あかねは目的の駅で電車を降りると、途中の本屋で問題の週刊誌を購入し、兄のアトリエへと向った。
 兄、慎のアトリエに、あかねが訪ねることはほとんどない。
 慎の仕事の邪魔になるようなことを、あかねはしたくないのである。
 けれど、今回は緊急事態だ。
 友雅に連絡しようかとも考えたが、この記事の発端はあかねが勝手に空港に友雅を出迎えに行った事にある。
 これ以上、友雅を煩わせたくなかった。
 それにカメラマンとはいえ、業界に身を置く慎になら、この記事への対処を教えてくれるかもしれないと思った。
 もしかすると、あかねが思っている程大袈裟に考える必要はないのかもしれない。
 そんな少しの希望を持って、あかねは慎のアトリエのドアを開いた。






 
「そんな言い訳が聞きたいわけじゃない!!」





 アシスタントのいる部屋を申し訳なさそうに挨拶をしながら抜け、慎の部屋のドアを開けた瞬間、あかねを直撃したのは、今まで聞いた事のない慎の激しい怒声だった。
 慎のあまりに激しい怒りに、あかねはドアに手を掛けたまま硬直してしまう。
 年の離れた兄は、あかねに対して常に甘すぎるほど優しく、温和な性格だった。実際、あかねが慎の怒った姿を見たのは片手で数えられるくらいだ。
 それなのに・・・・。
「あかねさん?」
 ドアを開けたまま動かなくなったあかねに、アシスタントから不思議そうな声が掛かる。
 その声に我を取り戻したあかねは、アシスタントに一礼すると、たじろいで止まっていた足を室内へと踏み入れた。
 あかねが入ってきたことに気付いた慎が、ちらりとそちらを流し見たが、用はないとばかりにフイッと顔を逸らす。
 慎は左手をスラックスのポケットに突っ込み、苛々と室内を歩き回りながら、相手の話を聞いているようだった。
 あかねはそんな慎を気にしつつ、応接用のソファの上に荷物を置いた。
 いつも温厚な慎らしくない態度。どんなに怒ってもここまで激怒することはなかった。
 あかねはバックの中に入っている週刊誌を思って息をついた。
 慎がこんな調子では相談なんて出来やしない。慎に睨み殺されてしまいそうだ。
 それに写真に顔を写されている訳ではないから、心配する必要ないのかもしれない。
 あかねは慎の剣幕に恐れをなして、一人でそう結論付け、やはり帰ろうと荷物を持ち上げた時だった。






「っざけんな!あんたは俺が出したたった一つの条件さえ守れないのか!!」
 慎の一際大きな声に、あかねがビクッと身をすくませる。
 慎は苛立ちのまま、アトリエの壁を拳で殴りつけた。まるで、相手を殴る代わりのように・・・・。
「あんた、自分で言ったこと覚えてるのか!?俺が『絶対にあかねをスキャンダルに巻き込むな』って言ったら『あかねの存在は一字たりとも書かせない』と誓ったよな?それがこのざまか!?」
 あかねは慎の電話の相手が友雅と気付き、一度持った荷物を放り出して、慎に駆け寄った。
「友雅さんなの?」
 腕に纏わりついてきたあかねを、慎が舌打ちしうっとうし気に振り払う。
「お前は向こうへ行ってろ!」
 慎の怒鳴り声とあかねを邪険にする態度。そのどれもがあかねにとって初めての事で、あかねは驚きと戸惑いに瞳を向け、あとずさった。
「あかねがいようといまいとあんたに関係ない!いいですか?今回の件、どんな手を使ってでも、綺麗にきっちりかたをつけてもらいましょうか。写真の女の正体が『女子高生』と特定された瞬間、俺はあかねをアメリカの両親の元に送るからな!」
「お兄ちゃん!!」
 慎の強行手段に、あかねが悲鳴を上げる。
「元々両親は初めはあんたの事をよく思ってなかったんだ。今回の件がバレれば、俺が言わなくとも即日本から連れ出してしまうだろうよ。もしあんたがそれで仕事の拠点をアメリカに移しても、すぐにあかねを日本に連れ戻してやる。
いいか、俺がどんな手を使ってでも、あかねを泣かせても、あんたがあかねと会うのを阻止してやるからな!」
「やめてよ!お兄ちゃん!!あれは私が悪いの!友雅さんのせいじゃない!」
 縋り付いてきたあかねを、慎は怒鳴りつけた。
「うるさい!黙ってろ!!」
「お兄ちゃん!」
 取り付く島もない慎。電話の向こうで友雅が何を言っているか分からないが、慎の眉間の皺は深い。
 長い長い沈黙。ただ時折、友雅の落ち着いた声が、慎の持つ携帯から零れ落ちる。
 あかねは涙で瞳を潤ませ、ただただ慎を見上げていた。
 友雅の話を聞いていた慎が、やがて深く長い溜息を落とした。
「そこまで言うなら、あんたのお手並み拝見といきましょうか……。ただし今回の記事が綺麗に忘れ去られるまで、あかねに会うことは遠慮してもらいます」
「ひどい!お兄ちゃん!!」
 非難の声を上げるあかねをきつく睨みつけ、慎は友雅に告げた。
「スキャンダルの所為で、あんたはマスコミの格好の餌だ。そんなあんたの側にあかねをやるなんて、馬鹿な真似は出来ない。あかねに会いたければ、どんな手を使ってでも世間の目を違う方向に向けてもらいましょう。
言っとくが、俺は本気ですからね。あかねを無断で連れ出してみろ!俺の持てる力すべてで、あんたを社会的に抹殺してやるからな!」
「お兄ちゃん!!」
 最後に一際大きく友雅を怒鳴りつけ、慎は勢いよく携帯を折りたたんだ。






 そしていきなりあかねに向かって、手を差し出したのだ。
「出せ!!」
 突然、出せと言われても、あかねには何のことか分からない。いつも優しい兄が初めて見せる怒りの姿に、あかねは胸の前で手を組み怯える様にあとずさった。
「出せって……、何を?」
「先輩の部屋の鍵だ!持っているんだろうが!!出せ!」
「嫌!!」
「あかね!」
「嫌!嫌!あれは私が友雅さんに貰ったの。いくらお兄ちゃんでも渡せないわ!」
「いいから、出せ!」
「嫌よ!横暴だわ!お兄ちゃんが禁じても、私は友雅さんに会うんだから!」
「何だと!?」
 あかねの反抗に、慎がますます苛立たしげに眉を寄せた。
「外じゃなければいいんでしょ?部屋だったら問題ないじゃない!」
「そんな単純な問題じゃない!いいか、お前が先輩の部屋に行ってみろ!妹が連れ込まれたと訴えるぞ!そうしたら先輩がどうなるか、お前わかっているんだろうな?」
「酷い!」
「先輩を犯罪者にしたくなければ出せ!!」
 慎の剣幕にあかねは泣きながら、震える手でキーホルダーに付けていた銀色に輝く鍵を外して慎の手にのせた。
 その鍵を握り締めた慎は、あかねに背を向けてそれをアトリエの金庫に放り込んだ。
 カチャリと金庫の鍵が掛けられる。その音にあかねはホロホロと涙を落とした。
 金庫の開け方をあかねは知らない。だからあかねの元に、友雅の部屋の鍵が戻ってくるのは、慎の怒りがとけてからでしかありえなかった。
 しかし、今はまだそれがいつになるのか分からない……。
「いいか、あかね。俺は本気だからな。俺に逆らって怒らせるな。わかったな!」
 激しい怒鳴り声に、あかねは泣きながらただただ身を竦ませるだけだった。










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