逢いたくて、声を聞きたくて、その温もりに触れたくて……。
あかねはただ一心にそれだけを願い、友雅のマンションを目指した。
電車を乗り継ぎ、夜の街を駆け抜ける。
久しぶりに訪ねる友雅のマンション。
そこはエントランスに管理人を常時置いたオートロック式で、セキュリティのかなり高いところだった。
あかねは友雅のマンションまで来て、やっと部屋の鍵を持っていないことに気付いた。
エントランスに設けられた呼び出しパネルで友雅の部屋のベルを鳴らしても応答はない。
友雅はまだ帰宅していないようだった。
でも友雅に逢わずに家に戻るつもりはなかった。
偶然外出する住民が開けたドアを、あかねはさりげなくくぐった。
エントランスの管理人室にいたのは、古株の警備員。
あかねはいつものように警備員に軽い会釈をした。
過去、何度もあかねの姿を見ていた警備員は、鍵を使わず入ったあかねを別に咎めることなくにこやかに礼を返した。
友雅はこのマンションの最上階に住んでいる。
ワンフロアすべてが友雅の部屋だった。
あかねはエレベーターでそこまで上がり、玄関ドアに背中を寄りかからせた。
夜の冷たい風があかねの体温を奪っていく。
あかねは凍える指先に、ほうっと息を吹きかける。
そしてその手を擦り合わせながら夜空を見上げた。
都会の明るいネオンに消されてしまった幽けし星の光。
地上の煌く光に霞んでしまう小さな星明りはまるで自分のよう……。
友雅という月明かりは、それらに負けることはないけれど自分は友雅を取り巻く美しい光にすぐに掻き消されてしまう。
あかねは自分が何処にでもいる、平凡な女子高生だと自覚している。
友雅のように、特別な『何か』を持っている人と並ぶには役不足だということも。
それでも、逢いたいという気持ちは止められない。
星はささやかな光だけれど、自ら輝いている。
あかねは明るい夜空で微かに瞬く星を見上げて思った。
明るい光に萎縮して、自分を偽るのはやめようと。
どんなに地味でも自ら輝く努力を怠るのはダメなのだと。
嫌われたくないからと自らを偽っても、きっといつか限界がくるに決まっている。
だったら初めからいい子でいなければいい。
友雅が煩わしく思う嫉妬も不安もぶつけて……。
そして本当の自分を好きになってもらいたい。
逢いたくて、逢いたくて……。
体は寒さで震えているけれど、心はとっても温かい。
友雅を想うだけで……。
友雅はなかなか帰ってこなかった。
仕事が入ると徹夜もざらな彼のこと。もしかすると今夜は帰ってこないのかもしれない。
そう思ってもあかねはその場から立ち去ることは出来なかった。
兄から入ってくるであろう電話やメールを煩わしく思って、携帯の電源も切っていた。
しんっ…と冷えた大気があかねを凍えさせる。
時間が経つにつれ、少しずつあかねの中に生まれる不安と淋しさ。
友雅が帰ってこなかったらどうしよう。
こんな所で待ち伏せのような事をして迷惑だと思われたら……?
「早く帰ってきて……」
願いが呟きになり、白い吐息と共に冷たい空気に溶けた。
その時だった。
軽い空気音とエレベーターのドアが開く気配がしたのは…。
あかねは、ぱっと顔を輝かせてもたれかかっていた玄関ドアから体を起こした。
「あかね!?」
「友雅さん!」
突然目の前に現れたあかねに驚きを隠せない友雅は、目を見開いてエレベーターを降りた所で思わず足を止めた。
あかねは友雅が来るのを待てずに、冷たい夜風で芯まで凍えた体で駆け寄った。
「どうして……?」
手を伸ばせば触れる位置にいるあかねを見下ろし、友雅は呆然と呟いた。
「だって、逢いたかったんだもん!」
そう、ただそれだけ。
ずっと焦がれて、でも姿を見ることさえ出来なかった友雅にあかねは手を伸ばして、その手に触れた。
その瞬間、友雅の体がピクリと揺れる。
「友雅さん?」
ほんの微かな友雅の動揺に気付いたあかねが、不安気に恐る恐る彼を見上げた。
久しぶりに間近で見つめた友雅の顔に浮かぶのは、僅かな苛立ち。
あかねは思わず、友雅に触れた手を引いた。
しかし友雅は自分から離れたその手を追うように力任せに掴みあげた。
「痛っ!」
握りつぶされるかと思うほどの強い痛みにあかねが声を上げる。
だが友雅は乱暴に、グイッとその手を引き寄せ言った。
「逢いたいからといって、こんな所にいる必要はないだろう!?」
それはあかねが初めて受けた、友雅の怒りだった。
信じられなかった。
逢いたくて、逢いたくて……。
いけないと分かっていても、友雅に逢いたい一心でここまで来たというのに……。
きっと友雅なら、仕方が無いと苦笑して許してくれると思っていたのに。
でもそれは独りよがりだったのだろうか…。
友雅は眉間に皺を寄せ苛立たしげな瞳をあかねに向けた。
それはあかねが見た事の無い、そして一番見たくなかったものだった。
逢いたいとここまで来たのは、友雅にとって迷惑なだけだったと思った瞬間、強く頭を殴られたような衝撃があかねを襲った。
足が震えて、目が霞む……。
あかねは唇を噛み締めると友雅に握られた手を、思いっきり振り解いた。
そして俯いて小さく呟くように言った。
「逢いたいって思ってたの、私だけなんですね……。ごめんなさい、友雅さんの迷惑考えないで……。もう、来ませんから。さようなら!」
喉まで込み上げてきた嗚咽を意地だけで抑え、顔を伏せたままあかねは友雅の脇をすり抜けエレベータのパネルを押した。
これ以上友雅を煩わせたくなかったから。
嫌われたくなかったから。
友雅が降りたまま動いていなかった箱は、即座にそのドアを開ける。
「あかね、待ちなさい!」
エレベーターに乗ろうとしたあかねを止める為、肩に置かれた手さえ今は悲しくて、あかねは友雅を振り返りざま思いっきり突き飛ばした。
「っ!」
さすがの友雅もあかねの不意打ちに受身がとれず、大きく後によろめいてしまう。
その隙にあかねはエレベーターに乗り込んでドアを閉めたのだった。
友雅が慌てて伸ばした指の先で、無情にもドアが閉まる。
その一瞬に見えたのは、あかねの頬に光る一筋の涙……。
独りよがりの想い。
「…っう……」
あかねは噛み締めた唇から零れる嗚咽を、口を押さえて堪えようとした。
けれど涙はパタパタと零れ落ち、足元で弾けた。
「くそっ!」
ドアが閉じた瞬間、彼らしくない言葉を感情のまま吐き捨て、友雅は非常階段の重い扉を縋りつくようにして押し開け、階段を全力で駆け下りていった。
その長い足で数段抜かして駆け下り飛び降りる。
友雅の長い波打つ髪が風に流れ、無造作に羽織ったコートの裾が翻る。
友雅は数階下に降り、再びドアを引き開けその点滅する光でエレベーターの位置を確認すると、全力で駆け体全体をぶつけるようにパネルを押した。
息を切らした友雅の前で、ゆっくりと開いたエレベーター。
顔を伏せ口元を抑えたままのあかねは、人の気配にそっと端に寄り新たに乗り込む者の為にスペースを空けた。
だが友雅はそこに乗り込む事無く、小さくなって肩を震わすあかねの腕を力任せに掴んで引き寄せた。
「きゃあっ!!」
不意の狼藉に、友雅とは夢にも思わないあかねが怯えた悲鳴を上げる。
それにかまわず友雅はあかねの体をその腕にしっかりと強く抱きこんだのだった。
「あかね……」
耳を擽る甘い声と、ウッディなコロンの香り。そして微かな煙草のにおい……。
あかねは自分を拘束するのが、その手を振り払って逃げてきた友雅だと気付いた。
友雅は身動き出来ないくらい深く抱きしめたあかねの、涙で濡れた頬に己のそれをゆっくり愛しむように触れさせた。
そして柔らく滑らかな肌を流れる涙に唇を寄せる。
そのとたん、あかねの瞳からは新たな涙が溢れ落ちた。
「……こんなに冷えて……」
寒さでかじかんでしまったあかねの手を取り、その指先にもキスを落とす。
「……友雅、さん…」
「あんな所にこれ程凍えてしまうまでいるなんて、無茶をしないでくれまいか?驚いて心臓が止まるかと思ったよ……」
友雅の言葉に、あかねは顔を上げた。
「怒って、ないの?」
しゃくり上げながら、恐る恐る問うあかねに友雅が目を細めて微苦笑を返した。
「君が逢いに来てくれた事を?それは絶対にないよ。私が怒っているのは、君が寒い中で震えていたからだよ。どうしてあんな所にいて部屋に入らなかったの?」
「…鍵はお兄ちゃんが……」
「そう……」
友雅はあかねの答えに苦く笑って、こつりと額を合わせた。
「友雅さん……」
「逢いたかったよ……、あかね…」
吐息のように甘い囁きと共に、あかねの唇に友雅の優しいキスが降ってきた。
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