『味わいたい素肌』






 キャンペーンのコンセプトはエステで美しい素肌と体を手に入れようというもの。
 ナオも友雅もイメージモデルと決まってから、幾度かエステには通っている。
 そして、エステサロンが総力をあげて常よりも見事に磨き上げた体を、惜しげもなく日本中に見せ付けるのだ。
 誰もが目を奪われるスタイルと輝きで……。






「ご機嫌はいかがですか?先輩」
 控え室のドアを開けたとたん聞こえてきた声に、友雅が嫌そうに舌打ちをした。
「何故お前がここにいる。慎?」
 控え室の中、悠然と足を組んで椅子に座っていたのは、現在友雅にとって一番目障りな人物、元宮慎だった。





「鷹通さんに聞いたら、ここだと教えてくれてね。ちょうど知り合いもいたし、潜り込ませてもらいましたよ。……なかなか派手な噂になってますね『ナオ』と」
「……イヤミを言いにきたのかい?生憎とお前の相手をする気分ではないのだよ」
 友雅は苛立たしげに、素肌の肩に掛けていただけのシャツをバサリと椅子の背もたれに投げつける。
 慎は机に頬杖をつくと、すっと笑みを消した。
「あとどのくらいかけるつもりですか?」
「なるほど、お目付け役の視察というわけかい?」
「どうとでも…。ただひとつ、あんたにもう一度言っておきたいことがあってね」
「…何かな?」
 慎は厳しい眼差しで友雅を見据える。
 まるで友雅の心を探るように、強い強い光で。
「本当は最初からあんたとあかねが付き合うことは反対だったんだ」
「……知っていたよ」
 あかねは慎を唯一の理解者というが、本当は違うことを友雅は気付いていた。
 慎は今でも、誰よりも友雅とのことを反対しているのだ。
 だが……



「俺はね、あかねが可愛い。年の離れたたった一人の妹だからなおさらね。正直、俺はあかねが幸せで笑っていてくれればいいんだ。あかねが先輩を見限るならそれでもいい」
「……」
「あかねはあの日から一切先輩の話をしなくなった。家で携帯が鳴っても取る気配さえない。あれ、先輩が鳴らしているんだろう?毎晩……」
「……どうして、私だと?」
「わかりますよ。あかねが取らない着メロはたった一つ。あいつが大好きだったドラマの主題歌だからね」
「そう……」
「俺には複雑な女心はわからないよ……。自分から電話に出ないくせに、音が消えると泣きそうな顔で携帯を握り締める。電話に出れば先輩の話術でどうとでも丸め込まれて安心するだろうに……」
「慎?口が過ぎないかい?」
 穏やかな口調だが、目は笑っていない。
 だが慎はかまわず続けた。
「先輩の口が上手いのは本当のことだろう?まったく、可愛い我が妹ながら、俺にはマゾにしかみえないね。悲劇のヒロインを気取ってるつもりかな?」
「慎」
 咎めるように鋭く名を呼ばれ、慎は軽く肩をすくめてみせた。
「どんなにナオとの映像や写真が出ても、先輩が本気でないことは目を見れば分かる。でもあかねにはわからないらしい。先輩のいままでの奔放な行動のせいだろうけど…」
「……慎?お前はわざわざ嫌味を言いに来たのかい?私は次の撮影の為にゆっくりしたいのだがねぇ」
 友雅は気だるげに言い放ち、ドサリと椅子に体を投げ出した。
 その、他人を拒絶するオーラにも、付き合いの長い慎には効果はない。
 慎は、フッと皮肉げな笑みを浮かべた。
「俺が何故ここへ来たのかわかりませんか?俺は先輩に言いに来たんですよ。とっととケリをつけろってね」
 友雅はその言葉に、苦く笑う。
「…もう少しかかるな」
 エステのキャンペーン発表はもう少し先だ。
 それまではまだナオとの噂を調整していかなければならない。
 だが慎は間髪入れず首を振った。
「待てませんよ。思春期の女の子は何を考えるかわからない。さっきも言ったように、悲劇のヒロインを気取って、自分の望まない結末を選んで、いつまでも悲しみ泣く。いくら先輩との付き合いを反対していても、そんなあかねを見るのはまっぴらだ」
「だったらお前があかねに言えばよいだろう?お前の言うことは無条件に信じる子だからね」
「それはごめんです。俺は今回の件で、あかねに何も言うつもりはない」




 きっぱりと断言した慎に、友雅は深く息をこぼす。
「矛盾しているねぇ。私にはさっさとケリをつけて、あかねを迎えに行けと言いながら、あかねを慰めることさえしないのかい?」
「しませんよ。だいたいあかねは甘えてる。自分と先輩の世界の差を本当は分かっていない。だから身を持って知らなければならないんだ。自分がただの高校生だということ。それとは正反対の位置にいる、自分が付き合ってる男の立場と環境をね」
 慎の言う正論に、友雅は軽く驚き眉を上げた。
 年が離れているせいで、あかねに対して過保護すぎる慎の。意外な一面を見た気がした。
「手厳しいね」
「それがあかねの為です。別れるつもりがないのなら、もう少し慎重にならなければいけない。口では色々言いながらも、あかねは自覚が足りない。今回の騒動もそれが原因なんだから」
「それだけが原因ではないのだが……。私の不注意もあった」
「無論、あなたも悪いと分かっているさ。けれどこれから先の事を考えると、この辺で一度きっちりあかねに分からせておく必要があったんです。この騒動は丁度いい機会だった。……どうせ、先輩は薄々分かっていたんでしょう?俺が『逢うな』と言った時、とても冷静でしたから。もっとも先輩がその程度で慌てるとも思いませんが…」
 慎の最後の言葉に、友雅が微かに口の端を上げる。そう、慎の言葉を肯定するように……。
「何かを考えているとは思ったよ。あかねに甘いお前が、あかねの言い分を一切聞かないのはおかしかったからね。」
「一番あかねに甘い先輩にだけは言われたくないですね。でも、あかねが悩んでる姿を見るのは、正直辛い。だから不本意だけど、先輩に頼るしかない」
「付き合うのが反対だったら、このまま放っておけばあかねが自滅しそうだけれど?」
 自分の恋人の事を、まるで他人事のように言う友雅に、慎は苦い顔で微かに首を振った。
「言っただろ?俺はあかねが可愛い。笑っていて欲しい。だからあかねが先輩との付き合いを不本意な形で終わらせた後、いつまでも先輩への恋心を引きずって悲しむのを見たくないんだ。もちろん、あかねが先輩をきっぱりすっきり見限れば万々歳なんだけどな……」
「それはない」
 間髪入れず答えた友雅を、慎は小さく舌打ちして憎々しげに睨みつけた。
「まったく、その自信はどこからくるんだか……。今、情緒不安定なあかねが、もしかしたら優しい年の近い彼氏を選ぶ可能性だってあるんだけど?」
「……慎?誰に向かってそんな口をきいているのかい?」
 静かな声だが、奇妙な威圧感が慎を襲う。
 友雅の滅多にない本気が入り混じった瞳に、慎は呆れたように肩を竦めた。
「はいはい、先輩の言うとおりです。今、あかねは先輩に惚れまくってますよ。……だから早くこの騒動を終わらせてください」
「キャンペーン発表の後、きっちりナオとの噂を消す」
 当初の予定に反して、ナオの暴走が慎の予想より噂を大きくしてしまっている。それがきっと一層あかねの不安を煽っているのだと思う。
 だが、友雅がそういうならきっと見事に噂を吹き消してしまうのだろう。
 友雅が断言した以上、慎に言うべきことはない。
 慎は座っていた椅子を鳴らして立ち上がった。
「……頼みましたよ。でも、あかねがその間、我慢できなくて先輩と別れると言い出しても、俺は一切口を出しませんから」
「わかっているよ」
「じゃあ」
 慎は、自分の用件が終わるとさっさと控え室から姿を消した。





 友雅は慎を見送った後、小さく舌打ちをして側にあった煙草を引き寄せた。
 全体がブラウンの紙で巻かれた細身の長い煙草を唇に挟み、右手に持ったライターを左手で空調の風を避けながら火を点ける。
 深く息を吸い込むと、煙草の苦味が体に染み渡っていくようだった。
 この騒動が始まって久々に国内で吸うようになった煙草は、以前より格段に本数が増えている。友雅の苛立ちとともに……。
 友雅は椅子の背もたれに、背を預け腕を組んで天井を見上げた。
 煙草の先から、ゆったりと紫煙が立ち昇る。
「あかねの限界とどちらが先かな……」
 微かな呟きは、そっと部屋の空気に溶けて消えた。












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