しばらくすると、くすくすとかすかな笑い声が聞こえた。
「ごめんね。実は天真を問いつめて、あらいざらい全部白状してもらったんだよ」
真っ赤になって、両頬を抑えたままうつむいていたあかねは、その言葉に驚いて顔を上げた。ネクタイを少しゆるめて、シャツのボタンをラフに外した友雅は、天真とのやりとりをあかねに説明し始めた。
「君が天真に頼んでまでここに来ているのは、この店にお目当ての人がいるからだってね。しかも彼を指名すればいいものの、恥ずかしくてそんなことは出来ないから…せめて眺めていられるだけでも良いってことで、天真をいつも指名して、ここの…フロア全体が見える席をいつもリザーブしてた。違うかな?」
どんな理由で言いくるめられたのか知らないが、もう少し脚色してくれれば良いものの……。
天真が友雅に打ち明けたのは、そっくりそのままあかねの行動理由そのものだった。
指名してみたいけれど、二人きりになったら何を話して良いか分からなくて緊張してしまいそうだし…。それならせめて見ているだけでも。
彼がたいていそこにいる、カウンターが見えるこの場所で。
「誰がお目当て?」
とびきりの笑顔で、あかねを友雅の瞳が見つめる。
きっと彼は知っているはずだ。あかねが誰を見ていたのか……既に知っていながら、意地悪をしてわざと聞き出そうとしているに違いない。
「教えてくれたら、今度は私が秘密を教えてあげるよ」
友雅が不思議なことを言い出した。
秘密?それは友雅自身のことなのか、それともこの店についてなのか?
気にはなる……けれど、それでもそう簡単に名前なんて言えない。しかも、本人を目の前にして名前を言うなんて、告白タイムじゃあるまいし?それに……気持ちの整理が着かない。
あれは…春先だっただろうか。
同級生の天真が突然、ホストクラブでバイトをすることになったと言うことで、あかねをはじめとした友人たちは一斉に沸いた。しかもこの業界では有名な店だと聞き、興味をそそられたのはあかねだけではなかった。
最初の頃、物見遊山で何人かの女友達を誘ってここにやって来た。勿論、天真のおごりというか格安価格ということわりつきで。
そこで………彼を見つけてしまったのだ。
幾多の華やかなスタッフ達の中で、一人だけ芳香を放つ彼の姿。周囲には薔薇のように見栄え鮮やかな女性達が数人、彼を取り囲むようにもたれているのを見た。
あの時から、目が離せなくなった。
自分が客であったら、彼に少しでも近づけるだろうか。でも、普通の女子大生風情では…彼にはとても相応しいとは言えない。
だけど、ずっと…見ているだけでも。少し離れたところから、手に届くことはないと思っていた彼を、こうして見てきたのに。
………こんな風に二人きりで、向かいあう時が来るなんて思っても見なかった。
あかねは何も答えずにいた。それは勿論、強情だとかかたくなにしていたというわけではない。
「仕方がないねえ。君が教えてくれないと、いつまでたっても店を開けることが出来ないよ。」
「えっ……?営業中じゃなかったんですか?」
立ち上がった友雅に、あかねが首を傾げて言った。そして振り返った彼は、入口のカウンター近くに置いてあるドアボードを手に取った。
「君が入ってきたから、ドアの外には『準備中』の札をかけておいたんだけど、気付かなかったかい?ちょっと見渡してごらん、誰一人お客もいないだろう?」
そういえば……あかねが店に入ってから、ドアをくぐった客の姿はなかった。友雅以外の従業員もいないし、このフロアには………友雅と自分の二人だけ………。
不必要に鼓動が鳴り響く。『二人きり』という言葉に過剰な反応をしてしまい、聞いたこともないような激しい心音が自分の耳に入る。
「君と二人きりで、ゆっくり話してみたくてね…。お客さんたちには悪いけれど、店をちょっと貸し切りにしてもらったというわけさ。」
友雅はそう言いながら、あかねの表情が変わっていくのを楽しそうに見ていた。
もしかして、これは策略…?知らないうちに自分で、友雅の計画にそっくりはまっていたというわけか。
でも。
ドキドキする…この場面。
二人きりの店で、彼が自分一人に向けて語りかけている事実を、あかねは嫌だと言えるわけもない。
「そんなこと…しても良いんですか?。お店の時間を勝手に遅らせたりして…」
「あまり良くはないだろうけど、少しくらい私用に使ったところで、痛い目を見るのは自分だから別に構わないさ。職権濫用というわけかな。でもまあ、せっかくオーナーにある権利だからねえ。」
……オーナー?彼が、この店の権利者……?
「まあ、間違いではないけれど。正確に言えばこのビル全体を取り敢えず管理している。たいした実力なんてない、道楽でやっているようなオーナーだけどもね。」
そう言って友雅は笑った。
まさか、そんな裏設定があるなんて思わなかった。
もしかしたら、彼はこの店長だろうか…と考えたことはあった。指名率が多い割にはあまり率先してフロアに立つこともなく、時折顔を出してもカウンターに入っていたり。それに、どこか他のホスト達とは違う余裕さえあって。
まさかこのビル全体のオーナーが彼だとは…思わなかったけれど。
「だから、これからは天真に頼らなくても遠慮なくお店に来ると良いよ。オーナーの私が許可するから。」
友雅はゆっくりとした足取りで、フロアの中を歩いてくる。空気の流れに乗るような身のこなしが、薄暗いライティングにうっすらと照らされて、まるでモデルのように優雅なシルエットを作る。
再びあかねの隣にたどり着いた彼が、そっと目の前に手を差し伸べる。無意識のうちにその手に指を伸ばすと、友雅は自然な力であかねの身体を引き上げた。
そしてもうひとつの手の指先はあかねの顎を突くように、上に向けて反らさせる。
………あまりにも無理のない仕草。腰を抱える腕の力。
仕掛けられた動作のあとに訪れたのは………キス。
重ねられた唇の感触が消えるまで、目の前が真っ白になった。
「さ、早く教えて。お客さまたちが外には開店をお待ちかねだ。君のお目当ての人の名前を…この唇で囁いてごらん。」
奪ったばかりの唇に指を添えて、もう一度友雅は尋ねる。
こんなところに閉じこめて、天真に全部白状させて、それでもってキスまで奪っておいて……!
「…………言う必要なんか、もうないじゃないですかっ」
まっ赤になったあかねの頬を、友雅は優しく撫で上げた。
その腕に光る時計の電子アラームが、現在の時間を伝える。
「残念…タイムリミットだ。そろそろ店を開けないと、さすがに売上に差し障りが出てしまうからまずいな。」
時計は午後8時。既に店の外には、開店を待つ女性達が立ち往生しているかもしれない。
「仕方がないな、今日は諦めて次回に期待するよ。またここに遊びにおいで。だけど、一つだけ条件があるよ。」
その腕に抱かれたまま、あかねは友雅の顔を見上げる。
「今度は天真じゃなくて、私を指名すること。それだけが条件だよ。」
そう言って桜色に染まった左の頬を、彼の唇がくすぐった。
「君の専属パートナーとして、いつ来てもお相手するよ。」
--------辛口のシャルドネと、カンパリの香りが唇で溶け合う。それはあまりに甘美で、酔わないでいられない。
しびれる感覚。眩暈するほどの濃度高めなアルコールのよう。
それは………『恋』と言う高級ブランド。
酔ってしまったら醒めそうにない。
<終?>
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