「ちょっと休憩〜」
 よろよろと木陰のベンチに座り込んだ望美を眺めながら、ヒノエは軽く笑った。
「何よ〜」
 笑われてちょっと拗ねた望美が、上目遣いにヒノエを見上げる。
 最初は緊張していた望美だが、時間が経つにつれヒノエにだんだんとうちとけてくる。
 まるで気高い猫が、徐々に懐いてくるような感覚。
 ヒノエは望美のそんな微妙な変化を、敏感に感じ取りながらこっそり楽しんでいた。
「いや?まあ、あれだけ叫べば疲れるなと思って」
 ヒノエは望美の前に立ったまま腕を組み、ベンチで一息つく彼女を見つめた。
「それはそうだけど……」
 可愛い顔に似合わず、絶叫マシーンのはしごをリクエストした望美。
 ヒノエも別に異論はなく、次はあれ!と望美が指定するまま一緒に楽しんでいた。
「絶叫マシーン好きなんだろ?」
「うん。一度やってみたかったの、はしご。でも誰も付き合ってくれなかったんだ」
「ま、確かに連続はきついかもな。特に望美は叫び疲れそう」
 乗ってる間の望美の絶叫を思い出し、ヒノエが苦笑した。
 何を笑われてるか、すぐにピンときた望美が、ぷっと頬を膨らます。
「いいじゃない。つい声が出ちゃうけど楽しいもん。でもいつも、将臣くんなんか『勝手に乗れ』って相手にしてくれないし……」
「……将臣?」
 望美の唇から躊躇いもなくこぼれた男の名。
 ヒノエは一瞬眉間に皺を寄せた。
 しかし、望美はその僅かなヒノエの表情の変化に気づかずに続ける。
「うん。私の幼馴染みだよ。将臣くんと譲くん。『お前の叫び声で鼓膜が破れる』ってきいてくれなかったの」
「へぇ……」
「ヒノエくんもやっぱりうるさいと思った?」
「……いや、別に」
 我知らず、声のトーンが落ちる。
 なぜだか不快だった。
 望美の口から当たり前のように発せられる、ヒノエの知らない男の名が……。
「ヒノエくん?」
 ヒノエの雰囲気が変わったことに気づいた望美が、不思議そうにヒノエを見上げた。
 ヒノエは心の中に出来たしこりを隠し、口元に笑みを貼り付ける。
「仲良さそうだね?」
「うん…。家が隣で、生まれた時から兄弟みたいに育ったの。喧嘩もいっぱいしたし」
 何かを思い出したのか、望美はふっと頬を和ませて笑みを浮かべた。
 ヒノエに向ける笑顔とは違う、思わず零れ落ちた微笑み。
「よく三人まとめて怒られてたっけ……」
 幼馴染みとはいえ、自分を前にして他の男との思い出に浸る望美に、ヒノエは言い知れぬ苛立ちを覚えた。
(嫉妬?まさか?このオレがか?)
 この胸にわだかまるイライラとした気持ち。
 ヒノエの知らない笑顔を望美に浮かばせる、顔も分からない男にムカついている。
 ヒノエは自分の中に沸き起こった気持ちに気づいて自嘲した。
 嫉妬など女にさせても、ヒノエ自身は無縁だった感情。
 だが……。
「ヒノエくん?どうしたの?」
 黙り込んでしまったヒノエへ、望美が不安そうに声をかけた。
「ああ…。ごめん」
「大丈夫?遠慮なく付き合ってもらっちゃったけど……」
 どうやら望美はヒノエが調子を悪くしたのかと思ったようだ。
 ヒノエは苛ついた自分の気持ちを隠し、綺麗に笑って見せた。
「大丈夫。望美は優しいね」
 言いながら、指先でさらりと滑らかな頬を撫でれば、望美の頬に朱が走る。
 自分以外の男を思い出すなど許さない。
 ヒノエは望美に触れる指先に、己の独占欲を感じていた。









 なぜ、なんて分からない。
 ただ望美は、ヒノエの心の琴線を振るわせる。
 望美が特別なことをしているわけじゃない。
 その声が、その笑顔が、そしてその声が……。
 ヒノエの心を惹きつける。











 お昼過ぎ、お腹がすいたとヒノエが言い、ご飯を食べようと入った園内のパスタ屋。
「……気づかれないもんだね?」
 席について二人でひとつのメニューを見ながら、ヒノエに顔を寄せて望美がこっそり囁く。
「だから大丈夫って言っただろ?」
 ヒノエはテーブルに肘をついて、にやりと笑った。
「慣れてるんだ?」
「人ごみに紛れるのかい?まあ、慣れているかな?買い物はだいたい自分で行くからね」
「服とか?」
「ああ、スタイリストから買い取ることもあるけど、ほとんどは自分で買うな。あとバイクショップとか、本屋、CDショップにもね」
「見つからないの?」
「堂々としていれば、他人の空似で通るかな?見つかることもあるけどさ」
「騒ぎにならない?」
「声をかけてくる子はいるけど、むやみやたらには騒いだりしないよ。……大人数は別だけど」
 困ったように笑うヒノエは、たぶん散々な目にあったこともあるのだろう。
「ふ〜ん……。大変だね…」
 相槌を打ちながらも、望美にはよくわからなかった。
 こうしてヒノエと過ごしている限り、望美の周りにいる男の子とあまり変わらないから。
 まあ、ちょっとだけ……。いや、かなり女の子慣れしているようだけれど…。
「決まったかい?」
 ぼーっと考え事をしながらメニューを眺めていると、ヒノエが指先で望美の持つメニューをつついて聞いてきた。
「あ、うん…」
 望美が頷くと、ヒノエは顔を上げて視線だけでウエイターを呼んだ。








 やっぱり慣れているなと思う。
 些細なことだけれど、ヒノエはさりげなく望美に気を遣ってくれる。
 望美が楽なように…。










 一緒にいて楽しいけれど、あまりに女の子に慣れすぎていて不安になる。
 どうして自分を誘ったのだろうか…と。
 新しい遊び相手でも探していた?
 望美はヒノエの真意がわからず、未だに戸惑っていた。









 ふたりは食事を済ませた後、今度は園内をゆっくりと歩きながらアトラクションを楽しんでいた。











「あ、ヒノエくん、あのお店見ていい?」
 可愛い小物を売っているお店を見つけた望美が、友達へのお土産をと考えてヒノエを振り返った。
 だが、望美の数歩後ろで立ち止まっていたヒノエは、僅かに眉を寄せて望美ではなくどこか遠くを注意深く見つめていた。
「ヒノエくん?」
 なんだろう?と、望美も倣ってヒノエの視線の先に目を向ける。
 その瞬間。
「悪い!!」
「えっ!?」
 ヒノエの声と共に、望美の手首が大きな手に掴まれて強く引かれた。

「走れ!望美!!」
 言われた時には、ヒノエの力強い手に引っ張られて、つんのめるように走り出していた。
「何?!」
 状況がつかめない望美の問いに被るように聞こえた、甲高い嬌声。
 ヒノエにどんどん引っ張られながら、ようよう振り返った先に望美と同年代の女の子のグループがいた。
 やっぱりヒノエだよー!と何人かが、こちらを指差して騒いでいる。
 それを聞きつけた周りの人の目も、ヒノエを捉えているのがわかった。
「ヒノエくん!?」
 焦ってヒノエを見れば、彼は困ったように顔を顰めた。
「ごめん、望美。ちょっと撒く」
 短く言って、ヒノエは望美の手首を掴んだまま、走るスピードを上げた。








 ばたばたと派手な足音を立てながら、女の子達が慌ててヒノエを追いかけてくるのが望美の目の端に映った。
 望美は意外と足が速いのだが、ヒノエはそれ以上。
 ぐいぐいと手を引かれて、ヒノエに必死について行くだけだ。
 いくつものアトラクションを駆け抜けて、人を避けながら彼女達との距離をどんどんあけていく。
「ヒノエ、くん!」
 息が切れる。
 ヒノエは苦しそうに顔を歪める望美を見て、走りながらざっとあたりの状況を把握する。
「望美!こっちだ!!」
 ヒノエは一度追いかけてくる女の子の姿が見えないことを確認して、そこへ飛び込んだ。








 突然勢いよく駆け込んできた二人に、係員は不機嫌そうに眉を寄せたが、別に何を言うでもなくあっさりと道をあけた。
「ヒノエくん!ちょっと!」
 ヒノエが何に隠れようとしているか気づいた望美が、焦って彼を止めようとする。
 けれどヒノエは、戸惑って足を踏ん張りこれ以上進むまいとした望美の身体を軽々と引き寄せ、その腰をさらうようにして望美をそこへと押し込んだのだった。
 ふわりと身体に感じる浮遊感。
 二人を乗せた観覧車のゴンドラは、ゆっくりと地上を離れた。













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