〜アルバイトは危険な香り?〜







 とある町のとある外科内科医院。
 大きくも無く小さすぎもしない、その診療所の医療事務員として高倉花梨は働いていた。
 その診療所は規模のわりに患者が多く、スタッフ達は忙しい日々を過ごしている。
 患者が多いのは、毎日必ず何人か病と偽ってやってくる若い女性や男性がいるからだ。
 女性の目当ては若き美貌の院長。男性の目当ては麗しい看護婦達……。
 しかし院長も看護婦も仮病の患者の扱いには馴れていて、手際よく片付けている。
 もちろん、院長も看護婦達も本物の患者には丁寧な診察と的確な処置をを施し、容姿だけでなく腕が立つことでも有名である。
 花梨はそんな医院の受付で毎日忙しく働いていた。






「う〜ん……、足りない……」
 ほとんど食べ終わったお弁当箱を睨みつけていた花梨は、唸りながらぼそりと呟く。
 向かい合わせでお昼を食べていた千歳は、その呟きを聞いて自分のお弁当に入っていたシュウマイを箸で掴み、コロンと花梨のお弁当箱に放り込んだ。
「ん?千歳?」
「あげる」
「?、ありがとう」
 不思議そうに首を傾げながらも礼を言い、花梨は千歳がくれたシュウマイを口に運ぶ。
 もぐもぐとおいしく頂いていた花梨だが、ハッと気付きシュウマイを飲み込むと首を振った。
「ち〜が〜う〜!お弁当が足りないんじゃないの〜!!」
「えっ?違うの?てっきりお弁当だと思ったのに…」
 確かにあの状況では、お弁当が足りなくて唸っていると思われても仕方が無いだろう。
 しかし花梨の頭の中は、ここ数日ずっと考えていたことで一杯だったのだ。
「足りないのはお弁当じゃなくて、お金なの……」
「お金?」
「そう、お給料だけじゃ足りないの〜!」
「足りないって、花梨、何買ったのよ。ここは結構お給料いい方なのに……」
「うぅ、友達の結婚式なんだよ〜!寿貧乏一直線!!」
「あぁ、結婚式ね……」
 理由を聞いた千歳がなるほどと頷く。
 花梨はテーブルにうつ伏せ、大袈裟に嘆く。
「お祝い金でしょ。結婚式に着ていく服に小物に靴。当日の美容院代。赤字も赤字、大赤字よ〜!!」
「……美容院は削ってもいいんじゃない?髪短いからブローするくらいでしょ?」
「い〜や〜!二次会でいい男にめぐり合えるかもしれないもん。気合いれなくてどうするの!?」
「あ、そ。結婚式用の服ね……。私が持ってるのはこの時期のものじゃないしね、友達に聞いてみた?」
「聞いたけど、やっぱり時期が違うとか、およばれしてたり私には似合わなかったりして全然だめ。買うしかないから困ってるの」
「それは痛いわ」
「でしょ?もうどうせなら小物とかも合わせやすいのを買っておこうと思って。そうしたら、またいつか使えるだろうし。服は普通に着られるブライダル用じゃないワンピースでもって思ってる」
「そうね。ブライダル用は一回きりになりがちだもの。でも全部揃えるとなると、かなりかかるわよ?」
「だから困ってるんじゃない!もう、どうしよう……」
「……アルバイトでもしたら?」
 あっさり、千歳が言った事に反応し、花梨がガバッと起き上がる。そしてつぶらな瞳を疑問の色に染めてパチパチと瞬きを繰り返した。
「アルバイト。ここが終わってから単発のアルバイトすればいいのよ。一ヶ月も働けば、なんとかなるんじゃない?」
「ここが終わってから?え〜!疲れるから嫌だ!」
「だってお金がないんでしょ?仕方ないじゃない」
「でもアルバイトって、コンビニとかファミレスとかでしょ?ここ終わった後に立ち仕事はキツイよ。時給もそんなに高くないし」
「バカね、花梨。もっと実入りのいいバイトがあるでしょう?」
「?」
 首を傾げる花梨に、千歳はクスリと笑って顔を寄せ、小さな声で囁いた。





「水商売よ」





「えぇ〜〜!!」
「声が大きい!」
 思わず声を上げた花梨を、顔を顰めた千歳が叱り付ける。
 花梨は肩を竦めて小さくなった。
「でも千歳〜、水商売なんて出来ないよ……」
「水商売って言っても、スナックとかならなんとかならない?風俗はさすがに止めるけど」
「風俗って……」
 その美しい容姿からは想像できない、千歳の突拍子のない提案に絶句する花梨。しかし千歳はかまわずに話を続ける。
「スナックだったら、まあせいぜい酔っ払いの話相手とカラオケのデュエットと、たまにチークダンスの相手くらいじゃない?」
「無理!絶対無理!!っていうか、やりたくないし!」
「う〜ん、手っ取り早くていい案だと思うけど……」
「よくなーい!!」
「そう?でも花梨は酔っ払いと話するっていうより、喧嘩しそうだよね。……性格的にやっぱり無理かな?」
「……性格的にってのが、引っかかるけど無理だよ。コンビニやファミレスより無理」
「う〜ん、残念。花梨がスナックでバイトしたら、皆でからかいに行こうと思ったのに」
「なによ、それ!他にいい案はないの?」
「ないわよ。それとも給料前借とかする?……簡単にはさせてくれそうにないけど、あの院長は」
「……嫌。イヤミ言われそうだから絶対嫌。またからかわれるに決まってるもん!」
 拳を握り締めて花梨は力説する。
 相変わらずの翡翠院長への花梨の警戒心に、千歳が微かに笑う。




 翡翠院長に対する花梨の態度は、まるで大きな獣に毛を逆立てている子猫のようだ。
 決して勝てるわけはないのに、小さな体で懸命に威嚇しているような感じ。
 翡翠もそんな花梨をわざとつついて怒らせて楽しんでいるとしか思えない。
 相手にしなければ翡翠もすぐに飽きるはずなのだが、いちいち過剰反応する花梨は千歳からみていても面白い。その為、ますますからかわれてしまうことに、本人はまったく気付いていなかった。
 素直で一生懸命すぎて、花梨は翡翠のいい玩具と化している。
 そんな翡翠に弱味を見せられないというのも分かるのだが……。





「お金ないんでしょ?背に腹は変えられないじゃない。ここはひとつ我慢して、院長にお願いしてみなさいよ」
「『お願い』?うっわ〜、他の誰にも出来ることが、あの院長相手には絶対やりたくないわ……」
「…花梨、じゃあ、アルバイトだね」
「それも、面倒くさいよ〜。何かいい案がないかな〜?」
 ぺったりと机と仲良くなった花梨が救いを求めるように千歳を見上げるが、アルバイトも前借も拒絶した花梨に他のアドバイスは思い浮かばない。
 千歳がお金を貸してもいいのだが、花梨のほうがお金の貸し借りを嫌う。
 だから別の方法となるのだけれど……。
「あー!!いいこと思いついた!」
 ガバッと音がしそうなほど、勢い良く起き上がった花梨は不気味なほどにっこりと微笑んだ。
 千歳が怪訝そうに目を眇める。
「……なに企んでるの?」
「うふふ、労働力に対する正当な報酬を貰うだけ、だよ〜ん。あんまり大きな金額じゃないけど、ないよりはマシだからね。や〜ん、いいこと思いついちゃった!」
 そう言って立ち上がった花梨は、自分の考えに踊りだしそうな足取りで食べ終わったお弁当箱を洗いに給湯室へと消えていった。
 残された千歳が、訝しげに眉を寄せ首を傾げる。
「変なことしなければいいけれど……」
 千歳は肩を竦めて溜息混じりに呟いた。










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