「それでは、この条件で契約ということでよろしいでしょうか?」
 キャンペーンの内容や進行予定、契約条件などを説明し終わった担当者が、腕を組んで目を閉じていた友雅に向って、一際緊張した面持ちで言った。
 部屋に集まった全員の目が友雅に集まる。
 その視線に気付いているだろうに、友雅は別段慌てる様子も見せずゆっくりと目蓋を上げ、隣に座っている鷹通をちらりと流し見た。
 友雅の視線を受け、鷹通が溜息を殺しながら軽く眼鏡を指先で押し上げつつ頷いた。
「わかりました。ただ一つだけ、契約前にもう一度確認したいことがあります」
「何でしょうか?」
 鷹通の言葉に、担当者が表情を厳しくする。
 コレクションのステージ以外の仕事は、たとえ些細なものであっても誰よりも契約が難しいと言われる友雅。
 何か不手際があれば、これまでの計画と苦労が水の泡になる。契約を交わすまで、担当者が友雅の一挙手一投足に神経を尖らせるのも無理は無い。
 それを分かっている鷹通は、軽く首を振った。
「キャンペーンの内容についてではありません。相手モデル、ナオとの話題づくりについてです」
「私〜?」
「ナオ、大きな声出さない!」
 鷹通に名を呼ばれたモデル、ナオが驚きのまま可愛らしい声を上げる。その飾り気のない無邪気な、悪く言えば場の雰囲気を読めないナオを、マネージャーの女性が小さく叱り付けた。
「今回のCMの記者会見前に、友雅とナオとのスクープを作るとのことですが、ナオサイドは友雅の出した条件を厳守してくれるのですね?」
「は、はいっ!それはもちろん、しっかりと!」
 答えたのはナオのマネージャーだった。
 ナオよりも友雅と共演できる幸運と事の重大さを認識している彼女は、身を乗り出さんばかりにして頷いた。
「そうですか。それを聞いて安心しました。とかく友雅は共演した女性に誤解を受けやすいのです。友雅に『好意をもたれている』と勘違いされる方が多くて、正直こちらも困っています。
今回のスクープは、ストレートに恋愛となりますが、これは契約です。安易に友雅との関係を肯定しないで下さい。ナオサイドはあくまで、友雅は『よき先輩』であることをアピールして下さい。
微妙な匙加減はすべて友雅が行います。ですから、友雅とどのような状態になっても、恋愛が絡んでいると勘違いしないで頂きたい。もちろん余計な行動もしないで下さい」
「はい、それは重々承知しています。分かっているわね、ナオ!」
「分かってるよぉ。何聞かれても、『アドバイスを受けていただけです』って答えればいいんでしょ?もう、耳タコだよ」
「これ!ナオ!!」
 礼儀をわきまえない我儘なモデル。
 友雅は彼女をまともに見ないまま、そう格付けた。
 今はそのスタイルの良さと容姿でちやほやされているが、長くは持つまいと友雅は思った。
 事務所一の大型新人らしいが、モデルとしては中途半端。世界の舞台に立てる器量ではない。そして10代後半の若さとはいえ、今時の我儘な子供のままでは女優としても怪しいものだ。
 もっとも、彼女がどうであろうと友雅には一片の興味もないが……。
 鷹通もナオの態度に呆れて、こめかみを押さえた。






「見て見て!出たよ、友雅の相手の写真!!」
 友雅の記事が載った雑誌を持って登校してきたのは、ゴシップ好きの美由紀だった。
 いつもの通り朝のおしゃべりを楽しんでいたあかねの友達は、美由紀が差し出した雑誌を受け取りながら尋ねた。
「えっ?もしかして空港の相手?」
「それはわかんないけど、でも年齢的にめちゃ怪しいよ〜」
「ちょっと見せて」
「あ、ここだよ」
 美由紀が広げたのは見開きでモノクロの写真が載ったページ。
 そこには友雅と若い女性がふたりっきりで、ホテル内のレストランで食事しているところが隠し撮りされていた。
 そしてもう一枚は、エスコートする友雅の腕に甘えるように女性が腕を絡めた後姿……。
「モデルのナオ?知ってる?」
「あんまり知らないけど、ファッション雑誌とかに出てるモデルみたい」
「年は私達くらいかぁ……。友雅も変わったものに手を出したくなったのかな?」
「それありえる〜。いい女は食い尽くしたってカンジ?でもさ、案外年下の子が可愛くてはまっちゃったりして〜」
「スタイルはいいもんね。もしかしてナオの体目当てとか?」
「やだー、もう!でも、意外とありえたりしてね」
「いやいや、実はナオが友雅の名声狙いかもよ」
 少女達が、キャアキャアとはしゃいで笑いあう。





 ガタンッ!
 突然、椅子を鳴らして立ち上がったあかねを、友雅の話題で盛り上がっていた友達は驚きを浮かべて見上げた。
「あかね?」
「トイレ行ってくる」
 あかねの唐突な行動を不思議そうな眼差しで見つめる友達を置いて、あかねはさっさと教室を出て行った。
 面白半分に語られる友雅の恋愛噂話なんて聞きたくなかった。
 いくら友達でも、本当の友雅を知らない彼女達に、もっともらしく語って欲しくなかった。
 あかねは校舎の屋上へ続く階段を登った。
 施錠された鉄の扉。
 あかねはそっと鍵を開け、寒風吹きすさぶ屋外へと出る。
 ポケットの中に忍ばせていた携帯を取り出して見ると、新たな着信とメッセージを知らせる表示が点灯していた。
 それを見て、あかねがホッと微かな安堵の表情を浮かべた。そしてメッセージを選択し、携帯を耳に当てる。
 流れてくる、優しい低い声。大好きな友雅の声……。
 けれどあかねはそれを聞き終えると、少しの戸惑いも見せずに消去ボタンを押した。
 一瞬のうちにメッセージが消去されたのを確認して、あかねはフェンスに腕を乗せて遙か遠くを見つめた。






 毎日鳴る携帯。あかねが出なければ必ず残されるメッセージ……。
 あかねは、友雅に逢えないと言われたあの日から、友雅の電話に一切出ることは無かった。
 部屋で独りでいる時に、携帯が彼からの着信を告げるメロディーを流しても、ただそれを見つめるだけで手を伸ばそうとはしなかった。 
 友雅の声を聞いたら、この胸にわだかまるもやもやとした嫌な想いをぶつけてしまいそうで恐かった。
 逢いたいと、どうして逢ってくれないのかと感情のままに友雅を責めてしまいそうで、あかねは友雅からの電話を取ることが出来なかった。






 友雅は、束縛されるのを嫌う。
 今までの男女の関係も、いつも見事に割り切ったものだった。
 以前、あかねは友雅が女性について語ったインタビュー記事を見た事があった。
 友雅と出会い、友雅に対して淡い恋心が芽生え初めた頃に、ネットや友達から色々と友雅の情報を仕入れたなかにその記事はあった。
 そこには友雅が「情の強い女性は興醒めだね……」と、苦手な女性のタイプを上げていた。
『情の強い女』
 その言葉があかねの脳裏に焼きついている。






 友雅が嫌う女にはなりたくなかった。
 身勝手な我儘で、友雅をうんざりとさせたくなかった。
 大好きだから、嫌われたくないから、あかねは自分の醜い感情を隠してしまう……。
 





 自分を守る為に、恋のスキャンダルを撒く友雅。
 仕事だから。信じて欲しい。
 友雅の言葉を疑っているわけではない。
 それでも、あかねは友雅の側で笑う少女に嫉妬した。
 世間の目を気にする事無く、友雅を見つめられるナオを憎いと思った。






 嫉妬……。







 このやり場のない気持ちがそうなのだろうか?
 愛しさと怒りと悲しみと憎しみが入り混じった、不可解な感情。
 今にも叫びだしてしまいそうな気持ち。






 あかねは冷たい風に吹かれながら、手に持った携帯をじっと見つめた。
 鳴らなければ不安になる。
 でも鳴っても出ることは出来ない。
 そして出ないまま切れるたび、友雅が怒っていないか、愛想を尽かしていないか、回を重ねるごとに恐ろしくなる。






 だから、あかねは通話ボタンを押すことができない……。






 自分の感情を友雅に知られたくないから。愛想を尽かした友雅の冷たい声を聞きたくないから……。






「どうしてこんなに好きになっちゃったんだろう………。好きすぎて苦しいよ……、友雅さん……」






 いつ友雅がメッセージを入れなくなるのか、いつ携帯が鳴らなくなるのか、見えない不安に怯えながら、あかねは出ることが出来ない電話を待っている。











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