あかねは友雅を慕って、逆らうことの無い素直な少女だった。
 子供の頃はやんちゃだったようだけれど、友雅の前ではいつでも物静かな姫だった。
 





 けれど今。





 主上の意向を伝えた友雅に、あかねは涙を湛え逆らってきた。
 今まで友雅が見たことの無い必死な眼差しと、聞いたことの無い感情的な声で。
 あかねは友雅に、ひいてはこの国の絶対的な存在である主上に逆らった。






 今までは見せたことのない強い眼差しで、友雅を睨みながらあかねは心の中で泣いていた。
 どんなに嫌がろうと、この話を拒むことなど出来ないと知っていたから。
 最終的には頷くしかない。
 あかねの気持ちなど、関係ない。
 主上の言葉は絶対なのだ。






 そんなことは知っている。






 それに……。
 もしあかねがこの話を嫌がり俗世を捨てれば、庇護者である友雅の立場が宮中で危うくなるのは、邸に閉じこもりっきりのあかねも十分分かっていた。
 だからこそ、断れない。
 断れるはずが無い。






 大切な友雅の為に……。
 本当は自分の想いを隠して、素直に頷くのが一番いい。







 素直に表面上でも喜んで見せれば、友雅も安心して喜んでくれるだろう。






 でも……。







 この心の奥底の秘めた恋心が、それをよしとしない。
 想いを寄せる人に、他の男の許へ行けと言われて、どうして素直に頷けよう?
 あかねは少しでも、自分の気持ちを友雅に知ってほしかった。
 その想いを一生伝えられないとしても……。






 入内は自分の意思ではないと、友雅にだけは分かってほしかった。
 







 友雅はあかねの強い拒絶の意思を秘めた瞳を見つめ返し、ひとつ息を吐いた。
「……少し頭を冷やす必要があるようだね?」
 そう言いながら、友雅は心の中で自嘲した。
 頭を冷やさなければならないのは、本当は自分かもしれない。
 主上の命にもあかねの拒絶にも、うまく対応出来ていない自分がもどかしい。
 この胸の奥に何かが痞えたような不可解な気持ちはなんなのだろう…。
 友雅はそう思いつつ厳しい顔で、あかねの前から立ち上がった。






「兄様!!」
「主上の思し召しなのだよ……。よく考えなさい」
 友雅は冷たく言い置いてあかねに背を向け、足早に部屋を出て行った。
「兄様!」
 姫らしくない大きな声で呼び止めても、友雅は振り返ることもしなかった。
 あかねは眉を寄せて、まだ話は終わってないと立ち上がる。
 そして美しい色目の袿の裾をはらって、友雅を追いかけた。






 部屋から出ると、友雅の頬を冷たい風が撫でていった。
 いつの間にか、灰色の空から雪が降り始めたらしい。
 友雅は、空を見上げて深々と息を吐いた。
「何度、兄様が言われても、私の気持ちは変わりません!入内などいたしません!」
 背中から投げつけられた激昂したあかねの声。
 友雅は心の乱れを隠すように、ゆっくりと瞳を閉じ、そして振り返った。
 目に映ったのは、必死に友雅を追いかけて部屋を飛び出してきたあかねだった。
 無防備に濡縁にまで出てきたあかねを見て、友雅は不愉快そうに眉を顰めた。
「兄様!」
 あかねは必死に訴えかけながら、友雅の腕に縋りついて冷たいほど整った感情を掴ませない男の顔を見上げた。
 友雅は自分に縋るあかねを冷たく見返した。
 いくら感情的になったとはいえ、姫君らしくないあかねの無防備さが、今の友雅には腹立たしい。
 そして必死なあかねの言葉と姿に、どうしてこんなにも気持ちが荒れるのか……。






 自分がわからない…。






「白雪……」
 自分の袂に縋りつくあかねを見下ろし、友雅が苛立たしげに名を呼んで諌めようとした。
 しかしその必死さゆえに、あかねの力は強く……。
「兄様。…お願いです。今一度、お考え直し下さい」
「白雪こそ、冷静になりなさい。…主上の思し召しなのだよ?」
「それでもっ!……兄様は主上の信頼が厚いとお聞きしました。どうか…、どうか…」
 友雅があかねの腕を解こうとしても、友雅に逃げられまいとあかねは渾身の力でしがみついている。
 美しく長い髪が冷たい風に煽られ乱れるのもかまわず、あかねはただ必死に友雅に懇願した。
 誰に姿を見られるとも分からない状況に、友雅が不愉快を顕わにした。
「奥に戻りなさい、白雪。……はしたない」
「はしたなくてけっこうです。だから兄様!」
「白雪、放しなさい」
「兄様!」
「白雪!」
 静かだが初めて友雅はあかねを厳しく咎めた。
 あかねがびくりと身体を震わせた瞬間、その手の力が僅かに抜けた。
 その一瞬を逃さず、友雅はあかねの手に掴まれた袂をすっと抜こうとしたのだが…。
「きゃ…」
 友雅の腕にすがっていた身体が腕を引かれたことで支えを無くし、あかねの身体は雪で濡れ始めた濡縁に足を取られてぐらりと揺れた。
「白雪!?」
 咄嗟に伸ばした友雅の手は、あかねの細い指先を掠めただけだった。
 あかねの美しい髪が空に舞い上がる。
 一瞬のことなのに、友雅の目にそれはゆっくりと時の流れが遅くなったように感じられた。







 階にあかねの身体が落ちた音が大きく響く。
 その音が、友雅の意識を現実に引き戻す。
「白雪っ!」
 階に広がる美しい色彩の衣の中で、静かに目を閉じている少女。
 まるで神に捧げられた美しい贄のようで……。
 






「殿?今の音は……!?姫様!?」
「遠乃…」
 大きな物音を聞き、何事かと駆けつけてきた遠乃は、一瞬にして状況を把握したらしい。
 突然の出来事で呆然としている友雅を、遠乃は厳しく叱りつけた。
「殿!しっかりなさいませ!…すぐに薬師を呼びます。殿は姫様を中へ」
「ああ…」
 あかねが落ちた音と遠乃の声を聞きつけた女房達が集まってくる。
 そしておおまかな状況を把握した遠乃が、その女房達に的確な指示を出していった。
 友雅は階に仰向けに倒れて意識を失ったあかねに、そっと手を伸ばした。







「……白雪」
 舞い始めたばかりの雪が、あかねの豊かな黒髪を白く飾りたてていく。
 友雅の震える指先が、白く透き通るような肌に触れた。
 冷たい風に晒されたあかねの頬は、冷え切っていて……。
 友雅は衝動的にあかねの華奢な身体を、その胸にかき抱いていた。












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