇いなく外した。
 その解放感とともに増した不安。
 こうやって友雅に力ずくで身体を開かれるのは初めてではない。
 でも…、友雅の表情が見えないのは初めてだった。
「やだっ…」
 あかねは懸命に友雅の腕の拘束を解こうとするが、彼の力は緩むどころか、あかねの抵抗をあざ笑うかのように思うままに這い回る。
「離…して…」
 友雅にファスナーを下ろされたスカートは、すでにバスルームの床に落ちてしまっていた。
 濡れた友雅の長い髪が、まるであかねを絡めとるように腕へ纏わりつく。
「きゃっ!」
 あかねを抱きしめたまま身体を動かした友雅のせいで、あかねは降り注ぐシャワーの下に入ってしまった。
 顔に当たる水流に驚いて、呼吸を止めたあかねの一瞬の隙をつき、友雅があかねからカットソーを剥ぎ取ってしまう。
 あかねは友雅の思い通りにされる悔しさに唇を噛み締め、顔を叩く湯から避けるように顔を伏せた。
「許さないよ、あかね。お前は私のものだ。それを傷つけたのだから、お仕置きをしてあげないとね……」
 友雅は露わになったあかねの項に舌を這わせながら、ぞっとするような艶めいた声で囁いた。







「髪一筋の傷さえ許さないよ、あかね……。私以外がつけた『傷跡』はね……」
 






 いいように激しく揺さぶられて、声が抑えられない。
 バスルームに響き渡る自分の嬌声を聞きたくなくて耳を塞ぎたいけれど、後から一つに纏め上げられ拘束された腕は自由にならなかった。
「お、兄……、やっ、あ……」
 火傷を負った柔らかな白い内腿と、何度も強く吸い上げられて噛み付かれた首筋が鈍く痛む。
 しかしそれさえ凌駕する体の奥底から湧き上がる快感。
 友雅は荒い息遣いのみであかねを乱暴に揺さぶっていた。
 甘い言葉も、あかねのすべてを蕩かしてしまうような優しい愛撫もない、獣のような行為。
 





 あかねは友雅の嵐に翻弄されながら、ぎゅっと痛みに耐えるように瞳を閉じた。
 その頬を流れるのは、シャワーの湯かそれとも静かに零れ落ちた涙だったのか……。
 激情にかられた友雅は気付かない…。








 温かいふわふわとしたものが頬に触れて、あかねはふうっと目を開けた。
 目覚めたばかりのぼんやりとした視界に映るのは、シンプルなインテリアで纏められた見慣れた友雅の寝室。
「気付いたかい?」
 頭上から声を掛けられ、あかねは霞がかかったような思考のままそちらへ視線を上げた。
 濡れた髪をゆるく一つに括った友雅が、バスタオルであかねの髪を優しく押さえてくれている。
 あかねは一瞬自分のおかれた状況が把握できず、不思議そうにゆっくりと周りを見回した。
 あかねは、自分には大きい友雅のバスローブに包まれて、ベッドの端に腰掛けた上半身裸の友雅の腕に横抱きにされていた。
「……気分は?」
 微苦笑を浮かべ、友雅があかねを覗き込む。
 気分?
 あかねはどうして友雅がそんなことを聞くのかわからなくて、首をかしげながら目覚めたばかりの纏まりにくい思考をゆっくりとめぐらせた。
 そして……。
 思い出されたバスルームでの狼藉。
 その瞬間、あかねは顔をこわばらせ、友雅を睨みつけるとその手を振り上げた。
 





 パシン!






 部屋に響いた乾いた音。
 友雅は楽に避けることが出来たはずのそれを素直に受けた。
 不自然な体勢から繰り出されたあかねの平手はあまり強くなかったが、怒りの度合いはかなりのものだった。
 あかねは友雅を叩いた自分の右手を抱きしめ、痛みを堪えるように唇を噛み締めた。
 まるで自分が平手を受けたかのように……。
「やめて、って言ったのに!」
「……あかね…」
「酷いよ…」
 細かく肩を震わせながら俯いてしまったあかねを、友雅が優しく全身で包み込むように抱きしめる。
 あかねはそれを嫌がってむずかるように体を揺すったが、しっかりと抱きしめられた腕が離れることはなかった。
「あかね……」
 先ほどまでとは違う、柔らかな声があかねを呼ぶ。
 あかねは友雅を責めるように叫んだ。
「いやだったんだから!」
「そう…」
 ゆっくりとあかねの髪を撫でる大きな手が、とても暖かくて涙が出そうだった。
「本当に……、嫌だったんだよ…」
「うん……、でもね、あかね……。私は謝らないよ」
「お兄ちゃん?!」
 抱きしめられていた体がふわりと浮かぶ。
 そして次の瞬間、あかねの身体はベッドの上に縫い付けられていた。
「私が傷つくのはかまわない……。でもね、あかねが傷つくのは許せないのだよ…」
 怖いほど強い光を湛えた友雅の瞳が、まっすぐにあかねを射る。
「お兄ちゃん?」
「お前は私のものだ。私以外の誰にも、あかね自身にも勝手は許さない!」
 この執着は狂っていると思う。
 あかねのすべてを手に入れたいと渇望して、それが強い独占欲と執着になっている。






 あかねが火傷をしたと認識した瞬間、友雅を襲ったのは怒りだった。
 友雅の知らないところで、あかねが傷ついてしまったことへの怒り。
 理不尽だと分かっていても、その怒りが不注意だったあかね自身へと向けられた。
 





 誰にも渡さない、誰の勝手にもさせない、あかねのすべてを握るのは自分なのだと。
 





 狂っている。
 解っていてもこの激情は抑えられない。
 






  
「あかね……。さあ、答えて、お前は誰のもの?」
「やぁ……ん…!…ん」
 もう何度イカされたか判らない。
 いったいどのくらいの時間、繋がっているのかも判らない。
 与えられる快感に身も世もなく喘がされ、朦朧とした意識とぐずぐずに融けてしまいそうなほど疲れた体に、甘美な毒のように流れ込む囁き。
 縋るように伸ばした手は、友雅の厚い胸を抱き返すことさえ出来ずに、力なくシーツに落ちてしまう。
 震える爪先が、何度ももがくようにシーツに波を描いていく。
 身体の奥の奥を突き破らんばかりに穿たれる楔は、友雅の激しい感情そのままにあかねを翻弄する。








 友雅の激情を一身に受けながら。
 限界を超えた快楽を与えられながら。
 あかねは霞む意識の隅で願っていた。







 
 お願い、もっと執着して。
 私を離せなくなるくらい、もっともっと。
 その為に、私はなんだってするから。
 あなたが私のものになることはないって分かっている。
 だから、私を求めて。
 まともな思考が融けてなくなるくらい狂って!
 






 私はあなたなしでは生きていけないから。
 もう狂ってしまっているから。
 





 どうかあなたも狂って……。







 私はそのために、すべてを投げ出すから……。

 





「お兄、ちゃぁ……ん、……やぁぁ、……もっとぉ…」
「あ、かねっ!…くっ」







 捕らわれたのは一体誰?
 互いの胸に抱いた闇は混じることなく、濃密な時間だけが紡がれていく……。












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