友雅のもとへ行かないよう、慎に連れて帰られたあかねは、自宅に着いたとたん慎の腕を振り払い、物も言わず自室に飛び込んだ。
「ふっ……、うっ」
堪えようと思っても込み上げてくる嗚咽に肩を震わせながら、ドアを背にしてずるずると座り込んでしまった。
スカートから覗いた膝の上に、パタパタと涙が落ちる。
いつもあかねの味方だった慎の怒りが悲しくて辛かった。他の誰に友雅とのことを反対されるよりも、慎に反対されるのが一番苦しい。
何だかんだと言いながら、慎はいつもあかねを見守ってくれていたから。
以前、あかねとの付き合いを始めた友雅がまずしたことは、あかねの家族にその事実を正直に告げることだった。
未成年であるあかねが年上の自分と付き合うことに、後ろめたさを感じさせたくなかったのと、過去の自分の行状からあかねが不安を抱かないように……。
初めは華やかな世界に生きる、倍近い年齢差のある友雅と普通の高校生のあかねの付き合いを両親は反対した。
だが慎だけは違った。
大学時代から友雅を知っている慎は、初めて見る友雅の真摯な態度にあかねの恋を認めてやる気になったのだ。
あくまであかねの為に。
慎の説得がなければ、友雅との交際は両親の反対にあい、きっとダメになっていただろう。
その後もあかねが友雅との付き合いのなかで悩んだり不安に陥ったりすると、それを解決するほんの少しの勇気ときっかけをくれるのも慎だった。
その慎が、友雅を会うことを禁じた。
あかねの気持ちも言い分も一切聞き入れずに……。
それがショックだった。
誰よりも頼りにしていた兄なのに……。
世界中の誰一人、あかねの気持ちを分かってくれる人はいない……。
そう思うと、涙が止まらなかった。
慰めてくれる腕は、今は遠くて……。
独り泣き濡れるあかねの横に放り出されたバッグの中から、細かな振動音とあかねの大好きなラブソングが流れてきた。
あかねは慌てて指先で涙を拭い、着信を知らせて震える携帯を取り出すと、気を落ち着ける為にひとつ大きな深呼吸をして通話ボタンを押した。
「はい……」
『あかね?』
「……友雅さん…」
あかねの耳に流れ込んできた、低く響きのある大好きな声。
あかねの瞳から、ホロリと涙が零れ落ちる。
『あかね?大丈夫かい?慎から苛められなかったかい?』
友雅のわざとおどけた口調に、あかねがほんの少しだけ表情を緩めた。
そして泣いていた事を気づかれないように、極力明るく返事をした。
「私は大丈夫です。ごめんなさい、お兄ちゃんが友雅さんに酷い事を……」
『いや、慎は悪くないよ。あかねを巻き込んでしまって悪かったと思っている』
「巻き込むだなんて……。あれは私が悪かったんです。私の考えが浅はかだったから」
『あかね』
友雅の声があかねの言葉を遮る。
『過ぎた事はもういいのだよ。とにかく今はこれ以上探られないようにすることだ。でないと、あかねと逢えないからね』
「友雅さん……。やっぱり逢えないの?」
『あかね……』
あかねの心細そうな声に、友雅が微かに息を飲む。
「逢いたいって言っても、無理なんですか?」
『………そう、だね』
「!」
友雅の一言に、あかねの体が強張った。
いつもいつもあかねの我儘を笑って享受してくれる友雅の、意外すぎる返事。
そして一番聞きたくなかった言葉。
あかねの頬に一筋、煌くものが流れた。
『すまない、あかね。私もあかねに逢いたい……、けれど今私はマスコミにマークされているのだよ。わかってくれるね?』
「……わかってます。ごめんなさい、我儘を言って……」
友雅の立場は十分わかっている。分かっているからこそ、そう答える以外、あかねに出来ることがあっただろうか?
あかねはスカートを関節が白くなるほど握り締めた。
迷惑は掛けたくない。ただそれだけを思って……。
『あかね、私がこれから言うことを心して聞いて欲しい』
「友雅、さん?」
滅多に聞くことのない友雅の深刻な声に、あかねの不安が募る。
あかねの胸がキリキリと痛む。
『2、3日中に私の新しい記事が雑誌やワイドショーを賑わすことになる。煽り文句は【熱愛発覚】だ』
「えっ?」
『相手は新人モデル、あかねと年はそう変わらない』
友雅の告げた内容に、あかねの血の気がスッと下がった。
携帯を持った手が震える。
「どういうことですか?」
『すり替えだよ。空港の女性を彼女と勘違いさせる為だ。スキャンダルが出たあと彼女とのCM共演の記者会見発表もある。けれどすべては契約、仕事の上だ』
「………」
『あかねは嫌だろうね…。だが、分かってほしい、マスコミの目を逸らす為、こうするのが一番早いのだよ』
「嫌だなんて……」
『本当に?嫌じゃない?』
友雅にしては珍しい問い詰めるような物言いに、あかねはちょっと息を詰めた。
『まったく気にならないのかな?あかねは』
気にならない訳が無い。
たとえ仕事だとしても、スキャンダルを作るということは、それなりの露出があるはずだ。
それも世間が誤解し、熱愛を信じるような演出が……。
自分以外の女性に、優しい眼差しを向ける友雅は見たくない!自分だけを見て欲しい!
そう素直に言えたらどんなにいいだろう。
でも……。
あかねは胸の痛みに唇を噛み締め、それでも友雅に心配をかけまいと無理矢理笑顔を作って言った。
「本当は嫌ですけど……、でも私の為に仕方ないことだと分かっています」
『あかね……』
「私が考えなしに空港に行ったのが悪かったんです。ごめんなさい……」
『いや、謝るのは私だよ。あかねに嫌な思いはさせたくなかったのだけれどね。すまない』
「友雅さん……」
『これから色々憶測や相手との映像が飛び交うだろうが、すべて仕事だと思って欲しい。あかねを守る為に、こんな手段しかとれない私を許してくれるかい?』
「……はい」
素直な物分りのいい返事。
けれどあかねの瞳から、行く筋もの涙が零れ落ちていたことを友雅は知らない。
いつものように電話を切ったあかねは、懸命に堪えていた嗚咽を漏らしてその場に泣き伏した。
(守るってどういうこと?こんなに苦しくてこんなに悲しいのに……。今はただ抱きしめて欲しいだけ……。ただ側にいて抱きしめてくれるだけでいいのに、どうして分かってくれないの?
胸が痛くて涙が止まらない……。私の気持ちを何も分かっていないのに、私の何を守ってくれるっていうの?分からない、分からないよ、友雅さん……)
その2日後、友雅が言ったとおり友雅と美少女新人モデルとのスクープ記事がスッパ抜かれたのだった。
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