あれから何年も経ったのに、今でもあの日の夢を見る。
 怖いくらい月の綺麗な夜だった。







 突然京と呼ばれる異世界へ召喚されたのは、桜の花が満開の頃だった。
 『龍神の神子』や『八葉』など、現代に暮らすあかね、天真、詩紋には理
解出来ないことばかり。
 それでも戦わなければ、現代へ帰る道がなかった。
 怨霊などに苦しむ、京の人々を見て、背を向けることなどできなかった。
 どこまで出来るか、何が出来るのかわからない。けれど少しでも力があ
るというのなら、何かをしたいと思った。




 そしてあかねは今までに無い経験をし、今まで知らなかった想いを知
った。





「私、帰ることに決めました」
 中空に懸かる月を見上げながら、あかねは小さな声でそう呟いた。
 あかねの背後で微かに息を呑む気配がする。





(少しは悲しんでくれますか?)




 あかねは振り返ることが出来ないまま、気持ちを落ち着けるように、
目を閉じた。
「神子殿・・・・それは・・・」
「ずっと、ずっと考えていたんです。どうしたらいいのか、どうするべき
なのか・・・。友雅さんと出会ってずっと考えてた・・・」
「そして帰ることに決めたのかい?」
 友雅の声は常になく固かった。
 初めて聞く、怒ったような責めるような口調。
 あかねは胸に込み上げてくる、熱くて重いものを我慢しながら頷い
た。
 「・・うん。帰ることが一番いいと思いました。私にとっても友雅さんに
とっても・・・」
 パチンと苛立たしげに扇が閉じられる音がする。
 友雅は閉じた扇を口元に当て、鋭い眼差しであかねを見つめてい
た。
「私にとっても?勝手な言い分ではないかな?それは君の考えだろ
う?」





(あなたは今どんな表情をしていますか?少しは哀しんでくれるでしょ
 うか?)






 あかねは月光を反射して輝く玉砂利に目を落とした。
 友雅の顔を見てしまったら、やっとついた決心が崩れてしまいそうだ
った。
 だから振り返るかわりに、足元の玉砂利を軽く蹴った。
 ジャラっと石の音が、やけに大きく響く。




「・・・・自信がないんです」
「自信?」
「はい・・・。友雅さんにずっと好きでいてもらえる自信が持てないんで
す」
「・・・・・それは私の心変わりを疑っているのかい?」
「そうじゃありません!」
 振り返った瞬間、あかねは友雅の真摯な眼差しに目を奪われた。
 いつも笑顔でいる友雅が、今はあまりにも切なすぎて・・・




(私を引き止めてくれますか?力で奪ってくれますか?)





「私は何もしらない子供です。突然、この世界に召喚されて、行方不
明になった私を、両親はきっと心配しています。そんな両親を捨てる勇
気はないんです。友雅さんが好き!一緒にいたい!この気持ちは本当
です。・・・・・でも、同時に父や母の元に帰りたい・・・・・」
「・・だから私一人を切り捨てると?」
 あかねの聞いたことの無い厳しい声だった。
 怒りを秘めたそれに、あかねは小さく身を震わせながら首を振った。
「分かって下さい。私にとってこの状況は異常なことです。その短い時
間の中で、今まで生きてきたすべてを捨てる決心なんて出来ない!
・・・・・だから帰ります」
「・・・・では、私が」
 友雅が何を言うか分かっていた。
 でもそれは絶対に言わせてはいけない言葉。
 そして絶対に聞きたくない言葉。
 だからあかねは友雅の唇に指先でそっと触れた。
「言わないで・・・」
「神子・・・あかね・・・」
 友雅があかねを呼ぶ声は何故こんなにも甘くて切ないのだろう。
 その声だけで、あかねの心をざわめかせ縛り付ける。
 でも・・・・それでも・・・
 あかねは言葉を紡ごうとす友雅に、ゆっくりと首を振った。
「私には人の人生を狂わせることも抱え込むことも出来ません。これから
先、私はきっと友雅さんと別れたことを後悔する。でも!・・・友雅さんと一
緒にいても両親を捨てたことを後悔するか、友雅さんの運命を狂わせた事
を後悔するでしょう。そして、きっと・・・・・友雅さんを憎んでしまいます・・そ
んなのは嫌だから・・・・・」
 まっすぐ友雅を見つめるその瞳から、一筋の輝くものが流れ落ちた。
 蒼い月明かりを弾いてきらめいて・・・






「・・・もう、決めたのだね?」
 静かな声で、友雅があかねに問うた。
 あかねがゆっくり、そしてしっかりとうなづく。
「そう・・・ではもう私は何も言うまい」
 友雅は広げた両腕であかねをしっかりとその胸に包み込んだ。
 暖かく逞しい胸に頬を当てれば、しっかりと力強い鼓動が聞こえる。
 あかねの体に染み込むような深い香り。
 恋焦がれた友雅の香りだった。
 あかねはおずおずと友雅の背に腕をまわし、しっかりと抱きついた。
 細い体に似合わぬ力で・・・・。
「ごめんなさい。ごめんなさい・・」
 ポロポロと堰を切ったかのように涙がこぼれる。
 悩んで悩んで選んだ最善の道だというのに、なぜこんなに身が引き裂
かれるように辛いのだろうか・・・・
 哀しくて、切なくて、苦しい・・・






「あかね、これだけは覚えていて欲しい」
 抱きしめる腕に力が込められ、あかねは顔をあげた。
 友雅は涙に濡れたその頬に軽く唇を落とし、切ないほど綺麗に微笑し
た。
「私の忘れ去っていた情熱を呼び起こしたのはあかねだ。君が去っても
この情熱が冷めることはないだろう・・・。あかね、私はいつまでも君を想
っている」
「ごめんなさい!!」
 あかねは友雅に抱きつき声を上げて泣いた。
 こんなにうれしい言葉なのに、辛すぎてたまらない。
「私も・・・友雅さん以上に・・・・・人を好きになることなんて出来ない・・・
でも・・」
「分かっているよ、月の姫。物語の中でも月の姫は帰ってしまう・・・。それ
がきっと一番自然なことなのだろう・・・」




(そう・・・・。これが最良の選択。・・・・・でも、強引に連れ去って欲しいとも
思ってしまうのは、どうしてなのでしょうか・・・・・)




 それからすぐに龍神の神子は鬼との戦いを終え、この京から去っていっ
た。
 二人の八葉と黒龍の神子とともに・・・・・



                                    <続>




これを書きたいが為にこのサイトを開設したと言っても過言ではありません(笑)
しかも連載だし・・・・
終わりは決まっていますが、それに辿り着くのはいつかな〜??
書きたいシーンもたくさんあるので、気長にお付き合い頂けるとうれしいです





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