あかねが再び診察室に呼ばれたのは1時過ぎ。
外来患者の診療がすべて終わってからだった。
「遅い!」
それが開口一番、あかねが友雅に投げつけた言葉。
器具の用意をしていたナース達が驚いて振り返る。
しかし怒鳴られた本人は、どこ吹く風で笑っていた。
「仕方ないだろう?ここは病院だからね。あかねにだけ構っていられないよ」
「じゃあ、遅くなるって一言言えばいいじゃない」
「早く診察を済まそうと、席を外さなかったのだよ?」
にっこり、あかねから見ればわざとらしい笑顔で正論を言われては、文句をつける気力もなくなるものだ。
あかねは、深〜く諦めの溜息をつく。
『暖簾に腕押し』『ぬかに釘』
そんなことわざがあかねの脳裏に浮かんでいた。
どんなにあかねが突っかかっていっても、友雅は余裕でするりとかわしてしまう。
昔から友雅に勝てた例がないのだ。
それがあかねを子供扱いしていることに他ならず、ますます悔しさが募っていく。
大好きだからこそ、許せない。
あの時、子供だった自分を切り捨てた友雅を・・・・。
「さて、そろそろ始めさせてくれるかな?」
友雅が促すと、あかねは素直に診察台に横になった。
「動かないようにね」
ナースが差し出したカメラで患部を写してから手術に入った。
麻酔も切開もあかねが想像していたより、あっさりと終了。
友雅の手で患部にガーゼを貼って出来上がり。
「来週抜糸するから、またおいで」
「・・・・・・・は〜い」
起き上がって乱れた髪を手櫛で整えつつ、不満一杯の返事。
友雅はカルテに目を落としたまま苦笑した。
(ここまで反抗されると、からかいがいがあるねぇ・・・)
どんなに憎まれ口を叩いていても、友雅には子猫が毛を逆立てている程度にしか思えないのだ。
しかも、素直な時より感情をぶつけてくるあかねの方が可愛いと思ってしまう。
(我ながら兄馬鹿だね・・・)
だが、さすがに避けられるのだけは応える。
どんなに説得しても、あかねは学園の寮を出ようとしないのだ。
退寮の条件は揃っているのに、当の本人が首を縦に振らない。
その話を始めて、すでに1年。
保護者として、そろそろ限界である。
「あかね、寮のことだが・・」
「薬くれるんでしょ?早くしてね!」
そう切り出した友雅の言葉を途中で遮り、あかねは捨て台詞を残してさっさと診察室を出て行った。
「・・・・・・やれやれ」
目頭を押さえて溜息をつく。
そんな友雅の耳に、後ろで診察室の片付けをしていたナース達の笑い声が聞こえてきた。
「楽しそうだね」
椅子をくるりと回し、少しむっとしてナース達を振り返った。
そのらしくない口調に皆の笑いが高くなる。
「天下の橘先生も妹さんにはやられっぱなしですね」
友雅より年上のチーフの言葉に、ひょいっと肩をすくめた。
「昔は可愛かったんだけどねぇ・・・・。年頃の姫君は気難しい」
「あまりからかっては益々嫌われますよ。先生?」
「肝に銘じるよ・・・・・・。さて、では今日は終了だね?」
友雅は椅子から立ち上がると、結わえてあった髪をほどき軽く頭を振った。
くせのある黒髪がその広い背に広がる。
顔にかかった髪を掻きあげる仕草に、ナース達がうっとりと見惚れた。
しかしさすがはチーフ。
すぐに我を取り戻し、友雅の問いに頷いて答えた。
「はい、お疲れさまでした」
「ではね、また来週」
さっさと診察室を出て行く友雅に、慌ててチーフが叫んだ。
「先生!医事課から『来週は月初めなので高額レセプトのチェックとコメントお願いします』と連絡がきてますからね!!」
友雅は足を止めることなく背中越しにひらひらと手を振っただけだった。
「寮かぁ・・・・」
待合室で薬を待ちながら、靴のつま先を見つめ、あかねはぽつりとつぶやいた。
確かに友雅の言うとおり、本来なら退寮しなくてはいけないのだ。
保護者である友雅のマンションは十分通学範囲内なので、寮生の資格に反する。
しかしすでに中学の頃から寮生であるあかねは、友雅が医者で忙しく家にほとんどいないと嘘をついて寮においてもらっていた。
「やばいなぁ。なんとか説得しないと退寮させられそう・・・」
いくら兄といっても、もともと他人。
それも思春期は離れて暮らしているのだから・・・・・。
「絶対嫌〜!男と暮らすなんて!」
たとえ相手が自分を子供としか思って無くても、こちらは違う。
しかも、友雅はほとんどの女が声を揃えて「美丈夫」と称する男なのだ。
意識せず暮らせというほうが間違っている。
「でも頑固だから・・・・・」
「誰が頑固なのかな?」
「きゃっ!」
不意に耳元で囁かれた艶やかな声。
あかねは反射的に耳を押さえ、ずざざっと飛びのいた。
そんなあかねを白衣を脱いだ友雅が、椅子の背もたれに肘をついて楽しそうに見ていた。
「お、驚かさないでよ!」
胸を押さえキッと友雅を睨みつける。
ナース達に「女を殺す最大の武器」と言われる美声を直に流し込まれ、あかねの心臓はうるさいほど脈打っていた。
「驚かすつもりはなかったのだけど、呼んでも気付かなかったのはあかねだよ?」
「え?あ、嘘・・・」
「ホント。はい、薬」
友雅からポイッと渡された白い薬袋。
それを受け取りあかねは不思議そうに友雅を見上げた。
「薬の説明は?お金は?」
「・・・必要ないよ」
にっこり、あかねに言わせたら『うさんくさい』笑顔を浮かべ、椅子をまわってあかねの側へやってくる。
あかねは本能的な危険を感じ、友雅を睨みつけたまま、じりじりと逃げの体制を整える。
そしてダッシュをかけようと視線を外した瞬間、
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
フワリと浮遊感に見舞われ、気が付けば友雅の肩に荷物のように抱え上げられていた。
「ちょっ!放して!降ろしてよ!!」
あかねの叫び声に友雅の笑い声が重なる。
待合室の騒がしさに、通りかかったナースや近くの医事課から何人か職員が出てきた。
誰にも優しくいつもクールと評判のDrの信じられない行動に、誰もが絶句し固まった。
友雅は肩の上でバタバタと暴れるあかねの両足を易々と片腕で抱え込み、喉の奥で笑いながらさらりと告げた。
「あまり暴れると見えるよ?」
一瞬何の事か分からず考えたあかねが、次の瞬間には顔を真っ赤にして友雅の背中を拳でポカポカと殴りつけ叫んだ。
「このエロ医者ー!!!」
その言葉に思わず頷いたのは、一人や二人ではあるまい。
いや、その場に居合わせた全員か?
「酷いねぇ。これから抜糸までちゃんとケアしてあげる医者を捕まえて・・・」
「はぁ?」
「寮にはちゃんと連絡しておいたから。『傷口が化膿しては困るので、家で様子をみます』ってね。抜糸までの一週間は家から学校に通いなさい」
「ちょ、ちょっと待って!うそでしょう!?」
「本当だよ。さて、では帰ろうかな、姫君?」
「うそ〜!!!」
「楽しい一週間になりそうだねぇ・・・」
「やだー!!!!」
哀れあかねは、まんまと友雅に持ち帰られてしまったのだった。
「病院なんて行くんじゃなかった・・・・・」
後日、あかねはじみじみと蘭にそう呟いた。
<終>
02.06.30
終わりました〜!
楽しんでいただけたでしょうか?
私は書いててとても楽しかった♪
また機会があったら書きたいな〜
お付き合いありがとうございましたvvv
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