(……ここ?まさか?)






 ヒノエが迷わずにバイクを入れた広い駐輪場。
 望美はヒノエに促されてバイクから降りながら、本当にこの場所でいいのか半信半疑できょろきょろと辺りを見回した。
 メットの中の狭い視界ではうまく状況が判断できなくて、望美はなんとか留め具を外しヘルメットを取った。
 そのとたん、締め付けられていた頭にほっとするような開放感が広がる。
 バイクのエンジンを切りスタンドを立てたヒノエは、慣れた手つきでシート下にキーを差込みそれをあげた。
「あ、バイクってシートが開くんだ?」
「ああ、小物入れになってるよ」
 ヒノエはその中にグローブを放り込んで、代わりに折りたたんで入れていたキャップを取り出し、メットを外してそれを目深に被った。
 中にあるフックに、メットを引っ掛けてシートを戻す。
 こうやっておけば、メットを盗られる心配も少なくなる。
 ヒノエはバイクのキーをポケットにねじ込むと、望美に向かって手を差し伸べた。
「さあ、行こうか?」
「え?」
 当たり前のように差し出された手に、戸惑いの視線を向けた望美。
 その初心な反応にふっと顔を綻ばせたヒノエは、身体の横に下ろされたまま望美の手をふわりと掬い上げた。
 そしてキュッと自分よりも小さくて細い手を握りこむ。
「ヒノエくんっ!?」
「はぐれたら悪いからね」
 ヒノエの手の温かさに驚いた望美が、反射的に退きかけた手をヒノエが逃さぬようにぐっと握り、躊躇う望美を引っ張るようにして歩き始めた。






「平気なの?」
 ヒノエに手をしっかりと繋がれ、振りほどくことも出来ないまま、ヒノエの隣を歩いていた望美が声を潜めておっかなびっくりたずねた。
「何が?」
「だって、人多いよ?」
 ヒノエが望美を連れてきたのは、広大な敷地を誇るテーマパークだった。
 週末でもあるため、遊びに来ている人も多い。







 ヒノエは若者を中心にカリスマ的人気を誇るロックユニット、グリフォンのボーカリストだ。
 もし彼が≪グリフォンのヒノエ≫だと知られれば、大変な騒ぎになるのではないだろうか?
 言外に含ませた望美の不安をわかってるはずなのに、ヒノエはキャップを被っただけで顔を隠すわけでなく、堂々と望美の手を引いて歩いていく。
 かえって望美の方が、心配で体を小さくしてしまうくらいだ。
「ヒノエくん?」
「心配性だな、望美は……」
 戸惑いや不安ばかりが先に立って、笑顔を隠してしまった望美へ、ヒノエが困ったように眉をあげた。
「……だって…」
「木の葉を隠すには森の中。人ごみの方が見つかりにくいのさ。かえってこそこそすると、すぐにばれる」
 だから大丈夫。
 そういって朗らかに笑うヒノエを、望美は疑いの眼差しで見た。
「………そんなものなの?」
 でも見つかりにくいと言いながら、ヒノエの放つオーラの強さはハンパじゃない。
 今だって、すれ違った女性たちがヒノエを気にして、何度も振り返って見ていた。
 ヒノエは『グリフォンのヒノエ』と気づかれなくても、ただそこに立っているだけで目立つ。
 容姿だけじゃない、何よりも存在感が違うのだ。
 けれどヒノエは自分に向けられる視線を、すべて無視していた。
 その多くの視線に気づいていないわけじゃない。気づいていながら、平然と切り捨てている。
 まるでそれが当然というように。
 そしてヒノエは望美だけを甘く優しく見つめてくれていた。
 しかし本当に大丈夫なのかとまだ首をひねる望美に、ヒノエは何かを企む子供のようににやりと笑ってみせた。
「それにさ、人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて…、って言うだろ?デートの邪魔なんてしないさ」
 デート、と当然のように言われて、望美は少しだけ頬を染めた。
 でも望美の口から出たのは、可愛いとは程遠いものだった。
「……わけわかんないし。誰の恋路よ?」
 言った直後に、なんて生意気なんだろうと、我ながら落ち込んでしまう。
 咄嗟のセリフは意地ばかりが先立って、可愛げなんて欠片もなくて……。
 そう悔やむのは、いつも考えるより先に言葉が出てしまった後だ。
 望美は自分が言った言葉を後悔して顔を曇らせ、ヒノエが引っ張る繋がれた手に視線を落とした。
 しかしヒノエは気を悪くするでもなく、俯いた望美の顔を覗き込んで悪戯っぽく笑った。  
「え?オレと望美」
 ヒノエの整った綺麗な顔がいきなり視界全体を埋め、そのあまりの近さに驚いた望美が咄嗟に身体を仰け反らせた。
 ヒノエは望美を見つめたまま、ふっと優しく目を眇めた。
「残念、キスし損ねた」
「ヒ、ヒノエくん!?」
 真っ赤になる望美に、冗談なのか本気なのか、ヒノエは軽く片目をつぶって見せる。
「望美は可愛いね」
「………ありがと」
 せっかくの褒め言葉。
 望美はヒノエの悪ふざけに動揺しながらも、それを素直に受け取った。
 するとヒノエが笑みを深くし、さらりと望美の長い髪を指先に絡めた。
 くんっと髪を軽く引っ張られ、望美はヒノエへと顔を上げた。
 視線が合うと、ヒノエはその綺麗な顔に深く自信に満ちた笑顔を見せた。
「お前はやっぱりいい女だね」
「え?」
「ねえ、望美、オレの女になりなよ」
「は?」
 突然告げられた内容が突飛すぎて、すぐには理解できなかった望美は、目をまん丸にした間抜けな顔で、口元に薄く笑みを浮かべるヒノエを見返してしまった。







(今、何て言ったの?『オレの女』???き、聞き違いよね?それか冗談。きっとからかわれてる……)
 突然の口説き文句のおかげでヒノエを凝視したまま固まってしまった望美は、目まぐるしく動く頭の中でそう結論付けた。
 出会ってから、ずっとヒノエに振り回されている気がする。
 ヒノエの滑らかな甘い言葉は、どこまでが本気でどこまでが冗談か分からない。
 ヒノエは初めて出逢った時から女の子が夢見る砂糖菓子のような甘い言葉と大胆な仕草で、望美をいいように翻弄する。
 女の子の好みを知っていて、そこを突いてくる狡さ。
 そんなヒノエに振り回されながらも、望美は頭の隅の冷静な部分で自分の傍にいる同年代の男子より、女の子の扱いに慣れていると思った。
(……あれ?そういえばヒノエくんって年、いくつだっけ?)
 確かグリフォンはヒノエも弁慶も年齢を公表していないはずだ。
 グリフォンの大ファンである望美の友達が、何歳だろう?と言っていたのを覚えている。
 ヒノエは見た目、弁慶ほど望美より年上とは思えない。同い年か、少し上くらいか。
 でも女の子との付き合いは豊富そうで……。
 そして何より、色々なことに慣れすぎている気がする。
「どうした?」
 じっとヒノエを見つめたまま、自分の世界に入り込んでしまった望美を引き戻すべく、ヒノエが苦笑しながら指に絡めた望美の髪を軽く引っ張った。
「あ……」
「オレがいるのに、何を考えてるのかい?」
「………ヒノエくん、年いくつ?」
 唐突な、何の脈絡のない質問。
 これまでの会話の流れから、どうしてこんな色気の無い問いが出てくるのか?
 ヒノエは思わず吹き出してしまった。
 自分の口説き文句が、ここまであっさり流されるとは思わなかった。
 やはり望美は手強い。
 それも天然だ。
「何がおかしいの?」
「いや、別に…」
 そう言いながらも、ヒノエは口元に拳を当てて楽しそうに喉の奥で笑い続ける。
「ヒノエくん!」
 なんだかバカにされているような気がして、望美はムッと顔をしかめた。
「わりぃ」
「何がそんなにおかしいのよ?」
「いや……。望美のそんなところも可愛いね」
「………どこ?」
 ヒノエは何度も望美を可愛いと言ってくれるけれど、いったいどこが可愛いのか本人には分からない。
 ヒノエは笑いを収めつつ、望美へふっと顔を寄せた。
「全部かな?」
 あっさりとヒノエの口をついて出るありきたりなセリフ。
 きっといつも使っているのだろう。
 もうその手の甘いセリフに振り回されるのはまっぴらだ。
「はいはい」
 間近に迫った綺麗なヒノエの顔に早まる鼓動を感じながら、望美は努めて冷静にあしらった。
 まったくどうしてこんなにも滑らかに甘いセリフが次から次へと出てくるのか不思議でならない。
 でもきっとそれがヒノエの普通なのだ。
 いちいち反応していたのでは、こっちの心臓が持たない。
 望美はこれ以上からかわれまいと、顔を引き締めて身構えた。
 そのあからさまな頑なな態度に、ヒノエがはぁ…と息を吐く。
「本気なのに……」
「はいはい。ありがとう」
「やれやれ。……ああ、オレの年だったね」
 望美のご機嫌を少々損ねたことに気づいたヒノエは、それ以上甘い言葉を紡がずに話を戻した。
「聞いていいの?」
 あっさりと答えてくれそうなヒノエに、望美のほうが驚く。
 ヒノエは軽く肩をすくめた。
「別にオレが隠してるわけじゃないし。17だよ」
「17?同級?いっこ上?」
「同級に近い先輩」
「?」
 謎かけのような答えに、望美がきょとんと首をかしげた。
 そのあどけない可愛らしさに、ヒノエの表情が和む。
「ぎりぎりなんだよ。四月バカ」
「一日?」
「そう」
「学校は?」
「高校中退。何?オレの身上調査?興味を持ってくれてうれしいね」
 望美の問いかけへ、さくさくと答えながらヒノエがからかうように言った。
「そ、そんなんじゃないけど……」
「オレを知りたいなら、今度じっくり教えてやるぜ?」
 にやりと笑んだその顔は何かを企んでいるようで…。
 本能的に一歩退いた望美の耳元へ、ヒノエが唇を寄せた。
「ただし、ふたりっきりの時限定で」
「結構です!!」
 耳をくすぐる艶やかな声に望美の頬がさっと染まる。
 でも真っ赤になりながらも望美は意地を張って、ヒノエを睨み返したのだった。








「…つれないね。でも望美とならゆっくり知り合っていくのも悪くないか……」
「ヒノエくん?」
 ヒノエの苦笑交じりの小さな呟きは、周りの雑音に紛れて望美の耳には届かなかった。
「さて、では遊びましょうか?姫君?」
 小首を傾げて不思議そうに聞き返す望美の手をとり、ヒノエは芝居がかった仕草で望美を園内へとエスコートした。













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