友雅は、深い溜息を吐きながら携帯を閉じた。



 繋がらないあかねへの電話。鳴らないあかねからのコール。
 友雅が逢えないと告げたあの日から、あかねの声を聴いていない。



 電話の向こうで、溢れる涙を懸命に堪えていた少女。
 出来ることなら、この腕に抱きしめて涙を拭いたかった。
 でもそれは出来なくて……。
 心優しい彼女もわかってくれていると思った。納得してくれていると……。
 けれどあの日を境に、あかねは沈黙してしまった。
 まるで友雅との関係を断ち切ってしまうかのように……。




 彼女の心がわからない。




 それは友雅にとって、初めての経験だった。
 これまでは手に取るように分かる女の気持ちを、自分の思うまま転がしてきたのに……。
 少しでも自分に気持ちが傾いている女に興を惹かれれば、ちょっと煽って簡単に手に入れた。
 そして後腐れなく別れを繰り返して……。
 すべて女の気持ちがわかったから、そこを上手くついて楽しんできた。




 けれど……。




 まだ少女の域を出ないあかねの気持ちが分からない。




 簡単に恋愛スキャンダルをでっち上げられる友雅を汚らわしく思ったのだろうか。
 それとも自由に逢えないことに怒って、友雅を見限ろうとしているのだろうか。
 そして身近で自由な恋を選ぼうとしているのだろうか……。
 




 逢って彼女を問い詰めたい。
 だがそれは彼女を思うなら、今は決してしてはならないこと……。





「……らしくない」
 小さく呟いて、友雅は携帯を苛立たしげに握り締めた。





 コンコン……
 ノックの音に続き、スタッフが扉を開けて顔を覗かせた。
「そろそろ撮影が始まりますので、スタンバイお願いします」
「……あぁ」
 友雅は携帯を置いて立ち上がった。
 そして廊下へ出ると、同じく控え室から出てきた今回のキャンペーンの相手役ナオと出くわした。
 彼女は白いガウン姿で撮影が行われるスタジオへ向かっていた。
 今回友雅が契約してキャンペーンは春から夏へ向けてのエステのもの。
 その一環としてのCM撮影。
 セミヌードを披露するナオは、肌に付いた下着の跡を消す為、一時間以上前からすべての服を脱いでガウン一枚で過ごしていた。





「あ、友雅さん!」
 友雅の姿を見つけたナオが、嬉しそうに駆け寄って友雅の腕にスルリと腕を絡めてくる。
 密着した腕に、柔らかな胸の膨らみが押し付けられる。
 わざととしか思えないナオの誘惑に、友雅の目が微かに眇められる。
 男ならば無条件に心地よく思うその感触。
 甘えを含んだ声で、はしゃぎながら一方的に話しかけてくるナオ。
 だがあかねと違うその柔らかさに、友雅は面倒くさそうに小さく息を吐いた。
 そんな二人の様子を、近くを通る事情を知らないスタッフが、見ない振りをしながらも聞き耳を立てているのが分かる。
 ここ最近ナオの態度が必要以上に馴れ馴れしく、友雅にはうっとうしくて仕方が無い。
 あかねのことがあり、機会があれば友雅に近づこうとするナオの態度には、ますます苛立たしさがつのる。
 しかし今だ契約した仕事をこなしている友雅は、ナオに向かって表面上は穏やかに、だが目だけは冷たく笑ってみせた。
「まだ絡みには早いようだよ…」
 低く響きのいい声は、とても落ち着いていて、はしゃいでいたナオも一瞬口を噤む。
 その隙に友雅はナオから腕をスルリと抜いて、あっさり彼女に対して背を向けるとスタジオへと歩いていった。
 ステージを歩くように、見事な足取り。
 彼の意識には、すでにナオの存在はない。





 
 誰もが見惚れる、友雅の後姿。
 ただ歩くだけで周りの視線を集めてしまう魅力を持つ男、友雅。
 そしてその視線をすべて切り捨てることも許されている極上の男。



 ナオはしつこいほど言われたマネージャーの言葉を思い出し、クスリと笑った。
「仕事ねぇ……。でも、あれだけのいい男、欲しくなっても当然じゃない?」
 ナオの目は、まっすぐに友雅に向けられる。
 それはまさしく獲物を狙う女の目だった。





 スタジオの中は、テスト撮りにむけて最終チェック中だった。
 現れた友雅にスタイリストが寄ってくる。
 すでにメイクは済ませていたが、少し乱れた髪や衣装を整える為、手を伸ばしてきた。
 友雅の衣装は、白いシャツと黒のスラックスというシンプルなものだ。
 しかしシャツの前ボタンはほとんど留められておらず、引き締まった逞しい体が覗いている。
 今回撮影するシーンは恋人同士の甘くちょっとだけ艶めいた触れ合い。
 その『恋人役』でもあるナオは、少し離れたところでプロデューサーと話していた。




 
「恋人同士の触れ合い……ね」
 ひっそりと友雅が呟く。
 本当の恋人であるあかねとは、連絡さえ取れない状況なのに皮肉なものである。
 いつもなら一度仕事を受ければ、どんなに面倒でもきっちりとこなす友雅だったが、今回はどうしても気乗りがしない。
 周りをうろつくマスコミ、仕事のラインを越えはじめたナオの態度、そしてなにより、見えないあかねの心……。
 何もかもが煩わしい。
 それでも自分が選んだ仕事はこなさなければならない。





 用意の出来たセットから、友雅とナオへ声がかかる。
 友雅は一つ深い息を吐くと、まっすぐに光の中心へ歩いていった。











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