バサバサバサー!!

 大きな音と大量の緑の葉ごと、それは空から降ってきた。

 一人、ままごと遊びをしていたあかねは、可愛らしい仕草で首をかしげ、晴れ渡った空とそれを交互に見比べた。
 あかねの視線の先で、『それ』は木に寄りかかったままピクリとも動かない。
 パチパチとあかねの大きな瞳が瞬きを繰り返す。
 森の中とはいえ、そう奥ではない。
 『それ』がいるなんて不自然きわまりないのだが、幼いあかねの目の前にいるのは祖母に聞いていた姿、そのままの人・・・・。
 深い緑にも見える艶やかに波打つ黒髪、美しく整った美貌、そして背中には大きな漆黒の翼。
 ・・・・・人が魔族と呼び、忌み嫌う者。
 けれどあかねは祖母から教えてもらった。魔族は決して怖い者ではないのだと。
 人があがめる精霊と魔族は同じもの。それを区別するのは勝手に人がやっていることなのだ。
 祖母は言う。
『人より魔族の方がずっと純粋なのだ』、と。
 だからあかねは少しの戸惑いも見せず、トコトコと『それ』の側に寄りちょこんとしゃがみこんだ。

 人の気配に気付いたのか、魔族がゆっくりと目蓋を上げた。
 あかねの姿を認め、魔族の眼差しが鋭さを増す。
 しかし物怖じしないあかねは、にっこりと笑った。
「こんにちは、綺麗な魔族さん」
 予想外のあかねの反応に魔族は何も言わず、ただ切れ長の瞳で訝しげにあかねを見つめるだけだ。
 あかねはかまわず話しかける。
「どうしてこんな所に落ちてきたの?魔族さんはあまり人の住んでいる所には来ないって聞いていたのに」
 あかねは不思議そうに小首を傾げる。
 魔族はまっすぐに恐れの欠片も見せず、自分と視線を合わせる少女に興味を覚えたのか、その唇を開いた。
「お前は、私が怖くないのかい?」
 変に掠れた声。
 あかねは首を縦に振った。
「だって、おばあちゃんが教えてくれたよ。魔族は怖くないって。精霊と同じなんだよって。だからあなたも精霊でしょ?」 
 あかねの邪気のない答えに魔族の目が見開かれる。
 そして声を発しようとして咳き込んだ魔族に、あかねはうんしょっと声を掛けて水筒を首から外した。
「のど、渇いてない?お水ならあるよ?」
 小さな手が魔族の前に水筒を置く。
 声が掠れているのと咳き込んだのは、喉の渇きの所為だと思ったらしい。 
 魔族は、その秀麗な面に苦笑を浮かべた。
「ねぇ・・・・、あなたは男の人・・・・だよ、ね?」
 掠れているとはいえ声は低く、男だと思う。
 けれどあかねの周りには、女性でもここまで美しい人はいなかった。
「女に生まれた覚えはないねぇ・・・・」
「そんなに綺麗なのに?・・・いいな〜」
 魔族の目元が微かに和む。
「おかしな子供だな」
「子供じゃないよ、あかねっていうの。・・・・お兄さんは?あ、聞いてもいいのかな?」
 無邪気なあかねの瞳が、魔族の気難しさを少しずつ壊していく。
「・・・・・・・友雅と呼ばれている」
「素敵な名前ね。ねえ、友雅さんはどうしてこんな所に来たの?」
「・・・・何故かな?」
「魔界って世界の果てにあるって聞いたよ?ずっと飛んできたの」
「魔界はすぐそばにある。人が入れないだけ」
「ふ〜ん・・・・」
 幼い少女と美しい魔族。
 木漏れ日の降り注ぐなか、そこだけ空気が違っていた。

「大きな翼だね。あかねの背よりもあるよ。・・・触ってもいい?」
 そっと翼に伸ばした手が、軽く友雅に止められる。
 触れた友雅の肌はひやりと冷たかった。
「残念だが、今はダメだよ」
「何で?後ならいい?」
 子供らしい切り返しに、思わず口元に笑みがかすめた。
「翼を痛めている」
「え?」
 まじまじと漆黒の翼を見ると、しっとりとした艶の羽の間から水色の液体が流れ落ち地面にすいこまれていた。
「これ・・・・血・・・なの?」
「我ら魔族の血は赤くない・・・・。どうした、怖くなったか?」
 大きな目をこぼれ落ちんばかりに見開き、絶句した少女に楽しげに友雅が語りかける。
 いくら物怖じしない子供とはいえ、自分達と異質なモノを目にすれば恐怖に慄くだろう。
 だが、その予想は見事に裏切られた。
 少女はフルフルを首を振り、くるっと背を向けて駆け出していった。
「ちょっと待てって!」 
 そういい残して・・・・

 友雅は深く息をついた。
 ・・・・人を呼びに行ったのかもしれない。
 あかねの話を聞き、やってくるのが普通の村人ならば幻影を見せてやりすごせるだろうが、ハンターならば・・・・
 この翼の傷のハンターによってつけられたものだ。
 無論、そんな奴は返り討ちにしてやったけれど。
 この場からすぐに去った方がいいのだが、如何せん動くことが出来ない。
 魔族用の呪がかけられた矢で射られた傷は、思った以上に友雅の生気を奪っていく。
 しかもこの明るい陽光の下では、ますます力が使いにくいのだった。
 魔界への扉も、生半可な力では開けない。
 そのうえ、強烈な喉の渇きが友雅を苦しめていた。

「友雅さん、まだいる?」
 可愛らしい声とともに、再び姿を表した少女は、予想に反し一人だった。
 手に幾つかの葉を持っている。
 走って戻ってきたのだろう。少女は息を弾ませ駆け寄り友雅の前に座った。
 そして持っていた葉に、水筒の水を惜しげもなくかけた。
「あのね、これ血止めの薬草なの。でも、魔族の友雅さんに効くのかなぁ?」
 小さな手が一生懸命、葉を揉む。
「友雅さん、翼に触るね」
 あかねは小さな背を伸ばして友雅の羽を掻き分け、しんなりとした薬草を傷口に貼り付けていく。
 かすかに友雅の翼が揺れる。
「ごめん、痛かった?」
「・・・・いや」
 痛いのではない。
 小さな少女の中に流れる甘い血潮の香りに酔ってしまいそうなのだ。
 あかねが身動きするたびに甘美な香りが友雅に纏わりつく。
 ますます激しい喉の渇きに、友雅が拳を握り締めた。

 人は知らないが、基本的に魔族は人を襲わない。
 魔族が人に危害を加えるのは、人が攻撃してくるからだ。
 いわゆる正当防衛である。
 人は自分達以外のものを認めようとはしない。
 自分たちより力の強いものを恐れ、排除しようとする。
 だから魔族イコール人の敵という図式が出来上がったのだ。

「血、止まるかなぁ・・・」
 手当てを終えて、眉をひそめながら心配そうにつぶやくあかね。
 友雅はちらりと薬草の貼られた翼を見た。
 この小さな少女はなんと不思議なのだろう。
 いくら祖母から話を聞いたとはいえ、ここまで魔族に対して無防備になれるものだろうか?
 今すぐ理性を失った友雅が襲い掛かるとは考えないのか? 
 実際友雅はあまり余裕が無かった。
 これ以上、あかねが側にいては何をしてしまうかわからない。
 しかしあかねは、友雅の切羽詰った状態も知らずに無邪気に笑いかけてきた。
「友雅さん、私、魔族は人には使えない力を持ってるって聞いたよ。なのに、自分の傷は治せないの?」
 この質問には苦笑せざるを得なかった。
 ハンターとの戦いで負った傷のせいで、力を十分に発揮できないのだ。
「・・・・魔族は全能ではない。もっともこんな情けない姿をさらしたのは私だけだろうが・・・・」
「情けなくなんかないよ!あかねは怪我したら泣くもん!友雅さんは平気な顔してる。すごいね。・・・・・でも、早く帰った方がいいよ。夕方になったら人が通るかもしれない」
「そうだね・・・・・」
「・・・もしかして動けないの?」
 友雅はただ目を閉じた。
 しかしその瞳がすっと開き、訝しげにあかねを見下ろした。
 友雅の冷たい手に重ねられた、あかねの小さな手。
 あかねは友雅ににっこりと笑って言った。
「あかねの元気、少しあげるよ?」
 その言葉に友雅が瞠目する。
 あかねはしっかりと友雅の手を握った。
「おばあちゃんが言ってた。昔、おばあちゃんも魔族を助けた事があるんだって。血を飲めばすぐに元気になるんでしょ?」
 だから、ね、とあどけなく首を傾げるあかね。
 友雅は自分の手の上にあるあかねの手を見つめた。
「・・・・・あかねは本当に恐れを知らぬ子だね」
「知ってるよ、怖いモノあるもん。でも友雅さんは怖くないよ」
「では、何故命の心配をしない?あかねの血を奪えば死ぬかもしれない」
 あかねはくすくすと笑う。
「だって友雅さん、悪い魔族じゃないもん。悪い魔族ならあかねの血をとっくに飲んでるはずだよ?それに魔族は人と違って殺さずに食事が出来るんでしょう?だからあかねは死なないよ・・・・・ね」
 そこまで断言されるとは思わなかった。
 確かに魔族は人の命を奪わずとも血を飲むことが出来る。
 事実だが、こうまで明るく言われては拍子抜けしてしまう。
「友雅さん、本当に早く帰った方がいいよ。村にハンターが来ているから・・・」
 ハンターという言葉に、友雅の瞳が眇められた。
「・・・・・よいのかな?」
「うん!」
「気分が悪くなるかもしれないよ?」
「う〜・・・、痛くないなら平気だもん!友雅さん、優しいね」
 聞きなれぬ言葉に思わず息をつまらせる。
 友雅は首にかけていた小さなペンダントを外し、あかねの首にかけてやった。
 銀の鎖に涙型をした美しい翠の宝石。
 あかねはそれを手に取り、まじまじと見つめた。
「手当ての礼だよ。困った時に何かの役に立つだろう。ただし、他の人に見せてはいけないよ」
「・・・・・おばあちゃんにも?」
 残念そうに口を尖らすあかねは本当におばあちゃん子なのだろう。
 魔族にはない肉親の情だ。
 友雅はその大きな手をあかねの頭にポンッとのせた。
「私の事を話すのだろう?あかねの好きにしたらいい」
「ありがとう!これ、大切にするね」
「・・・・あかねの言葉に甘えよう。倒れると悪い、横になりなさい」
 軽く肩を押され、あかねは素直に草の上へ横になった。
 友雅のひやりとした指先があかねの首筋に触れた。
 あかねが静かに目を閉じる。
 ふっとまぶたの裏に影を感じた時、あかねの首筋に友雅の吐息がかかった。
「・・・・っ!」
 一瞬走った鋭い痛み。
 友雅が触れている所に熱が集まる感覚がしたかと思うと、次にはフッと体が落ちていくような気がした。
 血の気が引くというのだろうか、体がひどくだるい。
 友雅の体が離れると、あかねはゆっくりと瞳を開けた。
 グルリと世界が回る。
 とてもじゃないが起き上がれない。
「ありがとう・・・」
 心なしか友雅の顔色がようなったような気がする。
 反対にあかねは少し青ざめていた。
「・・・元気になった?帰れる?」
「ああ・・・」
 友雅の返事にあかねは本当にうれしそうに笑った。
「私ね、おばあちゃんの話聞いてて、ずっと魔族に会いたいと思ってた、でも無理だって言われてたの。だけど今日、友雅さんい会えてうれしかったよ。・・・また会えたらいいね」
 友雅が困ったようにほんの少し唇を歪めた。
 会えるわけがない。
 友雅はこの傷を癒すため、長い長い眠りに入るから。
 あかねが生きているうちには、多分目覚めないだろう。
 そんな友雅の考えが分かったのか、あかねはさみしそうに笑った。
「ねぇ、友雅さん。あかねの名前忘れないでね。私も友雅さんのこと忘れないから」
「・・・・・ああ」
「バイバイ」
 小さく愛らしい手が友雅に向かって振られる。
 友雅はその手を取り、そっと指先にキスを落とした。
「感謝するよ、あかね。ありがとう」
 そして友雅はその漆黒の翼を大きく広げ、一気に空高く駆けていった。
 あかねは大地に寝転がったまま、いつまでも友雅の去った空を見つめていた。




                                      <続>
                                     02/07/24


永久に・・・・・ <1>
ああ〜、またパラレルです〜(滝汗)
しかも世界まったく違うし・・・・・。ぐはぁっ!
連載でもある。
多分切ない系になるので、ご注意下さい。
オリキャラもバンバンでると思います。
今回はあかねちゃん、子供。
次回から、大きくなります(笑)
呆れないでお付き合い下さいませ(切実)



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