「もうお発ちになるの?」
しどけなく茵から身を起こす女。
身支度を整えた男は、その女の頬に手を伸ばした。
「なごり惜しいけれど・・・ね・・」
優しい声音。
けれど女は知っている。
この男の心は誰よりも冷たいのだと・・・。
その冷たさを隠すかのように、男の手は誰よりも暖かい。
女はそっと目を閉じその手に頬を押し付けた。
「次は・・・いつ・・・・?」
帝の覚えめでたい中将。
この雅やかな男をいつまで自分の元に通わせることが出来るのだろう。
初めて夜を共にしたのに、もう夜離れを恐れている。
遊びだと、男は本気ではないと分かっているのに・・・・。
男は微かに唇の端を上げた。
女が目にしていたら身を震わせるほどの冷たい眼差し。
「・・・そうだね・・・・ また月が雲間に隠れたら・・・」
指先でくすぐるようにして、女の頬を撫であげてから背を向けた。
「お待ちしていますわ・・・」
男からのいらえはない。
女は自分の体に移った深い侍従の香りを逃がさぬようしっかりと抱きしめ
た。
階から夜明け前の空を見上げ男はひとつ息を吐く。
「月はまだ隠れたままか・・・・。桜には月がよく似合うのに・・・・。そう思わ
ないかい?頼久」
男が闇に呼びかけると、かさりと音がして武士が一人、姿を現した。
彼は黙って男に頭を下げた。
「久しぶりだね、頼久。相変わらず仕事熱心だ」
「・・・・恐れ入ります」
「何か言いたそうだね?」
男の言葉に、頼久はわずかに体を揺らした。
「神子殿が去ってもうすぐ一年。それ以来かな?こうして君と話をするのは」
「・・・・・・・」
頼久は顔を上げない。
けれど物問いたげな気配がした。
だからこそいつもは気にならない頼久に声を掛けてしまったのだ。
「言いたい事を溜め込んでいても仕方ないだろう?言いなさい、頼久」
男の強い口調に頼久は鋭く男の目を見据えた。
「では失礼を承知でお伺いします。友雅殿はもう神子殿のことをお忘れにな
ったのですか?」
頼久らしくない、責め立てるような口ぶり。
友雅はわざとらしく肩をすくめてみせた。
「これは意外な質問だ」
「聞けと言われたのは友雅殿です」
「・・・・愚問だね。私が神子殿を忘れるはずがないだろう・・・」
溜息と共につぶやかれた言葉。
八葉の中で誰よりもあかねに近かった友雅。
彼女と友雅の絆には誰もが気付いていた。
だからこそ、未だに信じられないのだ。
最後の戦いが終わった後、二人が別れを選択したことが。
「では、何故神子殿が去ったその日からこのような生活を続けるのですか?」
頼久とて友雅が女性と過ごすのが悪いとも思っていないし、咎める気もさら
さらない。
しかしあかねが去ったその夜からと言えば話は別だった。
友雅も頼久が言いたい事は分かるのだろう。
手にした扇で口元を覆い酷薄な笑みを浮かべた。
「私がどんな態度を取ればお前は満足なんだい?」
「・・・・・」
「神子殿を想って泣き暮らせとでも?」
「! そのようなことは」
友雅は階を降り、ゆっくりと歩を進めた。
「頼久、お前は若いね」
「友雅殿!」
「私にその若さがあれば何かが変わっていたかも知れないが、生憎私は物分
かりが良すぎたんだよ」
「友雅殿・・・・・」
頼久の横を通り抜け闇に消えていく友雅へ、頼久は最後の質問を投げかけ
た。
「帝の御妹君を御正室になさるのですか?」
「さて、どうだろうね?」
いつもの飄々とした返事だった。
だが、否定ではないことが何よりの答えなのだと頼久は気付いていた。
帝の意向には誰も逆らえはしないのだから・・・。
<続>