「放してっ!!」




 身体を捩って逃げようとする、予想以上に強いあかねの抵抗に友雅が小さく舌打ちをした。
 甘い言葉で宥める事が出来ないと悟った友雅は、暴れて顔を背けるあかねの頤を乱暴に掴んで仰向かせると、友雅を拒む言葉を紡ぐ唇を奪った。




「う…っ、んっ…」
 いつもなら従順にキスを受けるあかねだったが、今夜は懸命に友雅を押し返してその腕から逃れようとする。
 ここまでの強い抵抗は、初めてあかねを抱いた時にもなかったものだ。
 友雅はあかねの様子に内心戸惑いながらも、彼女の力を奪う為ゆっくりと口腔内を犯していった。
 並びのよい歯列を割り、あかねを拘束した強い力とはうらはらに上顎を舌先で優しく擽れば、素直なあかねの身体が微かに震える。





 
 本気で友雅から逃れたければ、今この瞬間に友雅の舌を噛み切ればいいものを……。
 しかし以前告白したように、あかねは自分が傷つくよりも友雅が傷つく事を恐れていた。
 それほどまで、あかねは友雅に捕らわれている……。






 やがて……。



 呼吸もままならない手加減無しの激しいキスに力を奪われてしまったあかねが、毛布に包まって流した涙とは違う涙を零しながら、息も絶え絶えに友雅の胸に倒れ込んだ。





 
「あかね…」
 力の抜けたあかねの身体をしっかりと抱き寄せた友雅が、鼻先でさらりとした髪を掻き分けて柔らかな耳朶を唇に挟む。
 それを軽く噛みながら彼女の名を囁けば、それだけであかねはいつも熱い吐息をもらした。
 




 しかし……。





「触らないで……」



 吐息と共に零れ落ちたのは友雅を拒絶する言葉。
 友雅がピタリと動きを止めた。
「他の女の香りをさせて、私に触らないで!」





「香り?」
 友雅の眉宇が寄せられる。
 あかねが何を言っているのか分からないふりをする友雅に、あかねの怒りが爆発する。
「私が気付かないと思ったの?馬鹿にしないで!!」
 激情のあまり振り上げられた手。
 しかしそれが友雅に向って振り下ろされる事はなかった。
「きゃあ!!」
 ぐるりと視界が回ったと思った次の瞬間には、あかねの背がベッドに押さえつけられてた。
「離して!!」
「嫌だね」
「お兄ちゃん!!」
「名前を呼びなさいと何度言えば分かるのだろうね……、あかね?」
 友雅は今までと打って変わって、クスクスと上機嫌に笑いながらあかねの首筋に顔を埋めた。
「嫌!触らないで!!」
 あかねの身体に散る友雅の長い髪から、甘い香りが漂ってくるようだ。
 幻の香りがむせ返るほど、あかねには感じられる。
 ほろりとあかねの瞳から涙が零れ落ちた。






 友雅はあかねの首筋からゆっくりと伸び上がるようにして、顎へ頬へそしてこめかみ、瞼にキスの雨を優しく降らせた。
「あかね……」
「い…や…」
「私を拒むその声さえも、甘い睦言のようだよ、あかね……」
「……え…?」
 歌うように蕩けるほど甘い甘い声音。
 あまりにもうれしそうなそれに、あかねは驚いて少しだけ瞳を見開いた。
 友雅が口の端にうっすらと笑みを刻む。
 あかねの視線を釘付けにする美しい笑みを……。






「嫉妬、してくれたのだろう?」
「ちがっ…!」
 友雅の指摘を、あかねが咄嗟に否定しようとする。
 だが友雅は、それを遮るように言葉を紡いだ。
「ほんの少しの移り香にさえ嫉妬してしまうほど、私を好きでいてくれるのだね…」
「やっ!」
 ギュッと抱きしめられ、あかねが腕の中でもがく。
 それでも友雅は笑いながら、あかねを愛しげにしっかりと懐に抱き込んでいた。
「誤解だよ、あかね。あの香りは方向が一緒だからと無理矢理私に押し付けられた、酔いつぶれた女性のものなのだよ」
「……嘘」
「本当だよ。すでに一人では歩けない状態だったからね、肩を貸した。それでその女性の香水の香りが私にうつったのだろうね」
「……」
「それから、酔いつぶれた彼女の友達も一緒だったんだよ?今夜は心配だから彼女の部屋に泊まると言ってね……。
あかねが嫉妬することなど、何もなかったよ?」
 友雅はまるで幼子に言い聞かせるように、ゆっくりと優しくあかねに事実を語る。
 けれど、あかねはそれを素直に受け取る事が出来なかった。
「………嫉妬なんてしてない」
 抱きしめられたあかねが、最後まで小さな抵抗を見せる。
 その強情ささえも愛しい…。




「本当に?」
「嫉妬なんかじゃない!その甘ったるい香りが嫌だったのよ!!」
 そのセリフに友雅がニヤリと笑う。
「嫌なの?」
「嫌っ!絶対に嫌!」
「そう……」
 友雅はひとつ頷くと、抱きしめたあかねのすらりと伸びた太腿をゆっくり指先で撫で上げた。
「お兄ちゃん!?」
 あかねが声を上げる。
 だが友雅は喉の奥で笑いながら、あかねの首筋にキスを落とし言った。
「そんなに嫌ならば、他の香りで消してしまえばいいのだよ?
そう、……あかね自身の香りでね」
「やっ……、ん…ん、っ!」
「可愛い嫉妬はうれしいけれど、私を疑うのは許せないね……」
「お、兄ちゃん……」
「名を、呼んで?」
 服の裾から進入した不埒な手が、あかねの柔らかな胸を包み込んだ。
「お兄…ちゃ…」
 息を乱しながらも、友雅に逆らおうとするあかねの身体を押さえつけながら、友雅が冷たい苦笑を浮かべた。
「言う事をきくように、少しお仕置きが必要かな?」
「やっ…!」
 耳に直に流し込まれた淫らな言葉と、熱い吐息。
 それだけで、あかねの身体は友雅の与えてくれる熱い時間を思い出し、無意識の期待と恐れに身を震わせた。






 部屋に満ちる荒い息遣いと肌の触れ合う淫靡な音。
「やっ……。やめ…」
 あかねの唇から、身体の奥をまさぐる指の強さに許しを請う声が零れる。
 白く細い足先がシーツを蹴って、伸び上がるように逃げをうつ。
「だめだよ、あかね……。逃がさない…」
「ああっ!」
 力強い友雅の腕に捕らわれ、あかねが悲鳴を上げて身悶えた。
 きつく閉じたあかねの目尻から、涙が一筋こぼれ落ちた。





 嫉妬なんかじゃない……。
 私が抱く想いは、あなたが考えている嫉妬のような可愛いものじゃない。





 あなたに対する私の想い、それは恐怖。
 少しでも私以外にあなたの興味が向いた瞬間から、私は再び捨てられるかもしれないという恐れを抱くから……。





 あなたを愛している。
 誰よりも、私自身の命よりも愛してる。
 だからこそ、怖い。
 いつもいつも、怖ろしくて不安でたまらない……。





 一度捨てられた心の傷が、今でも血を流している。




「んっ!ああ……」
 友雅を受け入れる瞬間の圧迫感に、あかねが喉を反らして喘ぐ。
「あ、かね…」」
 乱れた息で友雅があかねを呼ぶ。
 あかねは涙で潤んだ瞳を友雅に向け、そっと唇に淡い笑みを浮かべた。





 抱きしめられて、求められて、それが激しければ激しいほど、その一瞬だけ私は安堵の吐息を洩らす。
 




 まだ、捨てられないのだと……。
 





 あかねが目覚めたのは、まだ太陽が昇る少し前。
 藍色の薄い闇に部屋が包まれている頃だった。
 あかねは深く息をつくと、少し重たい瞼を何度か瞬きさせた。
 目の前にあるのは、溜息がでるほど端正な男の寝顔。
 意識を奪うほど、激しくあかねを翻弄した男の激情はなりを潜め、穏やかな寝顔で静かに呼吸を繰り返していた。
 身体を起こそうと身動ぎしたあかねは、友雅が自分に腕を回して抱きしめるように眠っているのに気付いて動きを止めた。
 あかねの動きに敏い友雅は、きっとすぐに起きてしまうだろうから。





 
 あかねは間近で友雅の寝顔を見つめながら、うっすら苦い笑みを浮かべた。
 そして友雅の長い髪を一房指に絡め、口元に引き寄せた。
 その髪からはもう、甘い香りはしない。





 代わりにあかねが好んで使うボディミルクの微かな香りがした。
 友雅の言ったとおり、あかねの香りであの嫌な匂いは消えていた。





 酒が残っているせいだろうか?
 いつもならあかねが起きた気配を感じれば、すぐに目覚める彼らしくない深い眠り……。
 そんな友雅を飽かずに見つめ続けながら、あかねはそっと唇の動きだけで彼を呼んだ。





(友雅さん……)





 それは吐息さえ漏れない、決して友雅に届く事の無い、形だけの甘く切ない囁き……。





 友雅が欲するあかねの唇から紡がれる彼自身の名。
 そしてそれは、あかねが発することのない声でもあった。
 




 友雅の執着が消えないように。
 彼が欲しがるものをすべて与える愚はおかさない。
 




 いつまでも友雅の興味が自分に向いているように……。
 





 愛してる、なんて言葉だけで繋ぎ止められるなんて思っていないから……。





「好きすぎて、怖いの……」





 恋が実れば幸せだなんて嘘。
 求めた恋を手に入れた瞬間から、あかねは常に怯えている。
 それでも友雅を諦めるなんて出来ない。





 だから、不安に満ちた心を隠してあかねは笑う。
 友雅に愛してもらうために……。





 そして友雅の名を封印する。
 友雅に捨てられない為に……。












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